熊沢蕃山
孝経小解-父母生績[5]
人君、此の六つの道ありて臣民に臨むこと、日月の上に
其の神武の徳を畏れ、其の親のごとくなる慈仁を愛す。
冬の夜さむなるには、夜の明くるを悦び、日の出づるを愛す、夏秋の夜は月になるを待ち、明の生ずるを愛す。
人民、日月にあらざれば生育せず、愛すと雖も神霊の徳なれば、自然に畏敬の心あり。
衆の仁君におけるかくのごとし。
其の
いにしへ善人をば
堯舜の民は皆な善人なれば、
慈父、孝子、父子の徳教をなし、家人其の事に服するが如し。
君の徳教、衆の心に得べき天理なり、其の政令は、人道の行ふべき当然なり。
衆皆なおのれが事としていとはず。
曹風、
道徳は天理の
君子先づ是を得て、天理にたがはず、是を以て四方に正して、衆、本心の善を興起して、君子に
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」49-50/88
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |