熊沢蕃山
孝経小解-孝治[3]
諸侯も治国の内は、自分として
天子より誰を国主と、命じ給ふべきなり。
諸子、同姓の中、人品次第なれば、
其のうえ治道の学問修行にてもあれば、大方、世子たるべき人も、諸臣と相譲りて、ともに君につかへ給ふなり。
生には君といひ、祭には先君といへり。
先君の志を継いで、国中の
かくのごとくなれば、永く其の国を
家は卿大夫、士、庶人、大小をあわせて云へり。
妻子は、猶ほ以て愛して教ふべきものなり。
主人、徳あれば怒らずとも威ありて、妻子臣妾恐るるものなり。
仁愛になづき、徳威に恐るるは、家徳の本なり。
父子
人は妻子、
主人の父母なれば、一家の者、従はずといふ事なけれども、面ばかり主人の令に従ふと、中心より悦んで誠に従ふと、
家内の者、主人の
主人の愛敬するは父母なれば、令せざれども父母を愛敬す。
他家の者来たりてまでも、主人の徳によりて、父母を愛敬す。
故に、父母の目にふれ、耳に聞く所、よろこばし。
この故に、生ずる時は
鬼は親の鬼神なり、気
凡そ人、怒りをふくみ、
かくのごとくの
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」35-37/88
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備考・解説
徳の至りは泥むに非ず、自ずから節を得るなり。
人々の放縦して私を為すは、徳の未だ至らざるなり。
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