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孫武

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孫子-軍争[5]

軍政に曰く、
言ふに相ひ聞へず、故に之が金鼓を為す。
視るに相ひ見へず、故に之が旌旗せいきを為す、と。
夫れ金鼓旌旗せいきなる者は、人の耳目を一にする所以なり。
人既に専一なれば、則ち勇者も独り進むを得ず、怯者も独り退くを得ず、此れ衆を用ふるの法なり。
故に夜戦には火鼓かこを多くし、昼戦には旌旗せいきを多くす、人の耳目を変ずる所以なり。

現代語訳・抄訳

軍政にはこのように記されている。
言うも互いに聞えず、故に金鼓を以て合図と為す。
視るも互いに見えず、故に旌旗せいきを以て合図と為す、と。
金鼓や旌旗せいきは、三軍の耳目を一にするものである。
三軍の耳目が専一なれば、勇む者が先走ることは無く、怯える者が勝手に退くこともない。
これを衆を用いるの法という。
故に夜戦には火を多く焚いて金鼓を打ち鳴らし、昼戦には旌旗せいきを以て多く掲げる。
これ人の耳目を変ずる所以である。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」109-111/183
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備考・解説

人の耳目を変ずるとは、味方の耳目を変じ、敵の耳目を変ずることをいう。
夜戦には火を多くたき金鼓を打ち鳴らして勢の盛んなるを示し、昼戦には旌旗せいきを多く掲げて衆の多きを示す。
味方はこれに押されて勇み、敵はこれに惑って乱る。

山鹿素行曰く、
軍政は、古の兵書なり、又た云ふ、古来の定まれる軍の法を云ふともいへり、と。
山鹿素行曰く、
凡そ耳目を一にするときは、其の心一なり。
心は耳目によって其の用を為す、其の用を一つにすれば、其の體自ずから一なり。
この故に耳目を練るは其の心を練るなり、と。
呉子云はく、
声鼓金鐸きんたくは耳を威す所以、旌旗せいき麾幟きしは目を威す所以、と。
山鹿素行曰く、
衆と共に進み衆と共に退くときは、勇者怯者あらざるなり。
衆を用ふるの法なりとは、此の如く致さざれば、衆を用ふること叶わざるなり。
衆にも怯者あり、勇者あり、上兵のつかふは怯者もなく、勇者もなく、三軍力を一に致さざれば、其の用法全からざるなり。
是れ金鼓旌旗の用をよくするにあるなり。
衆は衆力を以て功を為すにあり、大勇大猛のものなりと云へども、五人三人十人のひとりひとり致す功は大功ありにくし。
衆のあつまりていたす功をまことの大功と云ふなり、と。
山鹿素行曰く、
金鼓旌旗を多からしめ、人の耳目を変ずといへば、無用の金鼓旌旗をも多からしむべきといへり。
而して人の耳目を一にすは我兵の耳目にかかり、人の耳目を変ずるは敵人の耳目にかかり、一段の内文章の用は一ならず、この故に文段異なるに似たり。
案ずるに孫子十三篇の筆力此の如き類甚だ多し。
金鼓旌旗よく人の耳目を驚かすに足れる故に、其の耳目を一にし、又た其の耳目を変ずるなり。
其の耳目を一にするは約束のために是を用ゆるの用なり、其の耳目を変ずるは勢を示してだてをなして、耳目を一ならしめざるの術なり。
この故に耳目を変ずるには火鼓多く旌旗多くといへり。
火鼓旌旗多きときは彼の心惑ひて其のはかりごと決せざるなり。
然れば金鼓旌旗は同じものにして或ひは之を一にし、或ひは之を変ずることは、良将の作略によることなり、と。
杜牧云はく、
軍士の耳目をして、皆な旌旗せいき火鼓に随ひて変ぜしむるなり。
或ひと曰く、夜戦に火鼓を多くす、その旨如何。
夜の黒きの後、必ず原野に陳を列して、敵と期を刻して戦ふ無きなり。
軍の敵営を襲ふ、鼓を鳴らし火を燃やさば、まさに以て敵人の耳をいましめ、敵人の目を明にするに足れり。
我に於いて返りて害あり、其の義やいづくにか在ると。
答へて曰く、富めるかな問や。
此れ乃ち孫武の微旨なり。
凡そ夜戦なる者は、蓋し敵人の来りて我が塁を襲ひ、已むを得ずして之と戦ふ。
其の法は、営を立つるの法に在り、陳と小しく同じ。
故に志に曰く、とどまらば則ち営を為し、行かば則ち陳を為すと。
蓋し大陳の中、必ず小陳を包み、大営の内、必ず小営を包む。
蓋し前後左右の軍、各々自ずから営有りて環遶かんじょうす。
大将の営は中央に居り、諸営は之を環り、隅落ぐうらく鉤聯こうれん、曲折相ひ対し、天の壁塁へきるいは星に象る。
其の営を相ひ去る、上は百歩に過ぎず、下は五十歩に過ぎず。
道徑通達、以て隊を出だし部を列するに足れり。
壁塁相ひ望み、以て弓弩相ひ救ふに足れり。
毎に十字路口に於いて、必ず小を立つ。
上に柴薪さいしんを致し、穴して暗道と為し、胡梯こてい之に上り、人をして看守せしむ。
夜黒やこくの後、声鼓四に起らば、即ち以て燔燎はんりょうす。
是を以て賊の夜に我を襲ひ、営門に入ると雖も四顧屹然きつぜんたり、復た小営有りて各々自ずから堅守す、東西南北未だ攻むる所を知らず、大将営或ひは諸小営中、先づ賊の至る者有るを知らば、放ちて尽く入らしめて、然る後に鼓を撃つ。
諸営ひとしく応じ、衆燎火りょうか明らかなること昼日ちゅうじつの如し。
諸営の兵士、是に於いて門を閉じ塁に登り、敵人を下瞰かかんし、勁弩けいど強弓、四向倶に発す、敵人にの将、鬼人の兵有りと雖も、亦た能く計る無きなり。
唯だ夜に我を襲はざるを恐る、来らば則ち必ず敗る、若し敵人或ひは能くひそかに一営に入らば、即ち諸営火を挙げ兵を出だし、四面之をめぐり、営中に号令して、すなはち動くを得ざらしむ。
須臾しゅゆの際、善悪自ずから分る、賊若し出走せば、皆な羅網らもうに在り。
故に司馬宣王諸葛亮の営塁に入り、其の曲折を見て曰く、此れ天下の奇才なりと。
今の営を立つる、通洞つうどう豁達かったつ、雑はりて以て之に居る、若し賊の夜に来りて営をる有らば、万人一時に警擾きょうじょうせん。
多く斥候を置き、厳に備守を為すと雖も、晦黒かいこくの後、彼我分たず、衆力有りと雖も、亦た用ふる能はず、と。
陳皥ちんこう曰く、
杜の夜黒の後、必ず原野陳列し、敵人と期を刻して戦ふ無しと言ふは、非なり。
天宝の末、李光弼りこうひつ、五百騎を以て河陽に趨き、火炬かきょを列し、首尾息まず、史思明ししめい数万の衆、敢へて之にまらず、豈にだ賊の営をるを待つのみならんや、と。

語句解説

旌旗(せいき)
旗印のこと。色鮮やかな旗。
三軍(さんぐん)
大軍。上軍、中軍、下軍の三つ。一軍は一万二千五百人をいう。
金鐸(きんたく)
軍隊における合図用の大鈴。
麾幟(きし)
指図に用いる旗とのぼり。
環遶(かんじょう)
めぐる。まわりをとりかこむ。
隅落(ぐうらく)
建物の辺角。
鉤連(こうれん)
相連なる。まがって連なる。
壁塁(へきるい)
城壁ととりで。塁壁。
堡(ほ)
とりで、土石で作った城。また、防御用の土堤。
胡梯(こてい)
やぐらのはしご。
燔燎(はんりょう)
かがり火をたくこと。また、燔柴(はんさい)と同じ意でいけにえなどをのせて燃やして天を祭る儀式。
屹然(きつぜん)
高くそびえ立つ様。他に屈することなく抜きん出ている様。毅然。
燎火(りょうか)
かがり火。
下瞰(かかん)
高いところから見下ろすこと。
韓信(かんしん)
韓信。前漢の武将で劉邦の覇業に貢献。漢の三傑。大将軍。項羽亡き後、楚の王となるも粛清された。大志を抱き、些細な恥辱にはこだわらなかった様を伝える「韓信の股くぐり」は有名。
白起(はくき)
白起。戦国時代の名将。秦の昭王に仕えて韓魏趙楚を連破。その活躍に恐れを抱いた宰相の范雎に弾劾されて自決。死に際して白起は「我はもとより死ぬべきである。一夜にして四十万もの降者を生き埋めにしたのだから」と述べたという。
須臾(しゅゆ)
しばらく、ほんのわずかの時間。
羅網(らもう)
鳥を捕らえる網。あみにかけて捕らえること。また、刑罰を指す。
司馬懿(しばい)
司馬懿。三国時代の魏の将軍。字は仲達。軍略に優れ、大将軍となって呉蜀との戦線を指揮。諸葛孔明との対峙は有名で、誘いにのらない司馬懿にさしもの孔明も為すすべも無かったという。
諸葛亮(しょかつりょう)
諸葛亮。三国時代の蜀の丞相。字は孔明。劉備に三顧の礼によって迎えられ天下三分の計を達成するも五丈原に志半ばで病死。清廉にして公正、人々は畏れながらも敬慕し、その統治を懐かしんだという。
通洞(つうどう)
明らか。洞徹。
豁達(かったつ)
闊達。度量が大きく、物事にこだわらないこと。からりとする。
警擾(きょうじょう)
驚擾。おどろきみだれる。警は驚に通じ、おどろく意がある。
李光弼(りこうひつ)
李光弼。唐中期の武将。契丹の末裔。安史の乱で抜擢されて活躍。わずか一万の軍を以て十万の反乱軍を撃破したという。中興の功積第一と評される。
火炬(かきょ)
たいまつ。火をたくこと。
史思明(ししめい)
史思明。唐代の武将。安禄山に仕えて反乱を主導(安史の乱)。後に安禄山が殺されると後継として燕王を称し、長安まで迫ったが、子の史朝義の反乱にあって没した。その死に際して「殺すのがあまりにも早すぎる。私が長安を得るまで待てぬとは。」と叫んだという。
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