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曾先之

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十八史略-東漢[孝和皇帝][班超]

班超を徴して京師けいしに還らしむ。
超、書生より筆を投じて萬里の外に封侯ほうこうたるの志有り。
相者有り、謂ひて曰く、
生は燕頷虎頭えんがんことう、飛びて肉を食ふ、萬里侯の相なり、と。
假司馬かしばより西域に入る。
章帝の時、西域の将兵の長史と為る。
上に至り、超を以て西域の都護騎都尉と為す、諸国を平定す、西域に在ること三十年、功を以て定遠侯に封ぜらる。
是に至りて年老いたるを以て帰を乞ふ、願はくば生きて玉門関に入らんことを、と。
上、之を許す、任尚を代て都護と為す、教えを請ふ、超曰く、
君が性は厳急なり、水清ければ大魚無し、宜しく蕩佚簡易とうてつかんいなるべし、と。
尚、ひそかに人に謂ひて曰く、
我れおもふに班君、当に奇策有るべしと。
今言ふ所は平平たるのみ、と。
尚、後に果たして辺和へんわを失す。
超が言の如し。

現代語訳・抄訳

班超が京師に帰還した。
班超は一介の書生であったが、筆を投じて万里の外において諸侯とならんとする志を抱いた人物である。
ある時、班超の相を占った相者が云った。
燕が万里の外へと飛んで虎が肉を喰うが如くに異国を征服して万里侯となる人相である、と。
やがて班超は假司馬として西域に入った。
章帝の時、西域の将兵の長史となり、孝和帝が即位すると西域の都護騎都尉を任じられて西域諸国を平定した。
その後、西域に居ること三十年、遂に班超は功によって定遠侯に封ぜられた。
長年の志を達した班超であったが、老年となったので、存命中に再び玉門関を通って漢へと帰還することを願い、帝はこれを許した。
やがて、代わりに任尚という人物が都護として派遣された。
赴任した任尚が西域を治める要諦を尋ねると、班超が答えて云った。
あなたの性質は厳しくせっかちです。
水があまりに清ければ大魚は棲まないといいますが、政治もそれと同様です。
煩雑を省き、寛大で余裕ある態度で臨めばよいでしょう、と。
この言を聞いた任尚はひそかに嘲って云った。
班超将軍には何か特別な策があると思っていたが、聞いてみれば何ら変わったものはなくつまらないものであった、と。
果たして任尚はその後、辺境の地にて人望を失うこととなった。
班超の言葉の通りとなったわけである。

出典・参考・引用
早稲田大学編輯部編「漢籍国字解全書」(第36-37巻)199/306
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出典
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語句解説

班超(はんちょう)
班超。後漢の名将。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の言葉を発して多勢の匈奴を奇襲し勝利を得、西域にて諸国を服従。西域都護として勢力を保った。
京師(けいし)
都、天子の居。春秋公羊伝の桓九年に「京師とは天子の居である。京とは大、師とは衆、天子の居は必ず衆大の辞を以てこれを言う」とある。
封侯(ほうこう)
諸侯として封ずること。土地を分け与えて諸侯にすること。
假司馬(かしば)
司馬の次官。副部隊長のようなものだとされる。
玉門(ぎょくもん)
玉門は関の名で敦煌に属す。シルクロードの重要な関所の一つであったとされる。
辺和(へんわ)
辺境の平和。国教に関することで隣国と問題を起こさないこと。
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