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孫武

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孫子-軍争[6]

三軍は気を奪ふ可く、将軍は心を奪ふ可し。
是の故に朝気ちょうきは鋭、昼気ちゅうきは惰、暮気ぼきは帰。
善く兵を用ふる者は、其の鋭気を避けて、其の惰帰を撃つ、此れ気を治むる者なり。
治を以て乱を待ち、静を以てを待つ、此れ心を治むる者なり。
近きを以て遠きを待ち、いつを以て労を待ち、ほうを以てを待つ、此れ力を治むる者なり。
正正の旗をむかふる無く、堂堂の陣を撃つ無し、此れ変を治むる者なり。

現代語訳・抄訳

三軍は気を奪って勢いを減じ、敵将は心を奪って惑わすべし。
この故に気勢に三あり、朝の鋭気の如くに盛んなるあり、昼の惰気の如くに衰えるあり、夕暮れの帰気の如くに定まらざるあり。
故に善く兵を用いる者は、その鋭気を避けて、その惰帰を撃つ、これを気を治むる者という。
自らを治めて敵の乱れを待ち、安静を以て喧騒を待つ、これを心を治むる者という。
近きを以て遠きを待ち、万全を以て疲弊を待ち、自らを充足させて敵の不足を待つ、これを力を治むる者という。
正正として旗の乱れざる敵を迎えること無く、堂堂として陣の崩れざる敵を撃つこと無し、これを変を治むる者という。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」111-113/183
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備考・解説

気勢を保ち、倦むを逃さず。
軽挙妄動せずして、惑いを逃さず。
力万全にして、実力を出ださせず。
虚実を察して、実に当たらず。

山鹿素行曰く、
凡そ三軍の内、勇者あるべし、智者あるべしと雖も、三軍一同にやぶるるときは、勇者独りこたふること叶わず、是れ気を奪ふべきなり。
三軍を司るものは、其の器量、其の知識、必ず凡人にあらず、是は謀を以て其の志を挫き、其の心をへだて、其の智をくらまして謀を奪ふべきなり。
三軍は気を奪ふ可きの語、敵の三軍を指す。
然れども、推して是を用ふるときは、味方の三軍をつかふも亦た然り、気をはかって其の下知を致すにあり。
この故に士卒の勇怯を考へて、其の気を抑揚せしめ、其の下知をなすこと、是れ乃ち気を奪ふなり、と。
武徳全書に曰く、
両軍相ひ対す、能く其の気を奪はば、則ち敵軍其の衆を失ふ。
両軍相ひ持す、能く其の心を奪はば、則ち敵将其の勇を失ふ、と。
太宗曰く、
孫子言ふ、三軍は気を奪ふ可きの法、朝気は鋭、昼気は惰、暮気は帰、善く兵を用ふる者は、其の鋭気を避けて、其の惰帰を撃つ、とは如何、と。
曰く、
夫れ生を含み血をけ、鼓をして闘ひ争ふ、死すと雖も省みざる者は、気を然らしむるなり。
故に兵を用ふるの法、必ず先づ吾が士衆を察し、吾が勝気を激し、乃ち以て敵を撃つ可し。
呉起、気機を以て上と為す、他道無きなり。
能く人人をして自ずから闘はしめば、則ち其の鋭に当たるは莫し。
謂ふ所の朝気に鋭なる者は、時刻を限りて言ふに非ざるなり、一日の始末を挙げて喩えと為すなり。
凡そ三鼓して敵衰えず竭きざるは、則ちいづくんぞ能く必ず之をして惰帰せしめんか。
蓋し学者いたずらに空文を誦して敵のみちびく所と為る、し之を奪ふの理を悟らば、則ち兵を任す可し、と。
孫子遺説に云はく、
或ひと問ふ、気を奪ふ者は必ず三軍と曰ひ、心を奪ふ者は必ず将軍と曰ふは何ぞやと。
曰く、三軍は闘を主とし、将軍は謀を主とす。
闘ふ者は気に乗じ、謀る者は心にめぐらす。
夫れ鼓をし闘ひ争ふ、萬死を顧みざる者は、気に之を使はしむるなり、深思遠慮、以て萬変に応ずる者は、心に之を主とするなり。
気を奪はるれば則ち闘に怯なり、心を奪はるれば則ち謀に乱る。
下なる者は闘ふ能はず、上なる者は謀る能はず、敵人上下怯乱きょうらんせば、則ち吾れ一挙して之に乗ぜんか。
伝に曰く、一鼓して気をし、三にしてくる者は、闘気を奪へばなり、人に先だたば人の心を奪ふ者有り、謀心を奪へばなり。
三軍将軍の事異れり、と。
山鹿素行曰く、
是れ気に始中終あるなり。
其の初めは盛んにして、中ごろはあやうく衰へ、終りには帰る。
此の三気を詳らかに知らざれば、気を治むること得ざるなり。
始中終を言はずして朝昼暮を曰ふ者は、天地の常法に因りて之を論ずるなり。
善く兵を用ふる者は、三気に通じて、其の気を抑揚するが故に、彼が鋭気を避けて其の惰帰の気を撃つが故に勝たざる無し、是を治気と云ふなり、と。
曹劌そうけい云ふ、
一鼓して気をし、再びして衰へ、三たびしてく、と。
唐の陸宣公云ふ、
兵は気を以て主と為し、あつまらば則ち用ひ、散ぜば則ち治む、と。
山鹿素行曰く、
我が兵を兼ねてよく調へ治めて、彼が乱るるを待ち受けて、我が兵を静ならしめて、彼がかまびすしきを待ちて撃つ、是れ大将の常々教練作法によることにして、此の所には気を論ずる処あらず。
この故に是を心を治むると云へり。
治と静とは平日の内習教練をさせるなり、と。
武徳全書に云はく、
我が軍の分数明整にして治まり、彼の散乱を待ちて之を打つ、我が軍の耳目斉一にして静、彼の諠譁けんかを待ちて之を打つ、と。
山鹿素行曰く、
按ずるに此の段、気心力変の四治、軍争の要法なり。
彼此相ひ対して戦をいどみ利を争ふに、此の四治を以てせざれば、全利を得べからざるなり。
四治一つもかくるときは利全からざるなり、と。
大全に云はく、
細に看るに此の題、単に心治むるを重しとするを是と為す。
心治まらば則ち気も亦た治まり、変も亦た治まるなり。
凡そ気のき、力の疲れ、変の有らざる者は、皆な心に其の主宰を失ひて以て之を致すなり、と。

語句解説

三軍(さんぐん)
大軍。上軍、中軍、下軍の三つ。一軍は一万二千五百人をいう。
譁(か)
かまびすしい。騒がしい、やかましいこと。
太宗(たいそう)
太宗。唐の二代目皇帝。李世民。父の李淵に従って各地の群雄を討伐し、その天下平定に多大な功を挙げた。平定後、玄武門の変で兄の李建成を殺害、父の李淵から帝位を譲位された。その治世は貞観の治として称えられ、国勢は日増しに高まったという。
李靖(りせい)
李靖。唐の将軍。太宗に従って各地を転戦し戦功を挙げる。兵法家として有名で常勝の名をほしいままにしたという。武経七書の一である李衛公問対にその真髄が描かれている。
呉起(ごき)
呉起。戦国時代の武将。衛の人。魯、魏に仕えて戦功を立てるも猜疑にあって出奔。楚で宰相となり隆盛。貪欲なるも兵法においては司馬穰苴にすら勝ると称された。
曹劌(そうけい)
曹劌。春秋時代の人。国家の危機に立ち上がって参謀となり、斉の大軍を退けた。春秋左氏伝に「三鼓」の逸話がある。史記に登場する曹沫と同一人物との解釈も存在するが、春秋左氏伝の荘公十年にある逸話の人物像からするとかけ離れているという説もある。
諠譁(けんか)
喧嘩。騒がしいこと。やかましく騒ぎたてること。争い。いさかい。
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