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孫武

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孫子-行軍[5]

兵は多きを益すを貴ぶに非ず、惟だ武進ぶしんする無し。
以て力をはせ敵をはかり人を取るに足るのみ。
夫れ惟だ慮り無くして敵をあなどる者は、必ず人にとりこせらる。
卒、未だ親附しんぷせずして之を罰せば、則ち服せず、服せざれば則ち用ひ難きなり、卒、すで親附しんぷして罰の行はれざれば、則ち用ふ可からざるなり。
故に之を令するに文を以てし、之をととのふるに武を以てす、是れを必取ひっしゅと謂ふ。
令、もとより行はれて以て其の民を教へば、則ち民服し、令、素より行はれずして以て其の民を教へば、則ち民服さず。
令、素より行はる者は、衆と相ひ得るなり。

現代語訳・抄訳

兵は多勢なるを貴ぶに非ず、また専ら勇猛果敢なるを事とするに非ず。
将士その志を一にして力を合わせ、敵の形勢を詳らかにしてその動静を察し、人心を掌握して手足の如くに動かすに至る、然る後に初めて兵を用いるに足るのみ。
故に勝つべきの道を慮らずして敵を侮る者は、兵多くして勇猛なりとも必ず敵に生け捕られる事となる。
士卒が将に親しまざるうちに罰を以て律せんとすれば、心服せずして不和となり、これを用いること難し。
士卒が既に親しむに至るも罰を以て律すること無ければ、規律を失いて用に立たず。
故に士卒を従わせるには文治を以て本とし、士卒を戒め律するには武威を以て実行す、これを必勝を取るの道という。
法令が普段から行なわれ守られているならば、民衆は命に服してこれを守り、法令が普段から行われず守られずにいるならば、民衆は決して服することはない。
法令が普段より実行され守られている者、これを衆とその心を一にする者という。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」134-136/183
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備考・解説

三略に曰く、
夫れ主将の法は、務めて英雄の心をり、有功を賞禄し、志を衆に通ず、と。
人を取るに関して山鹿素行曰く「英雄の人を選びてその心を取るなり」と。
相通ずというべし。
文武の文は自ずから従わせることで、武は反した者を罰して規律を正すこと。
司馬遷曰く「礼は未然の前に禁じ、法は已然の後に施す」と。
未然の前に禁じて自ずから行なわせざるは文、禁じたることを為す者あれば之を罰するは武。
文は心を養い、武は法を行う。
孫子始計篇に曰く「法令いづれか行はる」と。
これ七計の一なり。
功は賞し、罪は罰す、これを忽せにすれば定まる無く、志を衆に通じたるとも、実行せざれば利を得る無し。
通ずれば既に行わる、知行合一の所以なり。

山鹿素行曰く、
凡そ愚者は多かど一にも多からんことを好み、戦は我れ先にと進んで勇猛を奮うことを第一と致すと思ふ、この故に此の一段をしるして戒むるなり、と。
山鹿素行曰く、
人を取るとは、英雄の人を選びて、其の心を取るなり。
云ふ心は、大軍なりとも下知整はずして、人々の心一致せざるときは、益々多いほど却って害たり。
猛勇甚だしと云へども、大勢の内より五人十人出でて其の力をあらわしたらば、勝の道にあらざるなり。
多力と号して人多く集まり、一様に力を出だせば、事必ず成るなり。
此の二つ亦た将選びて之を用ひざれば、其の利を得ざるなり。
力を併せ敵を料り人を取るの六字、尤も眼目たり。
一説に人を取るは、敵人を取るなり、勝を得るの意なり。
下文、必ず人の擒せらるの四字に引き合わせてみるときは、人を取るの字、敵人を取るの説、亦た通ず、と。
大全に云はく、
兵の貴ぶ所の者は、勝ちを取るに在り。
兵多くして能く勝ちを取る、多きは猶ほ可なり。
若しいたずらに其の数を増益して、以て軍容を壮にし、而して力を併せ敵をはかり以て勝ちを人に取る能はざれば、兵多きも何の益あらんや。
故に貴ばず、と。
又た云はく、
力を併はすは、即ち下文の、令するに文、ととのへるに武、士卒を親附しんぷする是れなり。
敵を料るは、即ち上文の、敵をるの三十二事是れなり。
人を取るは、即ち下文の、慮り有りて持重するの人なり、と。
李靖曰く、
凡そ将は先づ自ら愛して士に結び、然る後に以て刑を厳にす可し。
若し愛未だ加はらず、而して独り峻法しゅんほうを用ひば、さだまることすくなし、と。
又た云はく、
愛を先に設け、威を後に加ふ、と。
韓信云ふ、
我れもとより士大夫を拊循ふじゅんするを得るに非ず、と。
山鹿素行曰く、
所謂、市人を駆りて戦ふ、所以ゆえに之をして背水せしめて、其の人人をして自ずから戦はしめしのみ。
田穰苴でんしょうじょ云ふ、臣、と卑賊、士卒未だ附かずと。
是れなり、と。
李卓吾云はく、
卒の未だ親附しんぷせずして、之を罰せば則ち服せず、服せざれば則ち用ひ難し云々。
然れば則ち罰を行ふ者は武なり、必ず先づ吾れ士卒をして親附しんぷせしむる者は文なり、是れ行軍篇中の要語に非ずや。
尉繚子の云ふ所の若きは、是れ或ひは一道のみ。
後世唯だ揚素専ら尉繚子を用ひて勝ちを取る、恐らくは萬世通行の道に非ず。
王者の師、必ず須らく之を司馬法、李衛公併せて呉起、魏の武侯に告ぐるの語に参ず、乃ち是れ孫子の正法なり。
後学尤も宜しく之を参考して忽せにする無かるべし、と。
尉繚子云ふ、
兵は武を以て植と為し、文を以て種と為す。
武を表と為し、文を裏と為す、能く此の二者を審らかするは、勝敗を知るなり、と。
大全に云はく、
問ふ、七書に文武と称する所の者一ならず。
令文斉武と曰ふ者有り、修文治武と曰ふ者有り、文種武植と曰ふ者有り、文武惟王二術と曰ふ者有り。
其の立言発義の同意如何と。
答ふ、文武の二字同じと雖も、立言発義の旨は、則ち各々指す所有るなり。
故に令斉は温和整粛せいしゅくの意有り、軍を治むるを以て言ふなり。
修治は徳をたっとび威を尚ぶの意有り、国を治むるを以て言ふなり。
種植は経緯けいい表裏の意有り、本末を以て言ふなり。
文武二術は籠絡顛倒の意有り、人を官するを以て言ふなり。
豈に各々指す有るに非ずや、と。
又た云はく、
令文斉武は、士卒を教令して、之をして内の心に感じて、外に法を畏れしむる所以の意。
修文治武は、言を人主に進めて、其の内の君徳を修め、外に武備を治むる所以の意。
武植文種は、将の能く鋒を衝き敵を破り、旗をき将を斬り、乃ち其れ武にしてはかりごと帷幄いあくの中にめぐらし、奇謀変化乃ち其れ文、必ず文有りて後に武を重んずるに足るを言ふ、故に種植と言ふなり。
文武惟王の術に至りては、帝王の人を用ひ、天下の人才を収羅するに、文に非ざれば即ち武、武に非ざれば即ち文の二術なるを言ふなり、と。
山鹿素行曰く、
令素行と云ふは、上下の心相ひ和し、上の心衆と相ひ得て、これを令素行と云ふなり。
始計篇に謂ふ所の道なり。
此の如く上下相ひ和するを文道の行はるると云ふなり。
平生の道、此の如くならざれば、軍に臨んで其の教へ通ぜざるものなり、と。
山鹿素行曰く、
孫子の本意、令素行に在るのみ。
所謂、五事の道なり。
按ずるに軍争九変行軍の三篇、専ら彼此相対して、利を争ひ変に通じ軍に処し敵をるを論ず。
行軍篇の末に至り、終ふるに文武を以てし、結ぶに衆と相ひ得るを以てす。
此の三篇、合わせて一篇と為し、之を熟読すべきなり。
専ら地利の兵助なるを言ふ故に、之に次ぐに地形を以てするなり、と。

語句解説

親附(しんぷ)
親しみ服すること。
文治(ぶんち)
教化の治。文政。武力を用いずに、徳教や法令で世を治めること。
李靖(りせい)
李靖。唐の将軍。太宗に従って各地を転戦し戦功を挙げる。兵法家として有名で常勝の名をほしいままにしたという。武経七書の一である李衛公問対にその真髄が描かれている。
韓信(かんしん)
韓信。前漢の武将で劉邦の覇業に貢献。漢の三傑。大将軍。項羽亡き後、楚の王となるも粛清された。大志を抱き、些細な恥辱にはこだわらなかった様を伝える「韓信の股くぐり」は有名。
拊循(ふじゅん)
労わって手なずけること。慰撫すること。
司馬穰苴(しばじょうしょ)
司馬穰苴。中国春秋時代の兵法家。もとは田氏であったが軍事を司る大司馬の職にあったので司馬氏を称す。斉に仕えてその隆盛を担う。その兵法は「司馬法」に伝わる。
整粛(せいしゅく)
整っておごそかなこと。
経緯(けいい)
すじみち、常法。物事の入り組んだ事情、いきさつ。経はたて糸、緯はよこ糸の意。
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