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熊沢蕃山

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孝経小解-應感[2]

父帝まします時は、太子と雖も君臣の禮なり、兄は公卿こうけいの、齒徳しとくある人、ならびに諸兄、伯父なり。
君在す時は、禮兄する事あり、父帝崩じ給ひて、太子、即位以後も、宗廟において亡に事ふること、在に事ふるがごとし。
孝子は、親を死せりとせず、孝は死生、一貫なり。
ただ親のみならず、先王の神、皆な天子の尊び給ふ所なり。
又た宗廟にして、諸兄、伯父、先んじて事を行はしめ給ふことあり、先王のしんより見給ふときは、ともにそんなればなり。
又た天民てんみん先覚せんかくは、道徳の兄なり。
謙譲して問ふことを好み給ふは、これを先んずるなり。

天子の敬を尽くし給ふ所は宗廟なり、父子の親しみは天性なり、膝下しっかのしたしみをうしなはざるなり。
親子しんしの道は、天子、諸侯、卿大夫、士庶人にいたるまで、貴賤となく一なり、身を修め行ひ慎むことも一なり。
此の身は親、先祖の遺体なり。
故にせんはづかしめんことを恐るるなり。
宗廟に誠ありて、敬を尽せば、父母、先祖の鬼神、来格らいかくして祭りを受く、故にあらはるといふ。
あらはるは洋々として其の上にいますがごとく、其の左右にいますがごとし、よくまことある故なり。
微の顕かに照著しょうちょして、おほふべからざるなり。

天の万物に付与ふよして、自ずから已む事能はざるものは命なりといへり。
故に天地は性命の父母なり、孝弟こうていの道、父母、先祖、天地に及んで一なり。
此の故に至誠しせいなる者は神明に通じ、四海しかいあらはる、通ぜざる所なし。
中江氏云はく、
てい亦た孝中の一件のみ。
故に孝弟こうてい兼ねて挙ぐると雖も、専ら重ねて孝上に看る可し、と。

詩は大雅、文王有声の章なり。
武王、孝徳のいたりて、四方皆な来たりて服従す。
中心悦びて誠に服する事を美称すといへり。
孔夫子、孝弟こうていの行、愛敬の美を述べ給ふ事、おはれり。
詩を引いて賛美す。
近きより遠きに及んで、四方、徳化に感ず、通ぜざる所なき事を明らかにすといへり。

出典・参考・引用
中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」62-64/88
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語句解説

歯徳(しとく)
年齢と徳行。歯は年齢の意。
膝下(しっか)
ひざもと。父母や主君などのそば近く。また、父母を尊んでいう。
来格(らいかく)
いたる。祭祀などにおいて、神霊が降ること。格は至る意。
四海(しかい)
世の中のこと。古代において世界は四方を海に囲まれていると考えていた。
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