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孫武

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孫子-軍争[2]

故に軍争を利と為し、衆争を危と為す。
軍を挙げて利を争はば、則ち及ばず、軍をまかせて利を争はば、則ち輜重しちょうたる。
是の故に、甲を巻きてはしり、日夜らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争はば、則ち三将軍をとりこせらる、つよき者は先んじ、疲る者は後る、其の法、十を一にして至る。
五十里にして利を争はば、則ち上将軍をたおさる、其の法、半ば至る。
三十里にして利を争はば、則ち三分の二至る。
是の故に軍に輜重しちょう無ければ則ち亡び、糧食無ければ則ち亡び、委積いし無ければ則ち亡ぶ。

現代語訳・抄訳

故に迂直の計を以て勝利を争うは利にして、勢いに任せて勝利を求むるは危し。
軍を挙げて利を争えば敵のせんを得ること無く、軍をまかせて利を争えば輜重しちょうを損ない亡ぶに至る。
この故に、甲冑をまるく包んで軽装で走り、日夜休まずして進み、道程を倍にして兼行し、赴くところ百里にして利を争えば、三軍の大将尽く捕らえられて壊滅す。
強き者は先んじて至るも、疲れる者は後れ、その至るところ十分の一に過ぎず、疲弊は大にして輜重を失うこと甚だしきが故なり。
五十里にして利を争えば、先行した上将軍は打ち破られて半壊す、その至るところ半分に過ぎずして疲弊少なからず、輜重を失うこと多きが故なり。
三十里にして利を争えば、その得失常ならず、三分の二が至りて疲弊少なく、輜重も失わざるが故なり。
この故に軍に糧道続かざれば亡び、糧食絶えれば亡び、備蓄足らざれば亡ぶ。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」104-106/183
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古典
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備考・解説

軍争は軍を以て争い、衆争は衆を以て争う。
軍士に将有り、衆人に将無し、故に軍の動静は一なり、衆の動静は十なり。
孫子虚実篇に曰く「我れ専にして一為り、敵分れて十為り、是れ十を以て其の一を攻むるや、則ち我れおおく敵すくなし」と。
衆人のこぞって利を争う、その則の有らざるは危きことこの上なし。
必ず将有りて之を統べ、一体となって利を争う、故に迂遠の如くにして迂遠ならず、その動静乱れずして勝利全し。
及ばざるは敵の先を得ず。
一部の兵を先にまわして地の利を得ることあり、敵の虚を撃つことあり、いずれも精兵送りて敵の必ず救う所を攻めるをいう。
故に保つを得るならば、先に送るも亦た可なり。
糧食は兵の大事、生の要にして、これを疎んじて先んずるを得るに固執するは、先んじて後れるの類。
衆人は目先の利に惑って真を知らざる故に、衆を用いて衆争という。
一日の行程は三十里を以て定法とす。
昼夜兼行して三日のところを一日で至り、以て戦う。
至る者は十分の一、強きが至るも疲弊多く、数は少なくして易く敗れる、次に至るは弱きが至り、疲弊多く、数多くとも易く敗れる。
五十里は通常二日かかれども、強行して一日で至り、以て戦う。
疲弊少なからずして至る者は半ばたり、被害甚大なるとも辛うじて戦うは得る。
三十里は一日の行程たり。
これを強行するに及べば、三分の二は至りて戦うに足る。
地に先んずるの利、後れて至るの利、いずれが勝るやは知れず、故に一定の得失無し。

魏武注に云ふ、
善くする者は則ち以て利し、善くせざる者は則ち以て危し、と。
山鹿素行曰く、
挙とは残さず尽くと云ふの言なり、委とは其の行くものにまかせて行く能はざるものはすておくなり。
輜重しちょうは作戦篇にいへる革車なり、小荷駄雑具を積みて雑人相ひ従へる車を云へり、と。
山鹿素行曰く、
百里五十里の二段には其の法を曰ひ、三十里にして利を争ふには其の法を曰はざるは、百里五十里にして利を争ふは、必ず敗危すべきを戒むるなり。
三十里にして利を争ふに至りて、勝敗を云はざるものは、三十里にして利を争ふことは、戦場にて常に之れ有ることなり。
或ひは利あり、或ひは敗るるあり、其の制法によって一定ならざるが故なり、と。
山鹿素行曰く、
百里五十里三十里にして、先へ行くこと叶はざるものは、輜重糧食などのごとき小荷駄なり。
軍中に此の三つ続かざれば終に軍を全くすること能はざるなり。
この故に軍を挙げて利を争ふを嫌ふなり、と。

語句解説

輜重(しちょう)
武器や食糧などの軍用物資のこと。
委積(いし)
蓄え。備蓄。ためてたくわえること。
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