熊沢蕃山
孝経小解-諌諍[1]
是れ人倫の常にして順境なり、常道の順孝は、夫子の教へを聞きたるなり。
安心は父母の心を安んずるなり、親の心を安んずるは、子、善人なり、子の善を悦ぶは、父も善人なり。
慈は愛の
愛は、親の子を愛するより厚きはなし、故に慈を父の道とす。
慈は子を善人とするより大なるはなし、敬は子の親を敬するより実なるはなし、故に心に敬あれば
親の命令、不可なるを、諌め
然らば可否を論ぜず、専ら命に従ふべきか、此の逆ひ疑はしく思ふ、故に此の問ひあり。
非をみて従ふは、親の不義を為すなり、故に是れ何の言ぞと再言して、其の不可を明らかにし給ひ、
故に気をくだし、色を
親、逆して入れざるときは、号泣して随ふといへり。
随ふは不可に随ふに非ず、しばらく親の気色に順従して、和する時をまつなり。
言の通ぜざるは、其の言、理に達せざるなり。
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」66-67/88
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