孫武
孫子-九地[1]
孫子曰く、
兵を用ふるの法、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、
諸侯自ら其の地に戦ふ者を、散地と為す。
人の地に入るに深からざる者を、軽地と為す。
我れ得るに亦た利あり、彼れ得るに亦た利あるを、争地と為す。
我れ以て往く可く、彼れ以て来たる可き者を、交地と為す。
諸侯の地、
人の地に入ること深く、
山林険阻
由りて入る所の者は
是の故に散地には則ち戦ふ無かれ、軽地には則ち止まる無かれ、争地には則ち攻むる無かれ、交地には則ち絶つ無かれ、
現代語訳・抄訳
孫子が言った。
兵を用いるの法に九地あり。
散地、軽地、争地、交地、
諸侯その居城に在りて戦うが如くに城下近郊の地、これを散地という。
軍を興して敵領に入るも未だ自国に近き地、これを軽地という。
敵味方どちらも得れば利あるの地、これを争地という。
平易にして我れ往くに易く、敵もまた来たるに易き地、これを交地という。
四方通じて交わり易く、天下の衆を得るに相応しき要地、これを
敵領に入ること深く、敵城を抜いて至るの地、これを重地という。
山林険阻湿地帯にしておよそ進み難き地、これを
入るに狭く出るに遠くして進退に利無く、寡兵を以て多きを撃つに相応しき地、これを
速やかに戦いて去らざれば絶体絶命となるの地、これを死地という。
この故に散地には戦わず、軽地には止まらず、争地には攻めず、交地には絶たずに保ち、
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」145-148/183
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備考・解説
散地は城下近きが故に家路を思いて士卒の心散ず、よって戦うに利無し。
軽地は自国近きが故に望郷の念が募りて進み難し、よって止まらずに進むべし。
争地は地利あるが故にこれを取ること難し、よって先を越されたならば攻めずに引き出し、誘いに乗らざれば去るべし。
交地は交通の便ありて糧道に利あり、よって敵に絶たれぬように心掛けて保つべし。
重地は敵国深くして自国遠く兵士の心は重し、よって糧食財宝を掠め取りてその心を軽くすべし。
死地は久しく居れば糧道絶え心は萎えて利あらず、よって志を一にして速やかに戦を決すべし。
※軽地は、軍を興したばかりなるが故に戦を致す前の妙な高揚感、浮き足立った心をいうと解した方がいいかもしれない。
山鹿素行曰く、
九地は、兵を用ふるの地に九の品あることを云ふなり。
地形篇は、地にきわまりて其の形あることを云ひ、九地は地形六の内より変して九品にわかるなり。
而して地形は知の形によって兵を用ふるなり、九地は兵を用ふるに地の変九あるなり。
然れども両篇皆な通用して熟読すべきなり。
孫子の兵を論ずる事、此の篇を以て終りと為す、この故に篇内において主客の勢を詳らかにし、兵を用ふるの用法を尽せり。
後学者、之を忽せにすべからざるなり。
直解講義開宗皆な云ふ、前篇は形を謂ひ、此の篇は勢を謂ふと。
案ずるに前篇発端に地形を曰ひ、此の篇は用兵の法を曰ふ、両篇の同異、此に見るべきなり、と。
蘇老泉曰く、
上に地形の常を言ひ、此に地勢の変を言ふ、言尤も懇切、と。
王鳳洲曰く、
戦を欲するの地に九有り、善く兵を用ふる者は能く機に随ひて変化す、と。
袁了凡曰く、
九地に定形無し、散地軽地と雖も、亦た死地と
此の篇、大旨総べて之を亡地に投じて然る後に存し、之を死地に陥れて然る後に生ずの二句に在り。
三の已むを得ざるを
又た云はく、
前篇、地形の二字を以て起す、形は地に生ずる者なり。
此れ兵を用ふるの法の四字を以て起す、地は兵に生ずる者なり、と。
大全に云はく、
六地は言ふ所の
然れども総べて一地形に出でず、総べて将と為りて地を知るの要務に属す。
此れを知り未だ彼を知らざる者有らざるなり、此れを知らずして今だ彼を知る者有らざるなり。
作文総べて将の心の明上に係る、と。
又た云はく、
問ふ、地形に九有り、其の実は何如。
而して其の地に随ひて以て宜しきを制する者、其の事又た何如と。
答ふ、地形に九有りと雖も、其の理は利に合ひて動き、利に合はずして止むに外ならず、両言以て之を尽すに足れり。
将、能く地に随ひて以て宜しきを制せば、則ち不利を転じて利と成すべし、将、地に随ひて以て宜しきを制する能はずんば、即ち利亦た変じて不利と為る。
其の実、其の事、総べて将の霊明に操す、と。
山鹿素行曰く、
自ら其の地に戦ふとは、居ながら我が居城の近所において、敵を防ぐなり。
散は士卒の心散り易く一定せざるを云へり、兵法に、城根の合戦と号する是れなり。
我が城下居所の近くにて、敵をささえるときは、士卒家をかえりみ心あとへちりやすし。
妻子を思い家地をかえりみ気遣ふこと多し。
其の上、家に近ければ、或ひは遅く戦場に出で、或ひはひそかに戦場よりかへり、又たは敵跡の家宅を乱取放火などいたすと聞いては、
此の故に衆心一決せざるなり、と。
山鹿素行曰く、
軽は人心軽速にして重からざるなり。
云ふ心は、敵地へ入ること未だ深からざるときは、味方の地に近きが故に、士卒の心軽く速やかにして、はやりおのものいさみたかぶりて敵を侮る、この故に軽地と云ふなり。
凡そ初めて軍をたち、敵間遠きときは、人皆ないさみ敵を軽くして、其の心重からざるは常なり、と。
山鹿素行曰く、
争地は、よき見切り場あって、此の地に先居るもの勝つことを得るべきの地なり。
是れは敵も先ず取らんことを欲し、我も亦た是を得んことを欲す、この故に互ひに相ひ争ふの地なり。
この地を得るものは戦に利あるべきが故なり、と。
山鹿素行曰く、
三属とは、其の地中央にあって、一方は我が方に続き、三面は三方へ続き道のちまたの所なり。
此の如き地は先づ至りて其の地をとりしくときは、三方の諸侯自ずから相従ふべき地なり。
諸侯相従ふときは、天下の衆を得るなり、と。
天下と言ふ者は、助を広くせば則ち天下を従ふ可きを謂ふ、と。
山鹿素行曰く、
敵国へ深く働入し、彼が宿城城地を多く越へ行きたるを重地と云ふなり。
此の如き地にては、味方の兵士心一になりて大事に存し、軽散軽忌の思ひなきものなり。
故に重地と云ふ、と。
杜佑云ふ、
背は去なり、背は倍と同じ、道里多きなり。
遠く己の城郭を去り、深く敵地に入るなり、と。
山鹿素行曰く、
凡そ行き難きの道とは、山林等に限らず、総じて押し行くに難き所を
九変に謂ふ所の
開宗に云ふ、行けば則ち難きに従ふ、況や戦守をやと。
全書に亦た云ふ、八篇に謂ふ所の
講義直解通鑑は皆な云ふ、九変と同じ、と。
山鹿素行曰く、
敵小勢にても我が大軍を打つに利あるの地なり。
山川めぐり林木おおふて、とりかこまれたる如くなる地形故に、囲地と云ふなり。
又た云ふ、敵にとりかこまるべき地をも云へり、と。
山鹿素行曰く、
九地、孫子自ら其の名を解すなり。
此れ地に定形あらず、兵の用法によって其の名かわれり。
変じて用ゆるときは各々其の名を異にす、この故に地の変とするなり。
是れ九地と地形と同じからざるの故なり。
旧説此の九つに地の形を定むるは非なり、と。
山鹿素行曰く、
散地は人心散じやすきが故に、戦うべからざるなり。
軽地は人心軽くして静まらず、故に深く入りて陣すべし、軽地に止まる無きなり。
凡そ士卒、気軽きときは重くし、重きときは軽くすること大将の抑揚なり、と。
山鹿素行曰く、
敵既に争地をとりしぐときは、是を攻む可からざるなり。
交地には段々にあと勢をのこして糧道を利すべきなり。
絶つ無かれとは、あとを敵にとり切るることなかれと云ふの心なり。
又は所々にかきあけ陣城をかまへて、あとをとりきられざるごとく我が兵をとりつづくるを云ふなり、と。
山鹿素行曰く、
四方通達して地のちまたなるは、先づ至りて隣国のよしみを結び、援兵のたよりをなし、交をあつくして、我に諸侯を引きつくるごとくすべし。
九変に出ると同意なり。
重地は兵士の心沈重にして軽からず、故にわざと乱取を致し、民家の財宝糧食等を奪い掠めて、其の気を軽くいさましめよとなり。
掠とは、乱取刈田等の類なり。
旧説に掠を以て畜積を掠めて以て食を継ぐの義と為す、未だ安からず。
李筌、掠字を以て掠める無しの字と為す、言ふは、非義人心を失ふ可からざるなり。
案ずるに皆な孫子の本意に非ざるなり。
兵の道は衆心を察し百務を施す、故に其の気軽ければ則ち以て重くし、重ければ則ち以て軽くす、是れ将の其の気を察するなり、と。