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孫武

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孫子-軍争[4]

故に兵はを以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。
故に其のはやきこと風の如く、其のしずかなること林の如く、侵掠しんりゃくすること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆らいていの如し。
きょうかすむれば衆に分ち、地をはかれば利を分つ。
権を懸けて動き、先づ迂直の計を知る者は勝つ、此れ軍争の法なり。

現代語訳・抄訳

故に兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者である。
故に進むこと風の如くに速くして迹無く、止まること林の如くに静かにして乱れず、攻むること火の如くに激しくして形無く、守ること山の如くに安んじて動ぜず、知り難きことかげの如くに隠微にしてさとる無く、動くこと雷の轟きの如くにして至らざる無し。
敵国に入りて財貨を得れば兵卒に分ちて賞功し、領地を得れば将士に分ちて賞功す。
その動静掠廓りょうかくはかりて禁不禁の間に置き、先ず迂直の計を知る者は勝つ、これを軍争の法という。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」107-109/183
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古典
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備考・解説

兵を用いるに至っては、敵に測られざるを以て戦うに足る、これ立つなり。
敵と当たるに至っては、己の実を以て敵が虚を撃つ、これ己に利するなり。
敵の形によりて自由自在に変ずるは、己に形無し、これ分合を以て変を為すなり。

山鹿素行曰く、
詐を以て立つとは、兵は詭道、彼をいつわりて、我が実をあらわさざるにあり。
立つとは兵これに因りて行るるなり。
或ひは云ふ、立つは勝つなり、利を以て動くとは、利を得て兵を動かすなり、分合を以て変を為すとは、或ひは兵を分けて八となり、或ひは兵を合わせて一となる、其の変化敵に因るなりと。
此の三者は皆な定形常法無きの謂ひなり、と。
太宗曰く、
分合して変を為す者、奇正いづくにか在る、と。
靖曰く、
善く兵を用ふる者は、正ならざる無く、奇ならざる無く、敵をして測る莫からしむ。
故に正有りて勝ち、奇にして亦た勝つ。
三軍の士、ただ其の勝つを知りて其の勝つ所以を知る莫し。
変じて能く通ずるに非ずんば、安んぞ能く是に至らんや。
分合の出づる所、唯だ孫武之を能くす、呉起而下じか及ぶべき莫し、と。
孫子遺説に云はく、
或ひと問ふ、兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す、立や動や変や、三者先後して用いるかと。
曰く、先王の道、兵家者流の用ふる所、皆な本末先後の次有り、而してとうとぶ所の同じからざるのみ。
蓋し先王の道、仁義をとうとびて之をすに権を以てす。
兵家者流は、詐利を貴びて之を終ふるに変を以てす。
司馬法、仁を以て本と為す、孫武、詐を以て立つ。
司馬法、義を以て之を治む、孫武、利を以て動く。
司馬法、正を以て意を獲ざれば則ち権す、孫武、分合を以て変を為す。
蓋し仁を本とする者は、治必ず義を為し、詐を立つる者は、動必ず利を為す。
聖人に在りては之を権と謂ひ、兵家に在りては名づけて変と曰ふ。
本とともに立つに非ずんば、以て自ら修むる無く、治とともに動くに非ずんば、以て時に趨く無く、権とともに変ずるに非ずんば、以て敵に勝つ無し。
本立つ有りて而る後に能く治動し、能く治動して而る後に以て権変す可し。
権変は治動をす所以、治動は本立つを輔くる所以、此れ本末先後の次ほぼ同じきのみ、と。
山鹿素行曰く、
風の如しと云ふは、往来迹無く、向ふ所必ず相ひなびくなり、其の疾くしてふせぐに形無きなり。
徐とは疾からず、ゆるやかなるを云ふ。
林の如しとは林木の次第あって乱れざるが如きなり。
云ふ心は、疾きときは迹の見るべき無く、徐は則ち行列ととのひ、法令厳かにして、深林を望むが如きなり、と。
山鹿素行曰く、
侵掠ともに敵を伐つの心なり。
火の如しとは、火の烈にして之を禦ぐべからざるが如きなり。
疾きこと風の如しと云ふは、其の往来形無きなり、侵掠すること火の如しと云ふは、敵をうつことのはげしくして、しかも形なきを云へり。
動かざるは侵掠せずして備へを正しくして固く守るを云ふ。
山の如しと云ふは、山の不動にして安きが如く、ついに是を動くべからざるを云ふ。
林の如く山の如くの二つは、形あって能く整ひ能く正ふして、是にふれあらそふことを得べからざるなり、と。
山鹿素行曰く、
動くは、疾きと侵掠と云ふに相ひ似れり。
然れども動くは相対して未だ動かずして、俄かに兵を動かすの心を云ふなり。
以上此の段、疾と侵掠と動は皆な相動の形をいへり、徐と不動と難知は静にして重く相持するをいへり。
然れば動静の二をわけて之を論ず、其の内に此の如く三段づつの品あるなり、と。
山鹿素行曰く、
分衆と云ふは、乱取をいたし財を得るときは、是を分ちて衆に与へ、彼が気を励まし勇ましむることなり。
彼が領地を攻め取る所あらんには、有功のものをえらんで、速やかに是を分ち与ゆ、此の如く致さざれば、賞功の禮行はれざるが故に、軍士必ず倦むなり。
分衆は雑人雑兵等に是をわかち与ふるなり、利を分つは軍士の功を賞するなり、と。
山鹿素行曰く、
懸は、かけ合はするなり、権は秤の重りなり。
云ふ心は、はかりをかけて、其の軽重を考ふるを云ふ。
乃ち是れつり合いをみるの心なり、此の四字は上文数句を結ぶなり。
云ふ心は、動静の道、掠廓りょうかくの用、此の如きと雖も、共に其のつりあいをはかり、其の軽重を考へて、其の時宜に従ひて、或ひは法を守り、或ひは法を離る、必ず一定の制無し、是れ権を懸けて動くなり。
風の如く林の如く火の如く山の如くなど云ふことも、権道を能く心得て其の軽重を知らざれば、皆な其の道を失するが故に、此の一句を以て上文を結ぶなり、と。
大全に云はく、
孫子の勝兵を説く、いつを以てしゅはかるが若き、便ち是れ権を懸けるの意、是れ真に筒の権有りて、懸けて那裡なりに在り、然る後に兵を用ふるに非ず。
只だ是れ彼己の間、各々軽重分量有り、我れ能く分別し得て当たる、便ち是れ権を懸けて動き了る、と。
又た云はく、
張靖先曰ふ、権は即ち是れ心を講ずと。
言ふは、兵を用ふるの心、すなはち権の心無きが如し、故に能く虚霊にして滞らず、物来たれば順ひて動き、自然に軽重たがはず、唯だ事無くしてらずの虚裏有り、故に事有りて易はらざるの定理有り。
蓋し心無き者は、能く心有るを定むるなり、懸の字、甚だ妙、当に細玩すべし、と。
山鹿素行曰く、
権を懸けて動くものは、迂を以て直と為し患を以て利と為すの計を知るが故に、軍争の法を得るなり、と。

語句解説

而下(じか)
それから。
鎰(いつ)
昔の金の重さの単位。二十両、または二十四両。
銖(しゅ)
わずかな重さ。百黍。また、一両は二十四銖。
那裏(なり)
どこ、どのへん。
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