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熊沢蕃山

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孝経小解-孝治[5]

大雅、よくの篇の詩なり。
覚は明覚なり、知覚の意なり、人の一身、指の先までも気血流行して、知覚す。
さすり、つみて痛み快を覚ゆるごとく、明王、徳行の教え、東西南北の国に及んで、貴賤従わずといふことなき者は、人々固有の善を教え給ひ、先王、先達さきだつて徳行あり、無言の化、流行す。
其の上、礼楽の学びありて、是を鼓し是をす。
むかし周公旦しゅうこうたん摂政せっせいのとき、南蛮遠国より、使いを以て土産を献ず。
周公旦のたまふ、
中国の正朔せいさくを受けざる国なれば、其の土産を受くべからず、と。
使ひ云ふ、
国に老人あり、海を見るに三年波をあげず。
おもふに中国に聖人出で、政をし給ふなるべしと云ふ。
徳を慕ひて献ず、と。
使者、帰路を失いて帰り難しといふ。
其の時、周公旦、指南車を作りて、使者に与へり。
三年にして帰国す。
指南車は車の上に羽毛あり、いづかたへ行きても、南を指す。
羽毛の指に従ひて帰りぬ。
是より人に物を教ふるを指南といへり。
此の老人、南蛮にて、知識有る者と人に重んぜらるる者なるべし。
しからずば、国王に告げて、使者土産を献ずる事あたはず、中国の天子、聖人なれば、正朔を受けず。
通路なき九夷きゅうい六蛮七戎ろくばんしちじゅう八狄はってきの外国まで、天災、地夭ちよう、人禍なく穏やかにして無事を楽しむ理なり。
黄帝こうていぎょうの時に、彼れ国々の天地の景色、海上までも静かなりし事、古老などのかたりし伝へありしなるべし。
周の盛徳はしらざれども、海に大破あがらざるによりて、聖人あるを知りたるなり。
文王は諸侯なれども、大徳ゆえに、天下、三分が二、其の化に心服す。
武王、大悪を亡ぼし、衆生を安んじ給ひ、周公摂政して、化、大に行はる故に、かくのごとし。

出典・参考・引用
中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」38-39/88
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語句解説

周公旦(しゅうこうたん)
周公旦。周の武王を補佐して殷討伐に寄与。武王死後には摂政となり国家の礎を築いた。
正朔(せいさく)
暦。年の始めと月の始め。また、その暦守ることから、その統治に服することをいう(正朔を奉ず)。
黄帝(こうてい)
黄帝。軒轅(けんえん)。伝説上の帝王で理想の君主として尊ばれる。文学、農業、医学などの諸文化を創造したとされる。
堯(ぎょう)
堯。尭。古代の伝説的な王。徳によって世を治め、人々はその恩恵を知らぬまに享受したという。舜と共に聖王の代表。
舜(しゅん)
舜。虞舜。伝説上の聖王。その孝敬より推挙され、やがて尭に帝位を禅譲されて世を治めた。後に帝位を禹に禅譲。
禹(う)
禹。夏王朝の始祖で伝説の聖王。父の業を継いで黄河の治水にあたり、十三年間家の前を通っても入らなかった。後、舜に禅譲されて王となる。
文王(ぶんおう)
文王。周の武王の父で西伯とも呼ばれる。仁政によって多くの諸侯が従い、天下の三分の二を治めたという。
武王(ぶおう)
武王。周王朝の始祖。太公望を擁して殷討伐を成し遂げた。
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