1. 孫武 >
  2. 孫子 >
  3. 九地 >
  4. 1
  5. 2
  6. 3
  7. 4
  8. 5
  9. 6
  10. 7
  11. 8

孫武

このエントリーをはてなブックマークに追加

孫子-九地[6]

九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざる可からざるなり。
凡そ客るの道、深ければ則ち専、浅ければ則ち散、国を去り境を越へてする者は絶地なり。
四通する者は衢地くちなり、入ること深き者は重地なり、入ること浅き者は軽地なり、固きを背にしせまきを前にする者は囲地いちなり、往く所無き者は死地なり。
是の故に散地は吾れまさに其の志を一にせんとし、軽地は吾れ将に之をして属せしめ、争地は吾れ将に其の後におもむかんとし、交地は吾れ将に其の守を謹まんとし、衢地くちは吾れ将に其の結を固くせんとし、重地は吾れ将に其の食を継がんとし、圮地ひちは吾れ将に其のみちに進まんとし、囲地は吾れ将に其のけつを塞がんとし、死地は吾れ将に之に示すに活きざるを以てせんとす。
故に兵の情、囲まるれば則ちふせぎ、已むを得ざれば則ち闘ひ、過ぐれば則ち従ふ。

現代語訳・抄訳

この故に将たる者は、九地の変、屈伸の利、人情の理をよくよく知らねばならない。
およそ敵国に入りて戦うの道は、深く入れば士卒の心は専一となり、入ること浅ければ散じて定まらず。
軍を興し国境を越えて以て戦を致す、その往かんとする所は尽く絶地である。
四方通じて交わり易きを衢地くちといい、敵国深く入るを重地といい、敵領に入るも国境に近きを軽地といい、険阻を背にして狭きを前にするを囲地といい、往く所無きを死地という。
この故に散地に在らばその散ずる志を一にし、軽地に在らばその浮き足立った志を戒め、争地に在らば敵の必ず救う所を撃ち、交地に在らば謹み守りて絶たれざるように致し、衢地くちに在らば諸侯との友好を固くし、重地に在らば糧食保ちて振る舞い以てその沈鬱した心を軽くし、圮地ひちに在らば一気に進みて速やかに去り、囲地に在らば既に退く所無きを示して必死の志を発揮させ、死地に在らば決戦の時なるを示して志を一にし以て速やかに戦を決す。
故に兵の情というものは、囲まれれば自然にして防がんとし、已むを得ざれば自然にして闘い、深く入れば自ずから従うのである。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」156-158/183
関連タグ
孫子
孫武
古典
<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>

備考・解説

九地の変は、先に示したる九地における用法を本とするも、必ずしも固執せず、その時々刻々について変じて利と為すをいう。
屈伸の利は、兵を用いるの動静、天時地利及び敵の虚実を察して変じて利と為すをいう。
人情の理は、士卒の心を捉えて将に従うこと赤子の如くに為さしむるの理をいう。

山鹿素行曰く、
是れ以下、九地の変法を論ずるなり。
九地の変法は発端に詳らかなり、是を反して用ゆるを変と云ふ。
屈伸の利とは、或ひは屈し或ひは伸ぶ、皆な其の利に従ひて為すを云ふ。
人情の理とは、地形の変によって屈伸の利ありと雖も、又た士卒の情に従ひて事を用ふるの理なり。
故に九地の変と屈伸の利と、人情の理と三のものを合はせて能く之を察すべきなり、と。
山鹿素行曰く、
客となって敵国へはたらき入り、境を越へて三軍を率い軍だちすることは、大節の義にあらずや、この故に絶地と云ふなり。
絶地は危絶の地なりと云ふの心なるも、これを絶地と云ひて、一名とするに非ず、国を去り境を越へていくさすることは、尤も危絶の地なり。
この故に客戦の法を慎むべきなり。
凡の字より絶地に至るまで連続して読むべきなり。
旧説に絶地を以て九地の外別に其の名を立てたりとす、この故に諸家の説多し。
若し以て別と為すときは、入深則重地也と下文にあり、是れ又た国を去り境を越へて師するなり。
故に衍文えんぶんに似たり。
且つ前篇も絶地に留まる勿れと云ふと文義又た一ならず、故に此の段の絶地は、地の名に非ず、客戦の尤も難きを指して、絶地と曰ひて、以て客るの道を戒むるなり。
遺説に、絶地を九変の外におくことを弁説べんせつすと云へども、之を信用するに足らず、と。
山鹿素行曰く、
散地において戦ふときは、士卒の志を一致せしむるにあるなり。
士卒散乱するの所以を知るときは、自ずから其の志を一にするの道明らかなるべし。
或ひは士卒妻子を思ふ心あらんには、妻子の安堵を示し、家路に心のひかれざるが如く、かねて下知あるべし。
或ひは我が城地を去ること彼が往きて返る叶ふべからざるの計を進行して、士卒の心を一になす術を用ゆる、皆な是れ其の志を一にするなり、と。
山鹿素行曰く、
軽地にして士卒の心いさみ軽きときは、彼必ず遠く出でて在家に散乱して其の心静ならざるものなる故に、堅く法を立て士卒を在々所々へうちちらさず、引き付けて一所におくべきなり。
属は連続して散ぜざるなり。
凡そ敵地未だ遠からずして味方の地を離るること近きときは、士卒敵をあなどり軽んじて、近所の山野にあそんで、其の気いさみすすむ、此の時事の不意あらば必ず敗亡に及ぶべし。
この故に良将は在家をはなれ富饒の地を遠ざかりて、士卒の志を一ならしむると云へる、皆な是れなり、と。
山鹿素行曰く、
其の後におもむかんとは、争地、敵既に奪ひて陣をとらば、彼が後ろへ兵を回して、其の糧道を絶つ、其の居城をひそかに襲ひ伐つべきなり。
然らば彼れ争地を守らんとせば、あとを取り敷るべし、後へ引き返へさば、乃ち争地を打つに利あり。
彼れ前後に我をうけて、其の気必ず半ばにして一致すべからず、この故に其の後におもむくなり。
旧説、其の後をかしむと読みて、我があと勢をとりつづくべしと注解す。
講義に云ふ、諸軍ことごとく集まらんと欲すと。
直解に云ふ、首尾をして倶に至らしむと。
開宗及び諸家の説皆な然り、此の段前後の文義、皆な我が事を云ひ、其の後も亦た吾れ後ると為すべきに似たり。
然れども前段争地は攻むる無かれの語意と一般なり。
直解の一説、武経通鑑以て敵の後と為すなり、と。
山鹿素行曰く、
交地には、彼れ必ず我を伺ひて中を衝き後を絶つあるべし。
守りて其の虚をうたれざる如く致すべきなり、と。
山鹿素行曰く、
兵法に囲師は必ずくと云へり、是れ其の心を一にせしめんがためなり。
今、我れ囲地に入りて已むを得ざるときは、彼が兵をきて置かざる処、或ひは地の逃るるに便あらん所をば、わざと塞いで、必死の志を示し、無二の一戦を為すべきなり、と。
山鹿素行曰く、
示すは三軍これを見て合点致すわざを為すを云ふ、大将も士卒と共に必死なることを示すなり。
三軍は愚にして必死までも必死を知るべからざるが故に、舟を焼き食器を捨て、小屋はらいを致し、せいを塞ぎ水の手を絶ちて、三軍必死の心を云はずとも通ずるごとく致す、是れ示すなり、と。
山鹿素行曰く、
兵の情とは、士卒の本性をさせり。
囲則禦とは、人にとりかこまれて、彼に致しかけらるれば、乃ち是れを防ぐの情出るなり。
逃がるるに所無きときは、已むを得ずして戦の情出るなり。
過とは甚だ深く彼の地に入るなり。
深く危難の地にきて陥れば、則ち進退是非皆な大将の下知に従ふ、是れ皆な士卒の情自然なり。
以上第六段なり。
初めには九地の変を云ひ、中ごろ其の屈伸を云ふ、末句に兵の情と云ふ。
是れ乃ち発端九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざる可からざるなり。
孫子奇文多し、此の段初め其の要領を挙げて、下に其の事を謂ふなり、と。

語句解説

衢地(くち)
四通の地。衢はちまた、わかれみち、旁出するもの。孫子九地篇を勘案するに「要地」の意か。
圮地(ひち)
くずれた地。孫子には山林険阻沮沢など凡そ行き難き道、とある。
衍文(えんぶん)
誤入の文。誤って書き入れられた文。
弁説(べんせつ)
議論すること。論証。意見が正しいかどうかを明らかにすること。
<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>


Page Top