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熊沢蕃山

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孝経小解-孝治[1]

明王は、知、神明なり。
孝は、天地、万物、一貫いっかんの理の至実しじつなり。
孝を以て天下を治むるは、四海一家、中国一人の徳治なり。

小国の臣は附庸ふようの臣なり、公侯伯子男こうこうはくしだんは諸侯、五等の爵なり。
公侯こうこうの国は皆なほう百里、伯は七十里、子男しだんは五十里なり。
五十里よりすくなきは、一分として朝することなりがたき故に、大国の侯に付いて、天子に達するを附庸と云ふなり。
公一位こういちい侯一位こういちい伯一位はくいちい、子男同じく一位なれば、四等とも云ふ。
此の百里、七十里、五十里は田地ばかりをいふなり、山野、川澤せんたくは外なり。
百里を千乗せんじょうの国といふ、軍役に車千乗を出だす、一乗に七十二人づつなれば七萬二千なり。
他は推して知るべし。
先王の軍役は、かろし、跡に耕作もあれざるようにのこす事なれば、成人百人ある里より十人出だして、七十二萬の衆あり、二十歳以下、男女ともにはかぞへがたし。
附庸も二百乗、三百乗の不同あり、成人十五六萬の衆あるべきか。
中夏ちゅうかは大国にて、諸侯の国々より、京都へ道路遠しと雖も、上洛の人数すくなく、禮、易簡なり。
六年に一度の来朝にて、逗留もすくなければ、附庸とても、一分として上洛あるべけれど、軍役をかねて、大国の諸侯と平生親しみあるようにとの事なるべし。
日本にても、小身しょうしんの城主、郡主、一人備へを立て難き故、旗本として大名のともに付くがごとし。
天子は天地を父母とし、天地にかはりて士民を子とし給へば、小国の臣と雖も、多くの子を預け置き給ふ。
故に其の人品を知りて忘れ給はず、況や五十里以上は、子を預け給ふこといよいよ多き故に、諸侯を兄弟とし親しみ給へり。
字註じちゅうに、公は正なり、公は義理にしたがひて私なきなり。
侯は人に従ひ、弓のしょうに従ひ、矢に従ふ。
人、弓矢の道に達するの義なり。
諸侯、天子に朝しては、射禮しゃれいによりて親しみ給へり。
古は弓を射させて其の徳を知り、諸侯に封ぜられしことあり。
弓の後、酒宴などあり、彼れ是れ以て上下親しみ交はりて、其の人品を知り給ひ、能を賞し、不足を教へ給ひしなり。
諸侯、弓矢の道に達すれば、夷狄いてき恐れて、王宮の干城かんじょうとなり、伯は長なり、一国の長たる徳あるなり、子は字なり、小人を字愛じあいするなり、男は任なり、王の職事に任ずと云へり。

出典・参考・引用
中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」32-34/88
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語句解説

付庸(ふよう)
大国に付属する国。大国の勢力下にある弱小国。
夷狄(いてき)
えびす。中国周辺の異民族の総称。また、外国人を軽蔑した言い方として用いられることもある。
干城(かんじょう)
干(たて)と城。国を守るもの。
字愛(じあい)
やしない慈しむ。
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