孫武
孫子-用間[1]
孫子曰く、
凡そ師を興すこと十萬、出でて征すること千里、百姓の費、
相ひ守ること数年、以て一日の
故に明君賢将、動きて人に勝ち、成功すること衆に出でし所以の者は、先づ知ればなり。
先づ知る者は、鬼神に取る可からず、事に
現代語訳・抄訳
孫子が言った。
およそ十万の兵を興し、出征すること千里の遠くに至らば、百姓・朝廷の費えは日に千金が消費され、内外の労役に駆りだされて人民は往来に疲弊し、その生業を全う出来ず、その数七十万家に及ぶ。
敵と対陣して数年の長きを経て、その決戦の日が至るや一日にして決す。
この時にあたって爵位俸禄百金の財貨を惜しんで間者を用いること無く、敵の動静情態を集めるを得ざる者、これを不仁の至りといい、人の将に非ずといい、主の佐に非ずといい、勝つの主に非ずという。
故に明君や賢将の、動けば必ず勝ち、その功を成すところ衆に群を抜く所以が何かといえば、先ず知るからなのである。
先ず知る者は、
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」169-171/183
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備考・解説
七十萬家に関しては山鹿素行の井田の法を以て説くところを参考。
不仁の至りは、敵を知らずして無闇に戦い、以て士卒を死に至らしめる、故に不仁という。
故に士卒に将として統べるに足らず、主君を補佐して柱石となるに足らず、勝負を致して勝ちを得るに足らず。
全くして勝つ者に非ざれば、師を興し将に任ずるに足らず。
全くして勝つの道は、先ず己を知り彼を知り、故に百戦して危き無きを以てなり。
兵を詭道と為すのことは、然る後に致すべし、一時の
山鹿素行曰く、
間は間人なり、間はうかがふとよめり。
敵国へ往来して敵の形勢を見聞し、其のひまをうかがふものなり。
又た間隙の心に用ひて、彼ひまある所より入りて、彼をうかがふ故に間人と号す。
又た云ふ、敵人の情を離間せしむる故に此の如く名づくとも云へり。
古はこれを謀と云ひ、周官に士師は邦謀を掌る、是れなり。
戦国に間人と云へり、其の後に
太白陰経に行人と云ひ、遠くして伺ふを候望と云ひ、又た遠候と云ふ。
斥候も彼を伺ふなり、候人、軍候、候騎、是れ皆な今の物見なり。
其の人の品によって其の名に違ひあり、是れ兵法に謂ふ所の忍びのもの、目付け、かぎ、物聞の類なり。
其の所によって其の名を異にすと雖も実は是を間と云ふなり。
凡そ戦は敵の情を知らざれば勝ちを得ず、是をみること、其の形を以て之を考へ、其の言を以てさとるの法ありと雖も、間人を入りて其の実を詳らかに致すに如く可からず。
且つ又た間を以て敵の心をとらかし、其の君臣のあいだを隔て其の実を詳らかにして、而る後に兵を用ひるときは戦はずして勝つの道、自ずから
この故に間を用ひるを、此の篇に先づ知ると云へるなり。
案ずるに用間は孫子十三篇の終り為り、始計は篇頭に在りて、十三篇に冠し、用間は篇末に在りて、十三篇を括す、此の二篇は兵を用ふるの大要なり。
凡そ十一篇、件件未だ嘗て此の二篇の意無きは、所謂、己を知り彼を知り、天を知り地を知るなり。
九地篇内に敵人
李靖云はく、
按ずるに孫子用間最も下策為り。
臣嘗て其の末に著論して云はく、水能く舟を載せ、能く舟を
王鳳洲曰く、
兵を用ふる、必ず先づ間を用ひて敵情を知り、然る後に十二篇の
山鹿素行曰く、
道路に怠るとは、国内の人民千里の間、諸色用所に往来して、道路につかれ業に怠るなり。
事を操るを得ざる者とは、耕作農業を為すを得ざるなり。
七十萬家とは井田の法、八家の民を一組とす、此の内の一家が軍役を務むるときは、相残る七家、是をまかない出だす。
故に十萬の兵を出だせば、七十萬家のついへなり、是れ上古農兵の説なり、軍士皆な農民の内よりこしらへ之を出だすなり。
作戦篇、百姓の費、十に其の七を去ると云ふ、各々其の大数を云ふなり、と。
開宗に云はく、
此れ只だ
山鹿素行曰く、
凡そ戦の勝敗大なれば一戦にて興亡相極まるものなり、この故に一日の勝と云へり。
愛は情なり、爵禄は官位俸禄なり。
百金は財宝をさせり、間を用ゆるに爵禄財宝を惜しみては事なりにくきなり。
敵の情を知らずとは、間を用ひざるときは、彼が情の実を知る可からざるなり。
不仁の至りとは、財を惜しみて間を用ひずして、軍敗れ国亡び人民死す、是れ不仁の至極なり。
人の将に非ず主の佐に非ずとは、軍の大将を云へり。
此の如き不仁の至りなる人は、士卒の大将に致すべきに非ず、主人の佐たるべき人にあらざるなり。
人は士卒なり、佐は輔なり、勝つの主に非ずとは、人主を指すなり、人主は勝ちを取ることを本とす、然るに此の如きときは勝つ可きの人主に非ざるなり。
旧説に勝ちを主と為す、未だ安からず、と。
山鹿素行曰く、
古の明君賢将は、先づ知ることを貴ぶ。
先づ知るが故に兵を動かせば必ず敵に勝ち、功を成就すること衆にすぐるるなり。
先知の二字眼目たり、此の二字より下文を拈出して、間を用ひるに及ぶ、間を用ひる者は先知の事なり、と。
大全に云はく、
明君賢将既に能く間を用ひて以て敵情を知る、一動して即ち能く人に勝つ所以。
動きて勝つは、動く所に随ひて勝たざる所無きの意有り、と。
韜略全書に云はく、
凡そ兵動きて形有れば、則ち勢有り、則ち情有り、則ち政有り、則ち権有り。
其の主は則ち君と将となり。
将なる者は兵の主なり、君なる者は将の主なり、権なる者は分合なり、政なる者は法命なり、情なる者は虚実なり、勢なる者は軽重なり、形なる者は聚散なり。
此れ兵の大常、知る可きなり、而して其の変は則ち知る可からず。
故に曰く、軍行一里、必ず百里の聴有り、軍行十里、必ず千里の聴有り、明君賢将、兵未だ国門に動かずして、視聴すでに敵国に加ふと。
間を用ひずして敵数を知らんと欲するも得ざるなり、敵数を知らずして敵に勝たんと欲するも、又た得ざるなり、間者は三軍の耳目なり。
夫れ視るに垣一方を見る者は目に非ざるなり、然れども目に非ざれば則ち以て視を寄する無し。
故に明君賢将、尽く間を以て耳目と為すに非ざるなり、其の耳目は則ち之を間に寄せざる能はず、と。
山鹿素行曰く、
孫子自ら先知の二字を註解す。
鬼神は無形無声のものなり、古人是を祷り吉凶をしること多し。
鬼神を取る可からずとは、先知の道、祈祷を以てこれにてしるに非ざるなり。
事とは卜筮の象を立て考ふるを云ふ。
事を象る可からずと云ふは、先知の道、卜筮にて象を立てしるに非ざるなり。
度は天の度数なり、度数と云ふは、天のめぐり、日月五星の運行をはかり其の数を算して、其のしるしをみることなり。
度を験む可からずと云ふは、日月五星の運行を以て、是をこころみしるしとするに非ざるなり。
必ず人に取るとは、人事について考へて、而る後に敵の情明にしるるなり。
必ずしも人は間人を云ふに限らず、或ひは物見を出し、或ひは使者を遣わし、其の形迹言行をはかって、考ふるときは
又た云はく、能く敵情を知るの人を取りて以て間と為すとなり、と。
一説に云はく、
鬼神の情、卜筮を以て知る可し、形気の物、象類を以て求む可し、天地の理、度数を以て験す可し、と。
李卓吾云はく、
鬼神に取る者は、祭祀祈祷なり、事に象る者は、事類推求なり、度に験する者は、卜筮占験なり、と。
太白陰経に云はく、
敵情を星象に求む可からず、鬼神に求む可からず、卜筮に求む可からず、と。
語句解説
- 天祥(てんしょう)
- 天瑞。天がくだす、めでたいるし。
- 慶瑞(けいずい)
- 慶祥。めでたいしるし。
- 筮竹(ぜいちく)
- 占いに用いる竹製の細い棒。めどぎ。
- 亀甲(きっこう)
- 亀の甲羅。殷代において亀の甲と獣の骨を占いに用いたという。
- 日月星辰(じつげつせいしん)
- 日と月と星(水火金木土の五星を主に指す)。
- 開闔(かいこう)
- 開閉。
- 藕糸(ぐうし)
- 蓮の糸、蓮の茎、蓮の根茎にある繊維。細い連なり。きわめて小さいもののたとえ。
- 傾覆(けいふく)
- 傾け覆す。ひっくり返すこと。滅びること。国や家がくつがえること。
- 都鄙(とひ)
- まちといなか。都会と田舎。
- 郷遂(きょうすい)
- 王城外の区。
- 洶洶(きょうきょう)
- 騒ぎ乱れるさま。水の音の騒がしい様子。
- 蚊睫(ぶんしょう)
- 蚊のまつげ。極めて微小なものを喩えた言葉。
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