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范曄

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後漢書-列傳[伏侯宋蔡馮趙牟韋列傳][62-66]

韋彪いひょう、字は孟達、扶風ふふうの平陵の人なり。
高祖賢、宣帝の時に丞相と為る。
祖の賞、哀帝の時に大司馬と為る。
彪、孝行にして至純なり、父母卒す、哀毀あいきして三年、廬寑ろしんを出でず。
おはり、羸瘠るいせき骨立異形なり、医療すること数年にして乃ち起つ。
好学にして洽聞こうぶんもとより儒宗と称せらる。
建武の末、孝廉こうれんに挙げらる、郎中じょせらる、病を以て免ぜられ、復帰して教授す。
貧に安んじ道を楽しみ、進趣しんしゅに於いてやすらかなり。
三輔さんぽの諸儒に之を慕ひ仰がざる莫し。
顕宗、彪が名を聞き、永平六年、召して謁者えつしゃに拝す、賜ふに車馬衣服を以てす、三たび遷して魏郡の太守たり。
肅宗即位す、病を以て免ず。
徴して左中郎将、長楽の衛尉と為す、しばしば政術せいじゅつを陳し、毎に寛厚に帰す。
しきり上疏じょうそ骸骨を乞ひ、拝して奉車都尉と為る、秩中二千石たり、賞賜しょうし恩寵おんちょう、親戚にひとし。
建初七年、車駕しゃが西に巡狩じゅんしゅす、彪を以て太常たいじょうを行はしめ従へて、しばしば召して入り、問ふに三輔の旧事、禮儀風俗を以てす。
彪、因りて建言す、
今、西に旧都を巡り、宜しく追ひて高祖、中宗の功臣を録し、先勲を褒顕ほうけんし、其の子孫をしるすべし、と。
帝、之を納る。
行きて長安に至り、乃ち京兆尹けいちょういん、右扶風ふふう制詔せいしょうして蕭何しょうか、霍光が後を求む。
時に光が苗裔びょうえい無し、唯だ何が末孫たりし熊を封じさん侯と為す。
建初二年、すで曹参そうしんが後の曹湛を封じ平陽侯と為す、故にかへるにしかず。
乃ち厚く彪に銭珍羞ちんしゅう食物を賜ひ、平陵に帰りて上冢じょうちょうせしむ。
還り、大鴻臚だいこうろを拝す。
是の時に事を陳する者、多言す、郡国の貢挙こうきょおおむ功次こうじに非ず、故に職を守るをますますおこたりて吏事りじようやく疏し、咎は州郡に在りと。
詔有りて公卿朝臣に下して議せしむ。
彪、上議して曰く、
伏して明詔をおもふに、百姓を憂労し、恩を選挙に垂れ、其の人を得んことを務む。
夫れ国は賢をえらぶを以て務めと為し、賢は孝行を以てはじめと為す。
孔子曰ふ、親につかふるに孝あり故に忠は君に移る可し、是を以て忠臣を求むるに必ず孝子の門に於いてすと。
夫れ人の才行にひ兼ねるは少なし、是れを以て孟公綽は趙魏の老たるに優れるも、滕薛とうせつの大夫と為す可からざるなり。
忠孝の人は、心を持すること厚きに近きも、鍛錬たんれんの吏は、心を持すること薄きに近し。
三代の直道にして行ふ所以の者は、其れ磨する所以の故に在るなり。
士は宜しく才行を以て先と為すべく、もっぱらに閥閲ばつえつを以てすべからず。
然れども其の要帰は、二千石を選ぶに在り。
二千石賢なれば、則ち貢挙に皆な其の人を得ん、と。
帝、深く之を納る。

現代語訳・抄訳

韋彪は字を孟達といい、扶風の平陵の人であった。
先祖の韋賢は宣帝の時に丞相となり、韋賞は哀帝の時に大司馬となった人物である。
韋彪の性情は孝行にして至純、父母が亡くなると嘆き悲み、三年の間、喪に服して墓の側に建てた忌み小屋から出て来ることがなかった。
喪を終えた韋彪を見るとやせ衰えて骨ばかりの異様な姿に変わり果て、数年の療養を経てようやく立つことが出来るほどであったという。
韋彪は学問を好んで博学として聞こえ、日頃から儒宗と尊称されていた。
建武の末、その清廉潔白な人柄から孝廉として推薦されて郎中となったが、病を得て免ぜられ、やがて病が癒えると学問を教えた。
韋彪は貧賤なるを苦にすることもなく安んじ、あるがままで己が道を楽しみ、如何なるときも恬然たる様であったので、近隣に居る教養ある人々はこぞって韋彪を慕い仰ぐほどであった。
永平六年、その令名を聞いた顕宗は韋彪を召して謁者の職を与え、車馬衣服を賜い、やがて三度職を遷って魏郡の太守となった。
肅宗が即位すると再び病で職を免ぜられたが、しばらくして左中郎将、長楽の衛尉に任ぜられ、しばしば政治の要諦を奏上し、常に寛厚を旨として事に当たった。
韋彪はしきりに帝に辞職を訴えたので、奉車都尉となった。
禄秩は二千石、賜った金品褒章は尽く親戚に分け与えた。
建初七年に帝は西方の視察を行い、韋彪を太常として従え、度々召しては各地域の旧事や礼儀風俗を問うた。
そこで韋彪は建言して云った。
今こそ西に旧都を巡って高祖・劉邦や中宗・宣帝の功臣を調べ、その勲功を改めて賞揚し、その子孫を紀すべきでありましょう、と。
帝はこの言を納れ、長安に行きて京兆尹、右扶風に詔勅して蕭何や霍光の子孫を捜させた。
霍光の子孫は居らなかったが、蕭何の子孫である蕭熊を封じて酇侯とした。
また、建初二年にはすでに曹参の子孫である曹湛を封じて平陽侯としていた。
このように先祖を尊びて今にその道を顕すことほど大なるはないであろう。
そこで帝は韋彪の功に報いて金品珍品を与え、平陵に帰らせて墓参りをさせた。
戻ると韋彪は大鴻臚となった。
この頃、帝への上申書には次のような訴えが多かった。
各地域より中央へと推薦される人物は実際から乖離した人物ばかりであります。
故に皆なその職分など意に介さず益々怠り物事は円滑に進まず、その弊害が州郡に生じているのです、と。
これを憂えた帝は詔勅して公卿朝臣に人材論議をさせた。
そこで韋彪が云った。
詔のお心を思うに、百姓を心配して心を悩まし、恩賜を人の登用にかけるのは、真なる人物を得んがためでありましょう。
大体において国というものは賢なる者を任用することが務めでありますが、賢が何かと申しますとその根本は孝なのです。
孔子はこのように言っております。
親に事えるに孝あり、故に忠は君に移る可し、是を以て忠臣を求むるに必ず孝子の門に於いてすと。
人というものは才と品行を兼ね持つ者は少なく、だから孔子はこうも言うのです。
孟公綽の如き人物は趙や魏のような大国の大臣家の家老とするには相応しいが、滕や薛のような小国の大夫とするべきではないと。
忠孝の人なれば心を持すること厚きが故に公へと帰しますが、才ばかりの者であれば心を持すること薄きが故に私へと偏してしまいます。
そして、古の三代において実務に当るべき人を抜擢する際には、必ず実際を以てその人物を試みた後に、真に相応しいと確かめた者をその職に就けたのです。
このように、士を選抜するには必ず才と品行の両方を先とするべきであって、決して家柄などにとらわれてはなりません。
されども、さらに重要なことは二千石を与えられる程の要職に当たる人物を適切に選ぶことにあります。
この要職に据わる人物が「孝」を持する者、即ち「賢」であるならば、その人物に導かれるが如くに相応しい人物を得ることができましょう、と。
帝はこの言葉に深くその意を得たという。

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出典
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語句解説

哀毀(あいき)
父母の喪などで嘆き悲しんでやせ衰えること。
廬寑(ろしん)
喪のために墓の側にたてた忌み小屋のこと。
羸瘠(るいせき)
やせ衰えること。
洽聞(こうぶん)
博学の意。見聞が広いこと。
孝廉(こうれん)
前漢からの官吏任用科目の一つ。各地域から孝行で清廉潔白な人物が推薦されて官吏として採用された。明や清の時代の場合は科挙第一次試験の合格者の別名。
郎中(ろうちゅう)
秦・漢代には宮中の宿衛の役に当った。後、隋・唐になって尚書省の六部が分かれて二十四司になり、この長官を指す。
除(じょ)
旧より新に就くの意。
進趣(しんしゅ)
すすむ。むかう。おもむくこと。
三輔(さんぽ)
漢の長安以東の京兆尹、長陵以北の左馮翊、渭城以西の右扶風のこと。
謁者(えっしゃ)
官名。来客の取次ぎを司る職。
政術(せいじゅつ)
政治の仕方。
上疏(じょうそ)
上書。君主に意見書を奉ること。
骸骨(がいこつ)
むくろ。しかばね。また、「骸骨を乞う」の場合は辞職を願うことをいう。
賞賜(しょうし)
功労に対して賞を与えること。
恩寵(おんちょう)
めぐみ。いつくしみ。
車駕(しゃが)
天子の乗物。天子が車で出かけること。転じて天子の敬称としても用いる。
巡狩(じゅんしゅ)
巡守。天子が諸国を巡って治安や風俗を視察すること。
太常(たいじょう)
大常。中国の官名で九卿の筆頭。天子の宗廟の祭祀や礼楽を司る。また、天子の旗の意もある。。
劉邦(りゅうほう)
劉邦。前漢の始祖。秦を滅ぼし、項羽と天下を争う。野人なれども不思議と人が懐き、「兵に将たらざるも、将に将たり」と称せられた。
褒顕(ほうけん)
褒揚。褒称。褒め称えて世間に顕わすこと。
制詔(せいしょう)
詔勅のこと。みことのり。
蕭何(しょうか)
蕭何。前漢の建国の功臣。物資補給と拠点の関中を治安し、劉邦の覇業を後方で助けた。天下統一後には功績筆頭に挙げられる。漢の礎を築いた大宰相。
苗裔(びょうえい)
遠い子孫のこと。
曹参(そうしん)
曹参。前漢創業の功臣。蕭何亡き後には相国として漢の発展に寄与。黄老の学を重んじて無為自然を旨とし、人々はその治世を尊んだという。
珍羞(ちんしゅう)
珍しい料理のこと。
上冢(じょうちょう)
墓参り。
大鴻臚(だいこうろ)
官名で漢代の九卿の一つ。外国からの賓客の接待を司る。
貢挙(こうきょ)
地方から優れた人物を推薦すること。また、科挙の会試の意。
功次(こうじ)
功のある所。ただし、辞書等には無いので正しいかは不明。「席次(席のあるところ)」などと文脈からこの意とした。
吏事(りじ)
吏治の実務。官吏の扱う事務、仕事。
鍛錬(たんれん)
金属を鍛えるの意。また罪に陥れること。
閥閲(ばつえつ)
功績ある家柄のこと。
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