孫武
孫子-用間[3]
凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所、必ず先づ其の守将・左右・
必ず敵人の
是に因りて之を知る、故に
是に因りて之を知る、故に
是に因りて之を知る、故に
五間の事、主、必ず之を知る、之を知るは必ず反間に在り、故に反間は厚くせずんばある可からざるなり。
昔、殷の興るや、
故に明君賢将、能く上智を以て間と為す者は、必ず大功を為す。
此れ兵の要、三軍の恃みて動く所なり。
現代語訳・抄訳
およそ敵軍を撃たんと欲し、敵城を攻めんと欲し、敵将を殺さんと欲すれば、必ず先ずその守将、左右の近習、取次ぎの者、門番、近親の者の姓名を調べ、味方の間者に知らしめておかねばならない。
敵の間者もまた我れに対する諜報活動を為す故に、必ずこれを察知して逆用し、導きて厚く恩を施し、以て反間と為すべし。
反間を得ればつけ込むべき所を知る。
故に内通者を得て使うに足り、偽報を流して敵を信じ込ませるに足り、国境を往来させて期日を違えずに生還するに及ぶ。
この五間の事は主将は必ずこれを知らねばならぬが、知るの要は反間に在るのである。
故に五間のうち、反間ほど賞功を厚くすべきものはない。
古代における殷・周の勃興たるや、
このように明君賢将が、よく優れた智者を以て間者に用いれば、必ず大功を為すに至るのである。
これ兵の要にして、三軍の恃みて動くべき所であろう。
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」174/183
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備考・解説
山鹿素行曰く、
是は五間を使ふの法なり。
五間の内、反間を以て要とするなり。
必ず敵間の来たりて我れを間する者を索むとは、彼れ又た間を入りて、我を伺ふ可き故に、必ず彼の来たりて我をうかがい間するものを尋だ
因りて之を利すとは、因は何事ぞのちなみにたよりを求めてなり。
之を利すは厚く
導くとは、彼此方の案内を伺ひに来れる故に、わざと案内を教へ導いて、よき家宅にこれをやどらしむべし。
反間得て用ふ可しとは、此の如く彼が間を知りて彼が間に利を厚く致し、此方の案内をしらしむる如くに仕りて、ついに是を我が間にいたして之を用ふ可きなり。
この故に必ず敵間の来るをよく
山鹿素行曰く、
彼れ反間たらんに於いては、是にちなみて、彼れ国人にたより、官人に内通して、郷間、内間を用ひつかふにたれるなり。
以下三の因字は皆な反間に因るなり、と。
山鹿素行曰く、
彼が間にたよりて、我が間の言をつたふ、この故に我が間に
山鹿素行曰く、
彼が反間にたよりて、我が生間を用ひて、彼が国へ往来せしめて、何の時、何の日に此の如きと云ふの約束刻限たがわず、往反するなり。
期の如くとは、約束のごとく事を報ずるなり、と。
山鹿素行曰く、
五間のわざ、明主賢君必ず能く之を知る在るなり。
而して必ず此の五間を用ゆることは反間に在り、反間あらざれば敵国の事を知る可からざるが故に用ひ難し。
此方の生間も、知らざる他国へ往来しては、いかんして之を知る可きか。
故に間の内、反間の厚きなり、と。
袁了凡曰く、
師を興さば必ず勝ちを争ふ、勝ちを争はば必ず先づ敵情を知る、先づ敵情を知るは必ず間を用ふ。
五間又た必ず反間に始まる、篇中
大全に云はく、
大抵、間を遣はして以て人を間するは、人の間に因りて以て間を為すに若かず。
蓋し上智の人は常に少なく、不才の人は常に多く、
間者敵に至る、良金美玉、其の前後に在る有り、
是れ則ち之を以て人を間して、反りて之を以て人に報ずるなり。
間を用ふるを難しと為す所以、と。
山鹿素行曰く、
鬼谷子云ふ、
呂尚、三たび殷朝に入り、三たび文王に就き、然る後に文王に合ふと。
湯王、
武王、太公を用ひたが故に
上世の聖人、上智の大賢を用ひて、彼が国のことを
是れ孫子の間は上智を以て用と為すの比喩に引出せり。
孫子遺説に云はく、
或ひと問ふ、
武の称する所、豈に間の術を尊びて之を重んずるに非ずやと。
曰く、古の人、大事を立ちて大業を就す、未だ嘗て正しきを守らざるはなく、正しくして意を獲ざれば、則ち未だ嘗て権を
夫れ事業に権を用ふるに至りては、則ち何の為さざる所あらんや。
但だ之に処するに道有り、而して卒に正に反る、則ち権は聖人の徳に害無きなり。
蓋し兵家に在りては名づけて間と曰ひ、聖人に在りては之を権と謂ふ。
湯、
此の二人の者に非ずんば、天に
故に名づけて権と曰ふ。
兵家の間、流れて反らず、道に合ふに能はずして、
所謂、上智を以て大功を成す者は、真に伊・呂の権なり。
権と間と実を同じくして名は異なれり、と。
山鹿素行曰く、
明君良将は、上智を用ひて間とす、上智を用ひて間とするときは天下の草業以て成る可し、これ大功の成るなり。
上智は伊尹・呂望が類なり。
案ずるに上智のものを必ず忍びに用い間をいたすと云ふにはあらざるなり。
上智の者を用ひて、敵国のことをはからしめ、其の実をさぐる、是れ乃ち明君賢将の間なり。
間、何ぞ只だ内に入りてこれをきくのみならん、遠くしてよくうかがい、
山鹿素行曰く、
先づ知りて而る後に兵を用ひるに、知らずして兵を動かすときは、耳目無くして危路に往くが如し。
故に間を以て、兵法の要とするなり、と。
李靖曰く、
夫れ戦の勝ちを取る、此れ豈に天地に求めて在らんや。
人に因りて以て之を成す、古人の間を用ひしを
故に
語句解説
- 誑事(きょうじ)
- 反間。デマ工作。
- 伊尹(いいん)
- 伊尹。殷の名相で阿衡と称される。湯王を補佐して桀を討伐。殷の礎を築く。
- 太公望(たいこうぼう)
- 太公望。呂尚。周の武王を補佐して殷の紂王を討伐。師尚父と尊称される。後に斉に封ぜられて始祖となる。また、中国における軍師の始祖。
- 三軍(さんぐん)
- 大軍。上軍、中軍、下軍の三つ。一軍は一万二千五百人をいう。
- 穿鑿(せんさく)
- むだ穴をあけること。無理に探し求めること。ほじくりかえすこと。手を尽してたずねもとめる事。
- 条貫(じょうかん)
- すじみち。条理。貫はすじみちがつらぬき通ること。
- 慷慨(こうがい)
- 感情が高まって憤りなげくこと。志を得ずして嘆く意。意気盛んなこと。
- 苟免(こうめん)
- なんとか逃れようとすること。一時しのぎにごまかして困難を免れること。
- 鼎鑊(ていかく)
- 釜いりの刑のこと。
- 鉤致(こうち)
- 引き寄せる。
- 桀(けつ)
- 桀。夏の十七代目の王。暴君の代表。殷の湯王によって滅ぼされた。
- 湯王(とうおう)
- 湯王。天乙。成湯。殷王朝の始祖。賢臣伊尹を擁して夏の桀を倒した。後世に聖王として称賛される。
- 文王(ぶんおう)
- 文王。周の武王の父で西伯とも呼ばれる。仁政によって多くの諸侯が従い、天下の三分の二を治めたという。
- 武王(ぶおう)
- 武王。周王朝の始祖。太公望を擁して殷討伐を成し遂げた。
- 紂王(ちゅうおう)
- 紂王。殷の三十代皇帝で暴君の代表。帝辛。材力人に過ぎ勇猛であったが無道にしてその治世は乱れ、周の武王によって滅ぼされた。
- 闔閭(こうりょ)
- 闔閭。春秋時代の呉王。孫武、伍子胥を擁して覇を唱えるも越王勾践に破れ死す。
- 廊廟(ろうびょう)
- 朝廷。政治を行なう場所。廟堂。
- 歴観(れきかん)
- 順序にみる。次々とめぐり歩いて見る。
- 子貢(しこう)
- 子貢。春秋時代の衛の学者。端木賜、字は子貢。孔門十哲の一人。利殖に長け弁舌に優れる。孔子には「往を告げて来を知る者なり」と評された。
- 陳軫(ちんしん)
- 陳軫。戦国時代の縦横家。楚の人。楚を恐れた斉の招きを受けて楚に遊説し、斉に対する矛先を収めさせた。その際に用いた「蛇足」の比喩は有名。
- 蘇秦(そしん)
- 蘇秦。戦国時代の政治家。張儀と共に縦横家の代表。諸国を遊説して強国・秦に対抗する同盟連合を結成し、秦の東方進出を阻んだ。鶏口牛後の故事は有名。
- 張儀(ちょうぎ)
- 張儀。戦国時代の政治家。弁舌に優れ、蘇秦と共に縦横家の代表とされる。秦の恵王のもとで宰相となり、連衡策を説いて韓・斉・趙・燕に遊説し、蘇秦の合従策で結ばれていた対秦同盟を消滅させた。
- 范雎(はんしょ)
- 范雎。戦国時代の政治家。雄弁家として有名で、秦の昭襄王に仕えて宰相となり、遠交近攻策を進言して秦の伸張に貢献。范雎は人からされたことは生涯忘れず、恩には恩で報い、恨みには恨みで報いたという。
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