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范曄

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後漢書-列傳[班梁列傳][1]

班超、字は仲升、扶風の平陵の人、徐の令彪が少子なり。
人と為りは大志有り、細節を修めず。
然れども内に孝謹、家に居りて常に勤苦を執り、労辱に恥じず。
口弁有り、而して書伝を渉猟す。
永平五年、兄の固、召を被りて校書郎に詣り、超、母と与に随ひて洛陽に至る。
家貧し、常に官の為に傭書ようしょして以て供養す。
久しく労苦し、嘗て業をめて筆を投じ歎じて曰く、
大丈夫にほかの志略無し。
猶ほ当に伝介子、張騫にならひて功を異域に立ち、以て封侯を取るべし。
安んぞ能く久しく筆研ひっけんの間を事とせんや、と。
左右皆な之を笑ふ。
超曰く、
小子、安んぞ壮士の志を知らんや、と。
其の後に行きて相者に詣る。
曰く、
祭酒、布衣の諸生のみ、而して当に侯に萬里の外に封ぜらる、と。
超、其の状を問ふ。
相者指して曰く、
生は燕頷虎頭、飛びて肉を食ふ、万里侯の相なり、と。
久しく之く、顕宗、固に問ふ、
卿が弟は安にか在る、と。
固、対ふ、
官の為に書を写し、直を受けて以て老母を養ふ、と。
帝、乃ち超を除し蘭台の令史と為し、後に事に座して免官す。

現代語訳・抄訳

班超は扶風の平陵の人で字を仲升といい、徐の県令である班彪の子である。
その人となりは大志があり、細かいことには拘泥しない性質であったが、内に孝を勤め、家に居りては常に苦労を事とせず、苦労し辱かしめられるもそれを少しも恥とは思わなかった。
また、班超は弁舌に巧みで、よく古典を渉猟していたという。
永平五年、兄の班固が招聘されて校書郎となったので、班超は母と共に兄に従って洛陽に移った。
家は貧しかったので、いつも役所で文書の書き写しをする仕事をして親を養っていた。
久しく文筆生活で苦労していた班超は、ある日、仕事の最中に筆を投じて嘆息して云った。
大丈夫たればその志はただ一つしかない。
伝介子や張騫の如く、異国の地に行きて功を挙げ、列侯として封じられることである。
どうしていつまでも文筆の生活などしていられようか、と。
左右にいた者達はこれを聞いて笑った。
すると班超は云った。
お前達のようなつまらない人間に、信念を抱く者の志がわかるはずがない、と。
その後、班超は相者のもとへ行き、人相を占った。
相者が云う。
お前は一介の諸生に過ぎない。
だが、遂には万里の外にて列侯に封ぜられるであろう、と。
班超はその訳を問うた。
相者は班超の顔を指して云った。
お前は燕のようなあごと虎のような頭を持っている。
まるで燕が万里の外へと飛んで、虎が肉を食らうように、異国を征服して万里侯となる人相なのだ、と。
それからしばらくして顕宗が班固に問うた。
卿の弟はどうして居るか、と。
班固が答えて云った。
役所の仕事を手伝って文書の書き写しをし、その収入で老母を養っております、と。
それを聞いた帝は班超を召して蘭台の令史としたが、班超は後に事件に連座して免職されてしまった。

出典・参考・引用
長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(二)p934,范曄著・鈴木義宗点「後漢書」第18冊・第34-37巻35/50
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出典
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語句解説

班超(はんちょう)
班超。後漢の名将。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の言葉を発して多勢の匈奴を奇襲し勝利を得、西域にて諸国を服従。西域都護として勢力を保った。
傭書(ようしょ)
雇われて文書の書き写しをすること。筆耕。
筆研(ひっけん)
文筆を職業とする人のせいかつのたとえ。
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