孫武
孫子-九地[3]
凡そ客
之を往く所無きに投じ、死すとも
死せば
兵卒甚だ陥らば則ち
是の故に其の兵修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信ず。
吾が士に
令を発するの日、卒の坐する者は
之を往く所無きに投ぜば、則ち諸、
現代語訳・抄訳
およそ敵国を攻めるの道は、深く入れば味方の心一にして必死の志あり、敵は心散ずるが故に勝たず。
五穀豊穣を得て糧食の助けとし、士卒を謹み養いて疲弊なく、気を一にして力を満たし、兵を用いること自由自在にして計謀するところ敵は知る術無し。
士卒を往く所無きに投ずれば、死すとも勝手に退かず。
死を覚悟せば、どうしてその力を尽さぬということがあろうか。
兵というものは、甚だ陥れば必死となりて恐怖せず、往く所無ければ結束して乱れず、入ること深ければ専一にして散ずる無く、已むを得えざれば決死の覚悟で闘いを致す。
この故に、その兵は修めずとも自ら戒め、求めずとも自ら為し、約さずとも自ら親しみ、令せずとも自ら信ず。
迷信を禁じて惑いを去り、死に至るまで戦に心を馳せさせる。
死地に及びたる兵士は財宝を思わず長寿を思わず、これ財宝長寿を
決戦の日を定めて発令す、士卒の心は万感極まり、座する者は涙で襟を潤おし、臥したる者は涙で頬を濡らす。
これを往く所無きに投ずれば、
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」150-153/183
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備考・解説
死地にありて余財を思わず、余命を思わず。
多くの死に直面し、己の生を思い、志半ばにして散った仲間を思う。
その背負うところの大なること、文世に生まれた我等に知る由無し。
死生を尽くして至るの日、涙を流して之を聞く。
恐れるに非ず、悲しむに非ず、ただ遥かなる日の至るを知りて、尽くしたる日々を思うのみ。
その日至りて悲喜有らず、ただ、その鼓動を感ずるのみ。
山鹿素行曰く、
客は敵国へ入るを云ふ、主は我国に居りて待つをいへり。
深く入れば則ち専とは、敵国へ働き入ること深きときは士卒の心専一にして必死の志あり。
其の上客は行きて打つが故に勢気盛んなり。
主はまちて居ながら戦ふ故に、士卒の志一ならず、ここを以て主人
山鹿素行曰く、
敵地へ動き入るときは糧道利ならざるものなるが故に、彼が国地の内、富饒の所を見聞して、先づ是れを掠め取りて其の地にたより、三軍の糧食不足なきことを心得べきなり。
謹み養ひて労無しとは、士卒の養ひ有余不足について、兵気の労佚、大にかわるが故に、養に謹の字を用ふるなり、と。
山鹿素行曰く、
往く所無きとは、地形に限らず、其の大将の下知備たてを以て兵士、後へ引くこと叶わざるがごとくならしむるを云へり、と。
山鹿素行曰く、
修めずして戒むは、大将の戒を待たずして、自ら戒む。
此の如くに致したきと大将の求むる処、兵士自ら是を為す、是れ求めずして得るなり。
約をなさざれども親しみ、下知法度を致さざれども、能く将の下知を信ずるなり、と。
武徳全書に云ふ、
此の四句は皆な深く入れば則ち専なるを言ふ、と。
山鹿素行曰く、
祥は妖怪なり、吉凶妖言と云ひて、あやしきことをいい、人心を惑はすことをば堅く禁ずべきなり。
三略に
疑は三軍の惑い疑ふことなり、是を悉く去り捨つるなり。
云ふ心は、三軍は其の心一ならざるが故に、少しのことに惑い疑ふて衆心定まらざるものなり。
況や深く入りて必死の地に居るときは、少しの惑い疑ひにも其の心遅るるものなる故に、
山鹿素行曰く、
令発の日とは、戦の日を定め時を定めて、大将新たに軍令を出して、必死の戦を示すの日なり。
坐する者は涕で襟を
偃臥はのびて臥すなり。
是れ士卒必死の志をきわめ、今日をかぎりに思ふ故に、各々感歎して落涙に及ぶなり、と。
張預曰く、
之を感激す、故に
未だ戦はざるの日、先づ令して曰く、今日の事、此の一挙に在り、若し命を用ひずんば、身は草野を
或ひは曰く、凡そ軍を行り士を
若し
答へて曰く、先づ其の死力を決し、後に其の鋭気を激せば、則ち勝たざる無し。
山鹿素行曰く、
諸は専諸なり、呉人にして勇者なり。
或ひは云ふ、
案ずるに
且つ容斉随筆に云ふ、胡非の言に云ふ、斉の威公、魯を以て南境と為す、魯の之を憂ふ
語句解説
- 饒野(じょうや)
- 沃野。豊穣の地。
- 三軍(さんぐん)
- 大軍。上軍、中軍、下軍の三つ。一軍は一万二千五百人をいう。
- 偃臥(えんが)
- ねころぶ。うつぶして寝ること。横になって寝ること。
- 専諸(せんしょ)
- 専諸。呉王闔廬(こうりょ)に仕えた勇士。身を捨てて呉王僚を刺殺し、闔廬の即位に貢献。闔廬は死んだ専諸の子を上卿に取り立てた。なお、このとき用いた短剣は、魚の中に潜ませていたことから後に「魚腸」と呼ばれるようになる。
- 曹劌(そうけい)
- 曹劌。春秋時代の人。国家の危機に立ち上がって参謀となり、斉の大軍を退けた。春秋左氏伝に「三鼓」の逸話がある。史記に登場する曹沫と同一人物との解釈も存在するが、春秋左氏伝の荘公十年にある逸話の人物像からするとかけ離れているという説もある。
- 巫祝(ふしゅく)
- 神に仕えて祭事や神事をつかさどる者。巫女。
- 厲祥(れいしょう)
- わざわいの祥。よくないしるし。
- 荊軻(けいか)
- 荊軻。戦国時代末期の勇士。強勢を誇っていた秦王の政(後の始皇帝)を暗殺するために降伏の使者と偽って接近、匕首を以て実行するも失敗し、柱にもたれて罵笑して死亡。秦へと旅立つ際には「風、蕭蕭(しょうしょう)として易水(えきすい)寒く、壮士、一たび去りて復(ま)た還(かへ)らず」と詠い、見送る者は皆な涙を流したという。
- 曹沫(そうかい)
- 曹沫。春秋時代の魯の将軍。斉の桓公との講和の際に、桓公に匕首を突きつけて脅し、奪われた魯の城を全て返させることに成功した。曹沫は桓公が承諾すると、速やかに群臣の列に戻り、平然として顔色一つ変えなかったという。
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