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范曄

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後漢書-列傳[楊震列傳][3]

大将軍鄧騭とうしつ、其の賢を聞きて之をへいし、茂才もさいに挙げ、四たび遷して荊州の刺史、東萊とうらいの太守たり。
郡にくに当たり、道に昌邑しょうりる、故に挙げし所の荊州の茂才王密、昌邑の令と為る、謁見し、夜に至りて金十斤をいだき以て震におくる。
震曰く、
故人こじん君を知る、君の故人を知らざるは何ぞや、と。
密曰く、
暮夜ぼやなり、知る者無し、と。
震曰く、
天知る、神知る、我知る、子知る。
何ぞ知る無しと謂はんや、と。
密、愧じて出づ。
後に涿郡たくぐんの太守に転ず。
性は公廉こうれんにて、私謁しえつを受けず。
子孫、常に蔬食そしょくし歩行す、故旧こきゅうの長者、あるひは為に産業を開かんと欲す。
震、肯せず、曰く、
後世をして清白の吏の子孫と称為しょういせしむ、此れを以て之をのこす、亦た厚からずや、と。

現代語訳・抄訳

大将軍の鄧騭は楊震の賢なるを聞いて招聘し、茂才として挙用した。
楊震は四度官職を遷って荊州の刺史となり、東萊の太守となった。
任地に赴くことになった楊震が途中に昌邑を通ると、楊震が以前に荊州の茂才として挙げた王密が昌邑の県令となっていた。
王密は楊震に謁見し、夜へと至って懐から金十斤を取りだして楊震に贈ろうとした。
楊震が云った。
私は君を知っている、それなのに君が私という人間を知らぬのは何故であろうか、と。
王密は云った。
すでに夜も更けております、誰も知る者はおりません、と。
これに楊震は云った。
天が知り、神が知り、私が知り、君も知る。
どうして誰も知る者無しと言えようか、と。
この言葉に王密は自分の行為を愧じて退いた。
楊震は後に涿郡の太守に転任した。
その性情は公正にして清廉潔白、ひそかに個人的な頼みごとを受けることすらなかった。
楊震の親族は、常に粗食ばかりで馬車に乗ることもなかったので、旧知の長者の一人が生業に就かせて富まそうとした。
楊震はこれに首肯することなく云った。
後世に清廉潔白なる官吏の子孫として称せしめ、そのような名を以て遺さんとする、これほど素晴らしいことはないのです、と。

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出典
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語句解説

辟(へい)
召す。仕える。招聘する。また、「つみ(刑罰)」の意に用いられることもある。
茂才(もさい)
茂材。すぐれた人材。また、漢代に地方官が推薦した儒生のこと。もとは秀才といったが、後漢において光武帝劉秀の諱を避けて茂才と改められた。
故人(こじん)
旧友、旧知。また、亡き人の意にも用いる。
公廉(こうれん)
公正で清廉潔白なこと。
私謁(しえつ)
ひそかに頼みこむ。個人的な頼みごとでひそかに高位の者に会うこと。
蔬食(そしょく)
野菜。粗食の意。
故旧(こきゅう)
故知。古い馴染み。古くからの友人。
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