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孫武

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孫子-火攻[4]

夫れ戦勝せんしょう攻取こうしゅして、其の功を修めざる者は凶、なづけて費留ひりゅうふ。
故に曰く、
明主は之を慮り、良将は之を修む、と。
利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用ひず、危きに非ざれば戦はず。
主は怒りを以て師を興す可からず、将はいかりを以て戦を致す可からず。
利に合ひて動き、利に合はずして止む。
怒りは以て喜びにかへる可く、いかりは以てよろこびにかへる可し、亡国は以て存す可からず、死者は以て復た生ず可からず。
故に曰く、
明主は之を慎み、良将は之をいましむ、と。
此れ国を安んじ軍を全うするの道なり。

現代語訳・抄訳

もしも戦いに勝利して攻め取るに及ぶも、民を安んじ政道を正すを得ざる者は凶である。
これを名付けて費留ひりゅうという。
故に古語にはこのように言っている。
明主は功成るを慮り、良将は功成るを修む、と。
軍を興すに利が非ざれば動かず、功を得て修むるに非ざれば用いず、国家の大事に非ざれば戦を致さず。
人君たる者は怒りを以て軍を興すべきではなく、将たる者は私憤を以て戦を致すべきではない。
必ず利に合って速やかに動き、利に合わざれば速やかに止むのである。
慍怒うんど喜悦きえつは常に巡りて移り変わるも、国が一たび亡べば二度と存することはなく、人が死ねば再び生き返ることはない。
だから古語にはこのように言っている。
明主は軍を興すを慎み謀り、良将は戦を致すをつつしみ思う、と。
これを国を安んじ軍を全うするの道という。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」168-169/183
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備考・解説

攻め取るも安んずるを得ざれば、兵を駐屯し力を以て民を抑えざるを得なくなる、故に費留という。
利に非ざれば動かずは人君、得るに非ざれば用いずは人君の将を用いず、将の兵を用いず、危きに非ざれば戦はずは将の戦を致すの心。
始計篇に曰く「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり」と。
興すときを慎み、用いるときを慎み、致すときを慎む、然る後に為すべし。
人君は国家の体現。
国家に恥辱を得れば、怒りを生じ、その相手を撃つ心が芽生える。
然れども、怒りを以て事を起こせば遂には滅ぶ。
怒りはより外側へと向かう感情、人を責める心である。
将軍は国家の柱石。
主に命を受けて軍を統べれば、常に国家の大事を思って私情に溺れず、身の恥辱を省みずして兵の大事を思うべし。
いかりはより内側へと向かう感情、所謂、怨みである。

山鹿素行曰く、
野戦して勝ち、城を攻めて落とす、其の攻戦に利ありと雖も、其の国、其の所を取りしきて、文徳をしき政道を正してこそ、其のしるしいさをしのきわまりと云ふべし。
然らずして只だ兵を用ひて攻撃を致すのみならんには、後道には国費へ民疲れて必ず悪しし、是を名付けて費留と云ふなり。
費はついへなり、留は久しく陣し兵を外にさらすの心なり。
功無きときは日々に千金を費やして、外に師をさらす、是れ費留なり。
旧説、其の功を修むるを有功賞禄の義とせり、恐らくは未だ孫子の実を得ず、と。
山鹿素行曰く、
慮は詳らかにはかるなり、修は其の功を修むるなり。
云ふ心は、明君は軍の大事たることを知りて、能く慮って軍を外に出す、この故に良将は命を承けて働出るときは、其の功を修むるなり、と。
山鹿素行曰く、
必ず理あるべきをはからざれば兵を動かさざるなり、其の国地をとりしき其の功を得るの謀あらざれば兵を用いざるなり。
危きに非ざれば戦はずとは、我が身に已むを得ずの危難来たらざれば、戦を事とせざるなり。
此の三句、費留の義を承け、軽く師を挙げ戦を好むの良将を戒むるなり、と。
山鹿素行曰く、
人、必ず怒りて師を興す、戦争は皆な憤怒の形なり。
この故に之を戒め、此の言を以てするなり。
人君、怒りを以て師を興さざるものなり、軍将、自分のいかりにて、戦ふべからざるの戦は致さざるものなり。
怒なる者は其の外にあらはるなり、慍は怒りを含みて其の内に在るなり、と。
山鹿素行曰く、
利は勝つ可きの利なり。
云ふ心は、勝つ可く得る可きの道にかなふとき兵を動かし戦をなすなり。
然らざるときは兵を動かさざるなり、と。
左傅に云はく、
可を見て進み、難を知りて退くは、軍の善政なり、と。
尉繚子に曰く、
兵起るは忿いかる可きに非ざるなり。
勝ちを見れば則ち興り、勝たざれば則ち止む、と。
山鹿素行曰く、
孫子、丁寧反復、兵を用ひるの慎む可きを言ふなり。
云ふ心は、怒慍は当座の事にて、やがて又た喜悦にかへるべし、つねに怒り憤る者あらず、怒ることもなだむればやみ、却って喜び笑ふに至ること世以て多し。
然るに一朝一夕の怒りによって師を挙げ、其の国を亡ぼし人民を死しては、死亡のもの再び又た存し又た生ずることあらざるなり。
存亡は主にかかり、死生は戦将にかかれり。
喜は色のあらはるるなり、悦は心に得るなり。
此の一段、主将の常に座右にす可きの語なり、と。

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