孫武
孫子-九地[7]
是の故に諸侯の謀を知らざる者は、
夫れ覇王の兵、大国を伐たば、則ち其の衆の
是の故に天下の交を争はず、天下の権を養はず、
故に其の城を抜く可く、其の国を
無法の賞を施し、無政の令を
之を
之を
夫れ衆、害に陥り、然る後に能く勝敗を為す。
現代語訳・抄訳
この故に諸侯の謀るところを知らざる者は、あらかじめ友好を結ぶを得ず、地形によりて致すべき所を知らざる者は、軍を興し利を争うを得ず、その地に詳しき者を用いざる者は、その地に往くとも地の利を得ず、この三法は九地の変を為す所以である。
故に九地の変を知らざる者は、覇王の兵ということはできない。
覇王の兵が戦を致せば、大国なりとも衆を集めて抗するを得ず、覇王の兵が威を加えれば、諸侯は互いに友好を結びて対するを得ず。
この故に天下に交わりを得んと欲せず、天下に権を得んと欲せず、ただ己の持ちたる勢を以て自立し、威を敵に加える。
故に敵の城を攻むれば陥れ、その国を破るに至る。
賞罰を行い、軍令を発する、時に応じて之を致し、必ずしも常法常政なるに拘泥せず。
故に三軍の衆を戦に駆り立て闘わせるや、一人を使うが如きに致す。
士卒を一心に戦へと赴かせんとすれば、その決心を行動で示して言葉で以てすること無く、利を見せて赴かせて害を以て駆ること無し。
国の存亡、軍の存亡、いずれも士卒を亡地に投ずるが故に存するを得て、死地に陥れるが故に生を得る。
兵卒というものは、害に陥りてはじめて決死の覚悟となり、その勝敗を尽すのである。
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」158-160/183
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備考・解説
山鹿素行曰く、
此の三段の解は軍争篇の見ゆ。
重ねて此に挙げて、九地の変を詳らかにすべきことを云へり、と。
鄭友賢曰ふ、
此の三法は、皆な師を行り利を争ひ、出没往来、遅速先後の術なり。
蓋し軍争の法、専ら迂を変じて直と為し、後に発し先に至るの急なるを言ふなり。
九地の変、蓋し深く入る利害の大なるを言ふなり。
此の三法に非ずんば、
山鹿素行曰く、
四五の者は九なり、乃ち九地をさせり。
此の内、一つもかけては、覇王の兵に非ざるなり。
覇王とは諸侯一方の大将たるを覇と云ふ、乃ち五覇の類なり。
覇王は天下の諸侯の長なり、覇なる者は、
山鹿素行曰く、
不争は求めざるなり、不養は蓄へざるなり。
云ふ心は、覇王の兵を用ふるの法、其の勢は上文の如きが故に、もろもろの助けを争はず求めずして利あり、多くの勢を蓄へざれども権威大なるなり。
己の私を伸ぶとは、わきのたすけを求めずして、自分の士卒兵衆形勢ばかりをのべて、威を敵に加ふるなり。
私は一己自立して他に交はらざるの言なり、天下の交、天下の権と云ふに対せる言なり、と。
張預曰ふ(反対の解釈)、
交援を争はざれば則ち勢は孤にして助け寡し、権力を養はざれば則ち人離れて国弱し。
一己の私忿を伸べ、兵威を敵国に暴さば、則ち終に敗亡を取るなり、と。
山鹿素行曰く、
軍戦の用、常法あり定政ありて人皆な之を知り之を守る、然れども大将時に臨んで法外の賞罰を施行し、政外の令を出だすことあらざれば、三軍の実を得ることあらざるなり。
賞は人の心を励ましすすむるの用たり、この故に無法の賞と云へり。
罰も亦た此の内にこもれり、と。
大全に云はく、
常法の賞、以て衆を愚にするに足らず、今、則ち
常政の令、以て人を動かすに足らず、今、則ち号令の懸くる所、
故に人皆な感激し奮ふを思ふ、三軍の衆に
孫子遺説に云はく、
或ひと問ふ、何をか無法の賞、無政の令と謂ふやと。
曰く、軍を治め衆を御し、賞を行ふの法、令を施すの政、蓋し常理有り、今、三軍の衆を犯して、其の利害を知らざらしめて、多方敵を誤らせ、而して利に因り権を制せんと欲す、故に賞を以て常法に拘はる可からず、令を以て常政を執る可からず。
噫、常法の賞、以て衆を愚にするに足らず、常政の令、以て人を感ぜしむるに足らず、則ち賞に時有りて拘らず、令に時有りて執らざる者は、将軍の権なり。
夫れ進みて重賞有り、功有らば必ず賞す、賞法の常なり。
呉子、敵を
先庚後甲、三令五申は、政令の常なり。
武曰く、群羊を駆るが若く、往来
此れ無政の令なり、と。
山鹿素行曰く、
魏武注に云ふ、犯は用なりと。
諸家皆な之に従ふ。
直解に云ふ、犯は三軍の衆を駆りて、以て難を犯すと言ふが
大全に云ふ、干なりと。
三軍の大勢をつかふこと、一人を使ふが若し、前段の手を携へ一人を使ふが若き是なり、と。
山鹿素行曰く、
三軍の大勢に一々言にて云ひ聞かするものに非ず、致すべきのわざを為して、其の心を通ぜしむるなり。
例へば、金鼓
戦法も亦た此の如し。
大将自ら其のわざをなして示すときは、三軍言はずとも、自ずから服するなり。
古人或ひは陣中俄かに騒ぐとき、大将臥して起きず、この故に三軍自ずから静、或ひは舟を焚き竃を破るが故に、三軍自ずから必死を知る、是れ皆な事を以て言を以てせざるなり。
民は之に由らしむ可し、知らしむ可からずの心なり。
利を以てし害を以てする勿れとは、三軍を使ふこと専ら其の気を察するに在り。
この故に人情は利を見て則ち進んで勇み、害を見て則ち避けて逃れんとす。
されば告ぐに利を以てして害を以てする勿しなり、と。
山鹿素行曰く、
亡地は死地と同義なり。
但だ存亡は緩なり、死生は急なり、存亡は国家にかかり、衆にかかる、死生は人民にかかり、寡にかかる。
云ふ心は、亡ぶべき地に置くときは、詳らかに謀るが故についに存するなり。
死地に陥るときは、士卒の心一に決して戦ふが故に生きるの理あるなり。
国家の政事、軍戦の用、皆な此の如きなり、と。
語句解説
- 沮沢(そたく)
- 湿気の多い土地。沮洳(そじょ)。
- 三軍(さんぐん)
- 大軍。上軍、中軍、下軍の三つ。一軍は一万二千五百人をいう。
- 把持(はじ)
- 手にしっかり持つこと。かたく握ること。独占する。
- 賜予(しよ)
- 賜与。たまわること。上の身分の者から下の身分の者に与えること。
- 申布(しんぷ)
- 宣布。広く一般に告げ知らせること。あまねくゆきわたらせること。
- 呉起(ごき)
- 呉起。戦国時代の武将。衛の人。魯、魏に仕えて戦功を立てるも猜疑にあって出奔。楚で宰相となり隆盛。貪欲なるも兵法においては司馬穰苴にすら勝ると称された。
- 馬隆(ばりゅう)
- 馬隆。三国時代末の武将。魏、晋に仕えて武功を立てる。涼州討伐では勇士三千人を公募し、これを率いて制圧。後に東羌校尉となり、その威信は隴右を震わせるほどであったという。
- 孫武(そんぶ)
- 孫武。春秋時代の兵法家。斉の人。呉の闔閭に仕えて覇を唱えさせた。その著である「孫子」は有名で、武田信玄の風林火山は孫子が出典。
- 李愬(りそ)
- 李愬。唐代の武将。頻発した節度史の反乱鎮圧に功を挙げる。呉元済討伐においては手薄となった本拠地の蔡州へ雪の降りしきる中を長駆し、急襲して破ったという。
- 旌旗(せいき)
- 旗印のこと。色鮮やかな旗。
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