孫武
孫子-火攻[3]
故に火を以て
水は以て絶つ可く、以て奪ふ可からず。
現代語訳・抄訳
故に火が兵勢を増すのは燃え盛るの明らかなるが故であり、水が兵勢を増すのは流水の激しきなるが故である。
水攻めは敵の往くを絶ち、退くを絶ち、備えを絶ち、気勢を絶つ。
水は気を奪う所以に非ず、
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」167-168/183
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備考・解説
燃え盛る火の激しきに追われる者は、その気を奪われ、流れ出づる水の激しきに阻まれる者は、その気を絶たれる。
火は徐々に陥れ、水は瞬間にして人を茫然とさせる。
激水の功は大なり、然れどもこれを用いることは難し。
故に孫子曰く「積水を
彼を知り己を知り地形を知り時宜を知る、然る後に勝利全し。
古人、水を以て兵に象る。
その勢いの大なるが故に、敵はこれを防ぐ能はず、応ずる能はず、右往左往して進退奪われ、その備えの有らざるが如し。
兵の多きを恐れるに非ず、水の量の大なるを恐れるに非ず、ただその勢を恐れるが故なり。
なお、山鹿素行は「篇を火攻と名づく、自ずから当に水を借りて以て火功の大を見るべし」と述ぶ。
火を用いることは常法なれども、水を用いることは常を得ず。
常変は表裏一体、時宜地形人によりてその功の大なるは変ずべし。
火攻を大として水攻を小とはすべからず。
山鹿素行曰く、
水火皆な攻撃の佐にして、是を以て本とするにあらず。
火の盛焼ならざるは、人の気を奪ふにたらざるなり、又た水の其の勢い弱きときは、人これに溺るることあらず。
此の故に水火を用ひて攻撃を佐くるに、其の能を盛んに致すを用ふるなり。
或説に、火攻の多くは夜にあり、故に其の明を用ひて、兵を進退せしむるなりと。
然れば火の明白なるを以て佐とするなり、旧説諸家の説尤も多し、恐らくは用ふるに足らず、と。
山鹿素行曰く、
水攻めは水を以て彼が通路を絶つにたれるなり。
絶とは水せめを用ひて是を水にひたすときは、彼が助け来るを得ず、是れ通路を絶つなり。
又たさくりぜめにいたして、其の陣営を流し供えをつき流すことあり、いずれも絶つと云ふべきなり。
以て奪ふ可からずとは、火はよく人の気を奪ふものなり、水は其の性、柔弱なるが故に、人是を恐れざるなり。
然れば水を用ひて其の気を奪ふ術はあらず、此の段によるときは、前段の明強の二字自ずからしるべし。
火は気を奪ふを以て利とす、この故に明にしてよく燃え焼くるにあり、水は以て絶つ可きなるが故に、其の勢を強くするなり。
不可以奪の四字、火の以て奪ふ可しの心を含めり。
廣註に云はく、一本、水は以て絶つ可く、火は以て奪ふ可しに作ると。
謂ふは敵、水を以て我に
智伯、
敵、火を以て我を焚かば、我れ以て之を奪ふ可し。
此の説、変字に於いて甚だ合ふ、但だ篇を火攻と名づく、自ずから当に水を借りて以て火功の大を見るべし。
水は火に及ばず、故に火に詳らかにして水に略す。
旧説、奪字を解すに其の実を得ざるなり、人の険要畜積を奪う能はずと為す、恐らくは非たり。
開宗
愚按ずるに、孫子の篇々故字を下すこと甚だ多し、而して字義一ならず、是れ古人の其の奇文を称せる所以なり、何ぞ必ず故字の照不照を論ぜんや、と。
語句解説
- 智伯(ちはく)
- 智伯。春秋時代の晋の政治家。諱は瑤。晋の六卿の一である智家の当主として実権を専横。他の六卿である范氏と中行氏を滅ぼし、趙氏を滅亡寸前まで追いつめるも韓氏と魏氏の離反によって敗亡。資治通鑑には「才色兼備で武勇に優れるも仁に欠ける」と評されている。
- 趙襄子(ちょうじょうし)
- 趙襄子。趙無恤(ちょうむじゅつ)。春秋時代の晋の政治家。晋の六卿の一である趙家の当主。末子であったがその才をみた父の趙鞅が後継ぎに定め、長子の伯魯もこれに従った。同じ六卿の智伯によって一時は滅亡の危機に瀕するも、韓氏と魏氏の離反を成功させて逆に智氏を滅亡させた。襄子は跡を譲ってくれた兄に感謝し、その血筋を自らの後継ぎに定めたという。
- 李陵(りりょう)
- 李陵。前漢の将軍。武帝に仕え、匈奴討伐を志願。兵五千を以て匈奴三万と当たり、力戦するも破れて投降。武帝に妻子一族を誅殺されたことから匈奴に帰順し、右校王になるなど重用されたという。
- 葭葦(かい)
- あし。葦は大葭。
- 鼇頭(ごうとう)
- 頭注。書物の上欄に書き込んだ注釈。鼇はすっぽん、また五仙山を背負うという大海亀。
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