孫武
孫子-用間[2]
故に
五間
因間なる者は、其の郷人に因りて之を用ふ。
内間なる者は、其の官人に因りて之を用ふ。
反間なる者は、其の敵間に因りて之を用ふ。
死間なる者は、
生間なる者は、反りて報ずるなり。
故に三軍の事、間より親しきは莫く、賞は間より厚きは莫く、事は間より密なるは莫し。
聖智に非ずんば間を用ふる能はず、仁義に非ずんば間を使ふ能はず、微妙に非ずんば間の実を得る能はず。
微なるかな微なるかな、間を用ひざる所無きなり。
間事未だ発せず、而して先づ聞く者は、間と告ぐる所の者と、皆な死す。
現代語訳・抄訳
故に間者を用いるに五あり。
この五間はいずれも時宜に沿いて用い、先後の区別無くその道を知る術無し、これを
これ人君の宝とすべきものである。
因間なる者は敵国人民を用い、内間なる者は敵国官人を用い、反間なる者は敵国間者を用い、死間なる者は偽報を味方の間者をして敵の間者に伝えさせ、生間なる者は敵国を往来して敵情を探らせる。
故に三軍の事は、間者より親愛すべき者は無く、間者より賞功すべき者は無く、間者より事を秘して精密なるべき者は無し。
聖智に非ざれば間者を用いること適わず、仁義に非ざれば間者を使うこと適わず、微妙に非ざれば間者を使用してその実を得ること適わず。
その幽玄精微なること無形にして、間者を用いざる所無し。
間者のことを未だ発せざるにこれを知りたる者が在らば、間者と知りたる者と、いずれも死に処すべきの心を以て間謀の事は謹まねばならない。
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」172-174/183
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備考・解説
因間は敵国の人に因りて諜報活動を為す。
内間は敵国の内部の人間、所謂、将に近しい者などに因りて活動を行う。
反間はいわゆる二重スパイ。
死間は偽りの謀事が如何にもあるかのように軍を動かし、味方の間者を放ってこれを敵の間者に伝える。
味方の間者は偽の裏切り者となって敵内に居るが故に、死間という。
微妙は捉えがたきを捉えることをいう。
所謂、未萌を見る者であろう。
山鹿素行曰く、
倶起とは、五間いずれも其の時に従ひて用ゆ、これを先これを後と云ふことあらず、この故に五間を共におこし用ひて、彼れ其の用ひる所の道を知ること能はざるを神紀と曰ふ。
尤も人君の重宝なり。
神紀とは、神妙にして其の紀綱あるなり、と。
直解に云はく、
鬼神の事を紀するが如し、至幽至霊にして
大全に云はく、
神なる者は変化の測る莫きなり、紀なる者は
又た云はく、
紀なる者は律なり、と。
山鹿素行曰く、
郷人とは敵国の者をいへり、敵国の者に厚く
因はたよりとし、ちなむ心なり、是を因間と云ふなり、と。
山鹿素行曰く、
敵の官人男女の寵人
或ひは官人の恨みあらん者、或ひは官職を失して閉居する者、或ひは時を得ずして下位に居る者、又は材あって任用せざる者、又は詐あって両端を持する者、是れ皆な間人に用ふ可きなり。
然れども内字全く男女寵嬖人を指すなり、と。
山鹿素行曰く、
反間なる者は、其の敵間に因るとは、敵の間人来たらば、是に厚く
或ひは彼に
山鹿素行曰く、
偽たぶらかす謀を外にあらわして、我が間人に是を告げしらしめて、間人往きて敵の間人に伝ふる故に、敵これをまことと思い、其の言の如く致すとき、吾れ内々の謀、皆な是に合はざるが故に、我が間人、詐を致せるとて、ついに殺さるる、是れ死間なり。
吾が間に之を知らしめるとは、間人にも偽りなりと云ふことを知らしめ、其の心を必死にきわめしむるなり。
或ひは云ふ、間人に偽りと知らせず、其の謀をまことと知らせ遣わすなり、この故に誑事を外に為すと云へりと。
然れども死間は間の大事にして、間人、是がために死を為すことなれば、間人に知らせずと云ふこと、如何あるべきにや。
李筌、傳字を改めて待と為す、と。
山鹿素行曰く、
三軍の衆、愛子を視る如し。
いずれも親愛す可きと雖も、間人は腹心の大事を知らしめて、彼を帷幄の内にも往来せしめ、事をひそかにいたすものなる故に、間より親しむ莫きなり、と。
山鹿素行曰く、
聖は聖哲なり、さとくして物の理に通ずるなり。
智は智恵あってよく其の是非邪正を知るなり。
間人を用ゆることは、其の人を知らずしては用ひる可からず、人を知ること聖智を以て上とす、故に聖智に非ざれば間を用ふる能はざるなり、と。
山鹿素行曰く、
仁は是を親恩を厚くするなり、義は疑ひ無くよく決断するなり。
間人を使ふこと厚く賞し深く親しむは仁なり、間人往来して事を我に告げ事を彼にはかるに其の疑ふ可きこと多し、これ決断の心、正しからざるときは惑ひて使ふ可からざるなり、と。
大全に云はく、
間は詐事なり、何を以て仁義を言ふ。
今、上文を観るに、師十萬、内外騒動し、道路に怠り、事を
仁義の二字、当に此の所より
孫子遺説に云はく、
或ひと問ふ、間を用ひ間を使ふは、聖智仁義、その旨
曰く、間を用ふる者は、間を用ふるの道なり。
或ひは事を以てし、或ひは権を以てし、必ずしも人ならざるなり。
聖者は通ぜざる所無し、智者は深思遠慮、此れ聖智の明に非ずんば、
間を使ふ者は、人をして間を為さしむるなり。
吾の間と
吾、間の舟を
仁恩に非ずんば以て間の心を結ぶに足らず、義断に非ずんば以て己の惑を決するに足らず。
主、客を疑ふ無く、客、主に
秦王、張儀をして魏に相たらしめ、数年
高祖、陳平をして金数十萬を用ひて楚の君臣を離さしむ、平は楚の亡虜なり。
吾れ其の出入を問ふ無き者は、己の惑を義決するなり、と。
廣註に云はく、
上には五間少なくす可からざるを言ひ、此には五間用ひ易からざるを言ふ、重きを帰すること主将に在るなり、と。
山鹿素行曰く、
微妙は幽微にして測る可からず、精妙にして能く物をきわむるなり。
大将の心、此の如くに非ざれば、間人の実を得べからざるなり。
実とは、間人の心底の邪正、或ひは反間となりて反って我を偽るの類あるべし、彼又た間を入りて我を疑はしめ、我が心を惑わしむることあり、此の如きとき微妙あらざれば其の実を得ざるなり。
廣註に云ふ、我れ間を用ひ亦た反りて敵に使は為るを防ぐと。
案ずるに聖智仁義微妙の三事、下文の明君賢将、能く上智を以て間を為す者の意に相通ず。
所謂、伊呂の殷周に在る、聖智仁義微妙の謂ひなり、と。
山鹿素行曰く、
微哉微哉とは、深してふかきなり、間を用ひるの大節なることを称美の詞なり。
又た云ふ、微は間を用ひるの密にして其の迹を著す可からざるを云へりと、此の説亦た通ず。
間は毎事に之を用ひて、其の情をはかる故に、用ひざる所無きなり。
事の巨細無く、皆な先づ知るを貴ぶなり、と。
山鹿素行曰く、
間を用ひるの事、未だ彼が国へも遣はざるに、間の沙汰を先づ聞く者あらば、間と告げる所の者、共に罪死せしめてその口を閉づべし。
此の如く密にあらずしては謀もれて間ついに用ゆるに足らざるなり。
又た此の句によって、上文、微哉微哉は、密の義なりと云ふも尤も通ず、と。
語句解説
- 誑事(きょうじ)
- 反間。デマ工作。
- 三軍(さんぐん)
- 大軍。上軍、中軍、下軍の三つ。一軍は一万二千五百人をいう。
- 井然(せいぜん)
- 整然。乱れたところがない様。区画が正しく整っている様子。
- 嬖幸(へいこう)
- 嬖倖。君主の寵愛を受けること。
- 張儀(ちょうぎ)
- 張儀。戦国時代の政治家。弁舌に優れ、蘇秦と共に縦横家の代表とされる。秦の恵王のもとで宰相となり、連衡策を説いて韓・斉・趙・燕に遊説し、蘇秦の合従策で結ばれていた対秦同盟を消滅させた。
- 劉邦(りゅうほう)
- 劉邦。前漢の始祖。秦を滅ぼし、項羽と天下を争う。野人なれども不思議と人が懐き、「兵に将たらざるも、将に将たり」と称せられた。
- 陳平(ちんぺい)
- 陳平。前漢の政治家。謀略に優れ、劉邦のもとで頭角を現す。項羽の重臣離間を謀って范増の失脚に成功、その統一に貢献した。劉邦死後には呂氏の専横を除いて漢室を復興させた。その才気は劉邦をして「智余り有るが故に独任させるのは危い」と言わせる程であったという。
- 伊尹(いいん)
- 伊尹。殷の名相で阿衡と称される。湯王を補佐して桀を討伐。殷の礎を築く。
- 太公望(たいこうぼう)
- 太公望。呂尚。周の武王を補佐して殷の紂王を討伐。師尚父と尊称される。後に斉に封ぜられて始祖となる。また、中国における軍師の始祖。
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