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孫武

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孫子-軍争[7]

故に兵を用ふるの法、高陵は向ふ勿れ、丘をはいするはむかふ勿れ。
いつはげるは従ふ勿れ、鋭卒えいそつは攻むる勿れ。
餌兵じへいは食らふ勿れ、帰師きしとどむる勿れ。
囲師いしは必ずく、窮寇きゅうこうは迫る勿れ。
此れ兵を用ふるの法なり。

現代語訳・抄訳

故に高い丘に陣取る敵と相対せず、丘を背にして来たる敵を迎え撃たず。
いつわり逃げるを長追いせず、気勢の鋭き敵を攻むる無し。
誘いに乗りて小利を食らわず、一心に帰する敵は止むる無し。
四方を囲めば必ず一方を開く、窮する敵に急迫せず。
これを兵を用いるの法という。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」113-115/183
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備考・解説

帰師に関しては味方の兵に関することとして「軍全体が望郷の念に駆られたら止めることはできない」から一度引くべきだという意味にもとれる。
ただ、他の部分が敵に関することを記述していることから、こちらも同様に解した。
四方を囲めば必ず逃げ道を作り、窮する敵に急迫しないは、窮鼠猫を噛むの類。
死を覚悟できる軍なれば、之を敗るに味方の被害甚だし。

山鹿素行曰く、
是れ二つながら彼れ地の利を得るなり。
向は相対して陣をはるを云ひ、逆は迎へて戦ふなり。
高陵とばかり云へるは、彼れ是に陣するなり。
丘を背するは、高陵の地をうしろにいたすなり、と。
廣注に云はく、
敵、高きにりて陳せば、則ち人馬の馳逐ちちく、矢石の施発しはつ、彼れ順にして我れ逆、仰いで之を攻むべからず。
敵、丘山にり、下り来りて戦を求めば、迎へてともに戦ふべからず、と。
諸葛亮云はく、
山陵の戦、其の高きを仰がず、高きりして来らば之を迎ふべからず、勢の順ならざるなり。
引きて平地に至り、然る後に合戦す、と。
山鹿素行曰く、
彼ひそかに奇計を用ひて、わざと兵を引き、吾をあしらい引けば、是をうつこと軽くしてとどまり、長追い致し、したふべからざるなり、従は彼を追ひてしたふなり。
鋭卒は其の気鋭くして、勇み進む兵ならんには、其の気を避けて急に之を攻むる勿れ、気の衰ふるを待つべきなり、と。
直解に云ふ、
大敗に真偽有り、若し旗ととのひ鼓応じ、号令一の如く、紛紛紜紜たらば、退走すと雖も真の敗に非ざるなり、必ず奇有るなり、と。
山鹿素行曰く、
帰師とは士卒一途に志をさだめて引きく帰らんとするときは、是を打ち留めると云へども、我が兵多くこぬべし、この故に急に是を止むべからざるなり。
遏は、頻りに是を支へとどむるを云ふなり。
たとえとどむるとも、所々に兵をおいて付きうつことはあるべし、と。
大全に云はく、
食字は即ち餌字中り来る、餌兵は乃ち敵の嘗試しょうしの兵なり。
若し其の餌なるを知らずして之を食ふ、食はば則ち復た吐く可からず。
即ち食者の誤りて毒食を食ふが如き、未だ生をそこなはざるの理有らず、と。
山鹿素行曰く、
城をとりまくにも、又た彼を囲みつつむとも、一方をばあけてかれが引きとるにたよりある如くすべし。
然らずば兵士の気のがるべからざる事を思ふて、死戦をなすことあり、と。
大全に云はく、
必字を下し得て最実、言ふは囲師の理、萬萬此の如し、則ち必ずくの道、亦た萬萬此の如し。
蓋しくは是れ真にくにあらず、囲を受くるの師、其の勢窮まる。
窮まらば則ち生を求む、此れ情の常、若しことさらに一面を開かざれば、彼れ必ず堅戦の心有りて、勝負尚ほ未だ知る可からず。
何如いかんか一面を開きて、以て其の幸生の心を携さわしめんか。
是れ之をくは、実に之を囲む所以なり、と。
山鹿素行曰く、
以上八か条は相ひ守りて軍争の時、兵を用ふるの法なり、而して此れは皆な変を治むるの内より出でたることなり。
故に前段四治の終り、変を治むるの段へ引きつけて見るべきなり、と。

語句解説

鋭卒(えいそつ)
精兵。よく訓練された強い兵士。
餌兵(じへい)
おとりの兵。
窮寇(きゅうこう)
窮地に追われた敵兵。追い詰められて窮した敵。
嘗試(しょうし)
こころみること。ためすこと。
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