熊沢蕃山
孝経小解-三才[4]
徳義は義理なり、
窮屈にかたづまりたる者も、
民にしかり、いはんや士大夫をや。
先王、聖知を忘れて、天位を敬ひ給ひ、常に公卿、大夫士に譲りて、己をすて、人にしたがひ給ひ、庶人までに譲りて、
故に百官、皆な天職を敬いて、公卿は大夫士に譲り、大夫士は庶人の秀才に譲り、互いに問うことを好みて、善を人と同じくす。
故にその代は譲を知とし、譲らざるを恥とす。
路をゆけども、右は女に譲り、左は男に譲りて、男女交わりゆかず、男女も又た互いに譲りて禮あり。
落ちたる物を拾わざれば、まして
言を以て
それ知の深く明らかなるは、聖人に如くはなし。
然るに公卿、大夫士はいふに及ばず、凡民までに下りて、問ふことを好み給ふは、敬譲の至りなり。
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」30/88
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語句解説
- 柳下恵(りゅうかけい)
- 柳下恵。春秋時代の魯の大夫。周代七賢の一人。直道を守って君に仕えたという。
- 伯夷(はくい)
- 伯夷。周初の人で孤竹君の長子。父の意を察して弟の叔斉と王位を譲り合う。後に文王を慕って周に行き、周の武王の殷討伐を諫め、聞き入れられずしてその治世を善しとせずに餓死。叔斉と共に清廉な人物の代表とされる。なお、舜の時代に礼を司った伯夷とは別人。
- 諫鼓(かんこ)
- 人々が君主を諫める際の合図として鳴らす太鼓。宮門外に置いた。
- 謗木(ぼうぼく)
- 投書箱。朝廷の前に立てて人々に政治の足らぬところ自由に訴えさせた。古代の聖王とされる舜が行なったという。
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