1. 熊沢蕃山 >
  2. 孝経小解 >
  3. 諌諍 >
  4. 1
  5. 2
  6. 3

熊沢蕃山

このエントリーをはてなブックマークに追加

孝経小解-諌諍[1]

是れ人倫の常にして順境なり、常道の順孝は、夫子の教へを聞きたるなり。
安心は父母の心を安んずるなり、親の心を安んずるは、子、善人なり、子の善を悦ぶは、父も善人なり。
慈父じふ孝子こうしは、善人の名なり、父子ともに善人の名を後世に揚ぐるなり。
慈は愛のていなり、心に慈あれば、愛情、発す。
きょうは敬のかたちなり、敬、内に存すれば、恭、外にあらはる。
愛は、親の子を愛するより厚きはなし、故に慈を父の道とす。
慈は子を善人とするより大なるはなし、敬は子の親を敬するより実なるはなし、故に心に敬あればかたち恭し。

親の命令、不可なるを、諌めただす時は違逆いげきして、父子善を責め、恩をそこなはんことを恐る。
然らば可否を論ぜず、専ら命に従ふべきか、此の逆ひ疑はしく思ふ、故に此の問ひあり。

非をみて従ふは、親の不義を為すなり、故に是れ何の言ぞと再言して、其の不可を明らかにし給ひ、孝子こうしの親につかふる、順従ありて違逆いげきなしと雖も、親過ちありて順従するは、親を不義に陥いる也。
故に気をくだし、色をよろこばしめ、声を柔らかにして諌む。
親、逆して入れざるときは、号泣して随ふといへり。
随ふは不可に随ふに非ず、しばらく親の気色に順従して、和する時をまつなり。
言の通ぜざるは、其の言、理に達せざるなり。

出典・参考・引用
中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」66-67/88
関連タグ
孝経小解
熊沢蕃山
古典
<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>



Page Top