熊沢蕃山
孝経小解-三才[6]
好悪を
示すは言を以て令するにあらず、日月の天にかかれるが如し。
日月に言なけれども、日出でては起きて勤め、日入りては休むことを知るが如し。
上の至善の徳、貴賤の心に感じて、
感じて知る故に、衆も又た仁義を好みて、不仁、不義を
かくのごとくなれば、法制禁令なくして天下無事なり。
註に、好は賞を謂ひ、悪は罰を謂ふといへるは誤れり。
後世は賞して罰せざる時多し。
孔子も、
賞罰を明らかにするを以て政とするは、道、本より行はれざればなり。
孝を以て天下を治むる道にあらず。
小雅、節南山の篇の詩なり。
師は大師、周の三公なり、日本の太政大臣なり。
天下の人、この師尹の
下は上からは見え難く、上をば下からは見え易き故、その心、その行かくれなし。
三公だに斯くの如し、況や大君をや。
悪も、はやくうつり、善も、すみやかに感ず。
上に立つ人は、はれがましきことなり。
其の君の在世のみにもあらず、万々歳、言ひ伝ふる者なれば、慎むべき義なり。
秦の始皇など、大君の威、
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」31-32/88
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |