居るは、父母をはなれて居るなり、到るは尽すの如し。
推して其の極みに至るなりといへり。
子の身は、父母の分身、遺體なり。
身をけがしそこなふは、父母をけがすなり。
故に父母をはなれ、遺體を奉じて居るときは、全體の精神、敬に専らなり。
敬の至りは
己れ独り知るところを慎むときは、内外一致にして敬せずといふ事なし。
我が心にかへりみて恥じる事なきを君子といふ。
故に君子にあらざれば、孝の至りにあらず。
父母老いて、子養ふ時、よろづ父母の心に叶はん事を欲す。
冬はあたたかに、夏はすずしく、飲食
四時の
是れ
父母の志を養はざれば、其の楽しみを致すとは、いひがたし。
父母、仁慈の志あれば、是を助けて大にし、父母、義理の志あれば、是を感じて遂げしむ。
父母、道を行ふ事をたのしむは、孝の至りなり。
其の楽しみを致すと云ふべし。
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」50-51/88
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