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范曄

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後漢書-列傳[伏侯宋蔡馮趙牟韋列傳][28]

時にの姉の湖陽公主こようこうしゅ、新たにやもめなり、帝と共に朝臣を論ず、ひそかに其の意を観る。
主曰く、
宋公の威容徳器、群臣に及ぶ莫し、と。
帝曰く、
まさまさに之を図らんとす、と。
後に弘を引見せる、帝、主をして屏風の後に座せしめ、因りて弘に謂ひて曰く、
諺に言ふ、貴びては交はりをへ、富みては妻を易ふと、人情か、と。
弘曰く、
臣聞く、貧賤の知は忘る可からず、糟糠の妻は堂より下さず、と。
かへりみて主に謂ひて曰く、
ととのはず、と。

現代語訳・抄訳

光武帝の姉である湖陽公主が未亡人となった。
光武帝は湖陽公主と臣下に関して論じ、ひそかに湖陽公主の気持ちを観た。
湖陽公主は云った。
宋弘殿の厳かで徳が溢れ出る様は、朝臣多しと雖も及ぶ者はおりません、と。
光武帝が云った。
それでは宋弘に図ってみようではないか、と。
そして光武帝は宋弘を引見し、湖陽公主を屏風の裏に座らせ、宋弘に云った。
諺に位が高くなれば友をかえ、富みては妻をかえると言うが人情であろうか、と。
すると宋弘が云った。
私はこのように聞いております。
貧賤に知己となった者を忘れてはならない、苦労を共にした妻を家から追い出してはならない、と。
これを聞いた光武帝は屏風の方を顧みて云った。
事、調わず、と。

出典・参考・引用
長澤規矩他「和刻本正史後漢書」(二)p637
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出典
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語句解説

劉秀(りゅうしゅう)
劉秀。後漢の始祖。光武帝。文武両道、民衆に親しまれ、その治世は古の三代にも匹敵したとされる。名君の代表として有名。
被(ら)
動詞の前にあってその動作をこうむることをあらわす。
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