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孫武

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孫子-虚実[6]

故に形兵の極みは、無形に至る、無形なれば則ち深間も窺ふ能はず、知者も謀る能はず。
形に因りて勝ちを衆におくく、衆は知る能はず。
人皆な我が勝つ所以の形を知りて、吾が勝ちを制する所以の形を知ること莫し。
故に其の戦勝ふたたびせず、而して形に於いて無究に応ず。

現代語訳・抄訳

故に兵形の極みは、無形である。
無形なれば如何なる間者も窺うを得ず、如何なる知者も謀るを得ず。
敵の形に因りてその勝ちを敵に得るも、敵はその所以を知らず。
人は皆な我が勝ちたる所以の形は知るも、吾が勝ちを制する所以の形を知ること無し。
故に戦勝に一定の形無く、敵の形に因りて無究に応ずるのである。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」99-100/183
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古典
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備考・解説

本あるが故に生ずる形を無形という。
無形の無は有る無しの無ではなく、有るが故に有るを以ての故に、有る無しすらも無き無をいう。
故に孫子は次節において水に象りて無形を説く。
兵法の極み、道に通ずというべきか。

山鹿素行曰く、
兵、元と形あり、如何にして是を無形と謂ふべきや。
兵の形をよく尽して、教練習熟し、士卒純一なるに及んで、形兵自ずから無形なり。
物未熟なるが故に、形迹あることを免れず、手舞ひ足蹈むことを知らざるときは、自然に無形にして其の形迹之れ見るべき無し、是れを形兵の極と云へり。
兵の形を隠し、伏蔵して顕はさざるを云ふに非ず、形兵の極みを無形と云ふなり、と。
山鹿素行曰く、
衆人は愚かにして其の道を詳らかならずして、其の迹を知るが故に、此の度の戦には、此の如き形にて孫子が勝てりとのみ其の迹をばかり心得知りて、かさねての格とす、吾れ勝つ所以の無形の形は知らざるなり。
勝ちを制するの形は是れ無形の形なり。
凡そ諸事、上手と下手との差別、皆な此の如きなり。
下手は其のあとを学びて形を捉える故に、似て是ならざることのみなり。
古人の用法に少しもたがへざるの形迹を為すと云ふとも、更に其の理の当たらざることは、其の形を追ひて勝ちを制するの実を知らざるなり。
この故に、古人の法を用ひて、却て害となること諸事多し、と。

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