熊沢蕃山
孝経小解-喪親[2]
上古は人の情厚く、元気すぐやかに、
故に父母のながき別れに逢ひて、食、咽にくだらず、然れども、三日を過ぐるときは、強いてかゆを食せしむ。
父母、死する家には、三日、火をあげず、隣家より家内の者の食をつかはせり。
主人は三日の後も、食を欲せざれども、親の死を以て子の生をやぶり、やせ、衰へて病気になり、性命を滅ぼすにいたるは、不孝なれば、三日を限りて、食せしむるは、教へなり。
聖人、民のために礼を制し、哀情を節して、其の生を全くし給ふ政なり。
上古は
親子わかれ、夫婦はなれて、五年も十年も嘆く者あり、半年、一年にてやむものあり。
長きをほめず、短きをそしらず、俗に云へる
太古質素の風なり、後世、聖人その久しく
人、生あれば死あり、理の常にして昼夜の道なり、久しく嘆くべからず。
子生まれて三年、父母の
喪を除いては吉礼に変ず、故に祭礼に楽す、是れ終りある事を教へ給ふなり。
今の、親の子の精進するは、逆なりと云ってせず、孝の理をしらざればなり。
老少
其のうへ、子も親、先祖の性命を伝へたる者なれば、我が子とし私すべからず。
故に聖人の定めは、
期よりは、諸侯は絶、大夫は下す、いはんや天子をや。
天子、諸侯は
父母の喪は、貴賤となく一なり。
日本は小国にて土地の気うすし、聖人の定めの時よりは、世もはるかに後世にて、人の情も薄く成りたり、故に
期、大功、小功、
暇を今は忌みといへり、其の間は出仕せず、暇過ぎては出でつとむ、
夫れ、法は後世、
故に日本にて、三年の喪を云ふは義にあらず、聖人も天子にあらざれば、下位に居ては法を制し給はず、況や、我が国の君の法を用ひずして、他国の君の法を用ふべき義にあらず。
仏を信ずる者をも、我が国の神を尊ばずして、異国の神を尊ぶは、義にあらずといへるごとし。
時所位にかなはざることを、強いてなしたる故に異端盛んになりたり。
仏のために民をかりたる者は儒なり、
同じく喪に居ると雖も、人の気質により深浅あり、大体、喪の法あれば、詳しきことは聖人とがめ給はず、三年の喪は久しとのたまひて、歌うたひし者をせめ給はざりしも、凡人のためにのたまひしなり。
又た、
原壌は孔子の前にても、母の喪に歌ひたり、曾晢は喪のとむらひに、
情のままにてかくす事なし。
是れ聖徳の量の広大なる事大空のごとく、大海のごとくにして、鳥の飛ぶにまかせ、魚のおどるにしたがふがごとし。
後世の儒者、量せばしく衆人の志と気象と品々ある事をわきまへず、なべて一にせんとおもへば、とがめせむる事出来たり。
故に弱なる者は偽り、強なる者はそむきて異端に入りぬ、くはしき事は、水土の解にみへたり。
又た
年たけ学熟してつとむる事は、本より愛情ふかき生まれ付きにて、気血衰へ情欲うすくなり、其のうへに学熟して、制する道を得ればなり。
年わかき時、よくつとむる者は、志進んで潔く何事をもなすべき強力あり、
一人の身にても、少老にてかはりあり、故に君子は大に人をほめず、つよくそしらず。
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」72-75/88
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備考・解説
この項、教育の眼目あり。
人それぞれに性質あり、故にその質に合わせて育し、以てその性を全くす。
いまの学者の教えること、並べて一にせんとするのみにして、人情にそぐわず。
鳥は飛ぶにまかせ、魚はおどるにしたがうがごとくにして、しかもその節を外さざるに至るは、ただ、導く者の聖徳の大なればなり。
故に教育者たるの道は、自己を修めて人を容れるに大なるを第一とす。
語句解説
- 脾胃(ひい)
- 胃とその消化を助ける器官。脾は五臓六腑の一つである脾(消化吸収を担う)のことで、脾臓とは異なる。
- 貧福(ひんぷく)
- 貧しいことと豊かなこと。
- 大功(だいこう)
- 九ヶ月の喪。また、古代中国の喪服の一つで、九ヶ月の喪に着るもの。
- 小功(しょうこう)
- 五ヶ月の喪。また、古代中国の喪服の一つで五ヶ月の喪に着るもの。
- 原壌(げんじょう)
- 原壌。孔子の友人とされる。礼記には母の喪において木に登り、歌をうたった故事がある。
- 曾晢(そうせき)
- 曾晢。曾子の父。名は点。孔子の門人。
- 子貢(しこう)
- 子貢。春秋時代の衛の学者。端木賜、字は子貢。孔門十哲の一人。利殖に長け弁舌に優れる。孔子には「往を告げて来を知る者なり」と評された。
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