孫武
孫子-地形[2]
故に兵に走る者有り、弛む者有り、陥る者有り、
凡そ此の六者は、天地の災に非ず、将の過なり。
夫れ勢均しく、一を以て十を撃つを
卒強く吏弱きを
吏強く卒弱きを
大吏怒りて服せず、敵に遇ひ
将弱くして厳ならず、教道
将、敵を
凡そ此の六者は、敗るの道なり、将の至任、察せざる可からざるなり。
現代語訳・抄訳
故に兵に六敗あり。
走る者有り、弛む者有り、陥る者有り、
およそこの六者は、天地の災いに非ず、将の過失である。
地利衆寡形勢いずれも均しくして力量足らざるに十倍の敵に挑む、これを走という。
士卒強くして部隊を率いる者弱ければ統御できず、これを
部隊を率いる者強くして士卒弱ければ続かず、これを
将軍が大将に怒りて服さず、敵に遭遇して怨んで勝手に戦い、故に大将は前線の行方を知らず、これを
大将、柔弱にして威儀あらず、教戒の道は明らかならず、士卒将校に規律及ばず、兵を陣列するに整然ならず、これを乱という。
大将、動静衆寡強弱を察するを得ずして敵を知らず、少なくして多きと出合い、弱きを以て強きを撃ち、精兵の一団を備える無くして耐えず、これを
およそこの六者は、将の過に因りて敗亡を取るの道、将たる者の最も務むべき所、よくよく知らねばならない。
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」140-142/183
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備考・解説
士は己を知る者の為に死す。
一軍を率いるだけの将なれば、その志大なり。
鬱憤溜まりて死に場所を求める、短慮ありと雖も愛すに足るべし。
その激情を正に帰せば、感激してその人生を国に捧ぐ。
総大将たる者の、よくよく心得べきところなり。
選鋒は二説あり。
一は先手に精兵を備えること、もう一つは精兵の一団を備えて破れるを救い堅きを撃つ。
詳細は後述備考を参照。
袁了凡云はく、
地に六形有り、兵に六敗有り、先づ
末段之を発明し、総べて地形なる者は兵の助の句意に出でず、と。
廣註に云はく、
地の利を得れば、尤も必ず人の用を得る。
故に兵形を述ぶ、と。
山鹿素行曰く、
走は戦を待たずして敗走するなり。
凡そ一にて十を撃たば地利天時兵の形成、彼が十にまさる処あらざれば戦ふべからざるなり。
然るに一旦の怒り一時の怨み一事の手段を恃んで、一を以て十を撃つは、大なる将の誤りなり、と。
山鹿素行曰く、
崩は山の崩れるが如く、上より下に墜つるを崩と曰ふなり。
開宗、服せざるを以て衆心の服せざると為すは非なり。
講義直解皆な其の上に服せずと為し、通鑑は大将怒りて小将服せずと為す。
一説に将の字を平声と為す、然れば乃ち助辞なり。
山鹿素行曰く、
目に見え、人の云ふことばかりを信じて、其の実を知らざるを料と云ふ。
料は計算度量せしむるなり。
計算度量全からざるが故に、少を以て衆に合ひ、弱を以て強を撃つなり。
選鋒とは大勢の内より、力量勇猛のものを選んで、以て先手と為すを云へり。
諸手いづれも甲乙選用すべき無しと雖も、戦は先手を第一とす。
三軍は気を以てするにあるが故に、先手大に敗るれば、ついで勝事を得ざるものなり。
故に先手を選鋒と号するなり。
北はにぐるとよめり、敗北の義なり。
人、面以て南と為し、背以て北と為す、北は背をみするの心なり。
一本背に作る、同義なり、と。
杜牧曰く、
李靖の兵法に戦鋒隊有り。
言ふは、
尉繚子云はく、
武士選ばざれば、則ち衆強からず、と。
通鑑に云はく、
兵に選鋒無きは、是れ才能を用ひず、精鋭を択ばず、腹心を用ひず、
少を以て衆に合はせ、弱を以て強を撃ち、又た精鋭なる者の前鋒に為る無く、敵に遇ひて其の奔走せざるを欲するは、難し、と。
山鹿素行曰く、
案ずるに選鋒は、えりうちの兵の総名なり。
えりうちの兵と云ふは、よき兵士をあつめて一陣とし、大将の近所に備へ置きて、其の戦の弱手を救い、敵の堅陣を破り、敵の大将をうたしむ、是を選鋒と云へり。
此の段の選鋒は、先手の心に用ゆと雖も、又たえりうちの心に用ふるも可なり、と。
直解云ふ、
凡そ軍皆な選鋒有り、
斉に之を
皆な選鋒の名なり、と。
山鹿素行曰く、
六敗、第一に力量在り、第二に一手一手の奉行、士卒のつりあいを知るに在り、第三に将と吏と和するに在り、第四に内を治むるに在り、第五に将の料知に在り、と。