孫武
孫子-九地[4]
故に善く兵を用ふる者は、
率然なる者は、常山の蛇なり。
其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾
敢へて問ふ、
率然の如くならしむる可きか、と。
曰く、
可なり。
夫れ呉人と越人と相ひ
是の故に馬を
勇を
故に善く兵を用ふる者は、手を携へて一人を使ふが
現代語訳・抄訳
故に善く兵を用いる者は、例えるならば率然の如きものである。
率然とは常山の蛇をいう。
常山の蛇は、その首を撃てば速やかに尾が至りてこれを救い、その尾を撃てば速やかに首が至りてこれを救い、その中央を撃てば速やかに首と尾が共に至りてこれを救う。
敢えて問う、
兵を用いるには率然の如くに致すべきであろうか、と。
答えて曰く、
致すべし。
呉越は互いに
この故に馬を並べて車輪を埋め、以て進退を封じて往く所無きに投ずるに似せるが如きは、恃むに足らず。
三軍の士卒いずれも勇に赴かせて一体とするは軍の政であり、剛勇なる者も柔弱なる者も皆な志を一にして事に当たるは地の理である。
故に善く兵を用いる者は、手を携えて一人を使うが如くに致す。
これ士卒を以て已むを得ざるに至らしめるが故である。
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」153-154/183
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備考・解説
呉越同舟の例えは、往く所無くして困難に出会えば自然にして心は一となり、その眼前の困難にひるむことなく立ち向かうことをいう。
故に善く兵を用いる者を以て、已むを得ざるに至らしめる者と説く。
已むを得ざるに至らしめるは、往く所無きに投ずるの道を以て士卒を一体とし自由自在に用いるに至るをいう。
これ前段の客たるの道に通ず。
形だけ進退拘束して以て戦わせるも、士卒を使うに往く所無きの道を以てせざれば、その功少なし。
士卒の心を奪いて一と為すは本なり、形を以て向わせるはその次なり。
政の道ありて然る後に地の理のあるを思うべし。
山鹿素行曰く、
率然は速やかにして其の理に当たるなり、急率の事に遇ふと雖も、自ずから其の備へあるを云ふ。
率はにわかなり、然は備へ有るなり、にわかにありて少しも乱れず、其の理に当たるなり。
率然と云ふは、常山の蛇の号なり。
此の蛇は人来たりて首を撃つときは、其の人の退くうちに尾至りて之を救い、尾を撃つときは首至りて是を救い、其の中を撃つときは、首尾倶に至りて救ふ。
其れ神速にして能く相救い、能く相応じて、少しも図ののぶることなし、是の故に此の蛇を率然と云ふなり。
云ふ心は前後左右一體なるときは、其の通知する所、神速にして其の及ぶ所、率然なり。
一身の内、少しのいたみかゆみをも
一身に不仁なる処あるときは手足心神通じず、況や陳を設け兵を備へて、場をへだて所をさり、衆寡其の用をたがふときは、左右救ふを得ず、前後相助けざるの義、勿論なり。
此の一章言々皆な尽く要なり、学者尤も熟読すべきなり、と。
八陣図に云ふ、
後を以て前と為し、前を以て後と為し、四頭八尾、触れる処、首と為る。
敵、其の中を衝かば、首尾倶に救ふ、と。
晋の桓温、孔明の魚腹、平沙に塁石文を為し、縦横皆な八なるを見て云ふ、
常山の蛇の勢なり、と。
李卓吾云はく、
率然なる者は、率然として自ら至るなり。
手足の頭目を
方馬は魏武云ふ、方は馬を縛するなりと。
馬を結いつけて走り去らざる如くするなり。
埋輪は車の輪を埋むなり。
云ふ心は、車を引く馬をはなれざる如くに結いつけておき、車の輪を地に埋む、皆な是れ車戦の時の不動不退しむるの術なり。
たとへ此の如く致しても、士卒をつかふて往く所無きに投ずるの道を以てせざれば、是にて敗れざるとはいわれざるなり。
然れば是を恃みに致すことにあらざるなり。
又た云ふ、方は放なり、車につけたる馬を解き放して、車を引くものなき如く致す、是れ又た退かしめざるなりと。
又た云ふ、方は並なり、淮南子説山訓に、車を方へて越に
漢書韓信伝に、車、軌を方ふるを得ずと、師古云はく、併列なりと、しかれば方馬は車を駕の馬を方列するなり、此の義尤も通ず。
又た云はく、方は
縦に馬を連縛し方の如くならしむるなり。
遺説に縛して之を方すと云ふ者は、武の本辞に非ず、蓋し方は当に放字に作るべし、と。
山鹿素行曰く、
斉勇とは、三軍の内、怯者あり柔者あるべし、而して残らずこれを勇者ならしむるは、兵の政にあり、政は軍政なり。
剛柔皆な得とは、地の利を得て士卒専一なるときは、剛柔皆な志を一にして勝ちを得るなり。
理は地によって士卒其の利を得るなり。
勇怯は勢なり、この故に政の道なり、剛柔は即ち強弱にして形なり、是の故に地の理といへり、と。