孫武
孫子-兵勢[2]
凡そ戦なる者は、正を以て合ひ、奇を以て勝つ。
故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、
終はりて復た始まるは、日月是れなり、死して復た生ずるは、四時是れなり。
声は五に過ぎず、五声の変、
色は五に過ぎず、五色の変、勝げて観る可からざるなり。
味は五に過ぎず、五味の変、勝あげて
戦の勢は奇正に過ぎず、奇正の変、勝げて窮む可からざるなり。
奇正の相ひ生ずる、循環の端無きが如し、
現代語訳・抄訳
凡そ戦という者は、正を以て之に対し、奇を以て之に勝つ。
故に善く奇を用いる者は、変幻自在にして窮まり無きこと天地の如く、尽きざること大海の如し。
終わりてまた始まるは日月に明らかであり、死してまた生ずるは四季に明らかである。
声の根本は五に過ぎず、されども五声を以て変ずれば、その音律窮まり無し。
色の根本は五に過ぎず、されども五色を以て変ずれば、その色彩窮まり無し。
味の根本は五に過ぎず、されども五味を以て変ずれば、その味覚窮まり無し。
戦の勢も奇正に過ぎず、されども奇正を以て変ずれば、その兵勢窮まり無し。
正は奇を生じ、奇は正を生ず、環のめぐりて端無きが如く、どうしてよくこれを窮むるを得るだろうか。
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」81-84/183
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備考・解説
始終の日月、死生の四時は解し難し。
太陽出でて一日が始まり、月出でて一日が終わる。
春萌え出でて生じ、夏茂り、秋実り、冬散りて死す。
共に始終有り、死生有り。
然れども、その始終死生の端は何処に在りや。
その所在明らかならざるを以て、孫子これを挙げて端無きの真を示す。
一日一年は常に巡りゆく。
終と思えば常に始まり、死すれば又た新たに生ず。
自ずから然り、而して人の捉え方の大小に由りて、その始終死生もまた変ず。
奇正を兼ねるを之に比す、窮むるを得ざる所以なり。
ただ人の、諸行無常に常有るを、察する者のみ知り得るか。
山鹿素行曰く、
正は法あり節あるの兵を指す、奇は奇変なり。
云ふ心は合戦を致すときは、作法をただし士卒をつらね、正々堂々としてみだりにかからず、進退に顧み、
此の如くして乃ち敗に及ばば直ちに彼を追打に致す、既に勝つに及んでは、足並みをみだし、
彼れ亦た正を以てして、互ひに
故に合ひ戦ふときは正を以てし、勝つときは奇を以てせざれば叶わず、是れ正以て合ひ奇以て勝つの戦法なり。
大段を以て云ふときは、有道を以て無道を征し、師、義を以て挙げ、而して不義を戒むは、皆な是れ正兵なり、否は則ち奇兵たり。
この故に正にして
此の如くして正兵も彼と戦ふに及んでは、奇変を用ひざれば勝ちを得ず、是れ奇以て勝つなり。
兵法を以て云ふときは、右に論ずるが如くなり、此の段、勢を論ずるが故に、専ら戦法を以て是れを説くにあるなり、と。
大全に云はく、
此の題、奇勝を重んず、見得するに合戦の時、両兵堅立して動かざる、皆な正兵に属す。
而して前後左右の間、別に奇兵を出し、
敵、支ふる能はずして、或ひは
又た云はく、
二の以字、其の実落字、是れ虚字ならず、題情全く二の以字上に在り。
以なる者は用ふるなり、見得するに凡そ兵の戦ひ止まるは正に
敗れずと雖も亦た未だ必ずしも勝たず、唯だ間に奇を出だすに因りて、
重きの奇勝上に在る所以なり、と。
山鹿素行曰く、
此に至りて善く奇を出だすと云ひて正を論ぜざるは、始計より此の段まで孫子が云ふ処、皆な正なり。
正と云ふは究めて其の則定まれり、更に変ずべきにあらず。
下文の五声五色五味、是れ声色味の正なり、其の変は究む可からざるが故に、唯だ奇を出だすと云へるなり。
且つ正よく正にして、奇に無究の変を出だすべし、と。
孫子遺説に
或ひは問ふ、武の奇正の変、二者相ひ依りて生ずるを説く、何ぞ独り善く奇を出だす者と曰ふやと。
曰く、
凡そ謂ふ所の天地江河、日月四時、五色五味の如き、皆な究まり無く
故に
一奇にして能く変を生じ、交々相ひ已む無きを以てかな。
宜しく奇正を出だす者は、究まり無きこと天地の如しと曰ふべきなり、と。
山鹿素行曰く、
出とは、奇は正より出でればなり。
正より出る奇に非ざれば、無究の奇に非ず、正を知らずして奇を論ぜば奇の出づる処なし。
この故に出字は甚だ意味有ること、後段に奇正相ひ生ずと云ふ、是れ乃ち正は奇を生じ、奇は正を生ず、此の段の出字も相ひ応ずるなり、と。
大全に云ふ、
此の題、須く細かに上下の文を
謂ふ所の善なる者は、奇に一なるに、奇に変ずるに非ざるなり。
善出の二字、奇に由来有るを見るなり。
奇は正を離れず、故に窮まり無しと曰ふ、故に上文に正合奇勝の論有り、下文に奇正の変、
見る可し、善出は是れ相ひ生じ、相ひ変ずるの義、天地変化の二字に外ならず、と。
又た云ふ、
善出の二字、最も重し。
謂ふ所の善く出だす者は、奇、正に本づくなり。
惟だ奇は正を離れず、故に窮まり無しと曰ふ、と。
武経全書に云ふ、
奇兵の終始は日月代はり明なるが如し、死生は猶ほ動静と言ふがごときなり。
奇兵を用ふれば即ち生と為り、用ひざれば即ち死と為り、死生
山鹿素行曰く、
声に五音有り、宮商角徴羽是れなり、色に五色有り、青黄赤白黒是れなり、味に五味有り、辛酸
是れ声色味の正なり、此の五より変じて品々の声を出し色を染め味を調ふる、其の変に至っては、悉く見聞せしめ、甞め味ふるに
戦勢を云ふときは、奇正を出でずして、奇正を用ふるに及びては、其の変
然れば奇正共に戦の正にして、変正の変は奇中の奇なり、と。
大全に云はく、
一説に
下交孰れか能く之を窮めんかを観て、見る可し、と。
山鹿素行曰く、
奇正相ひ生ずとは、正変じて奇と為り、奇変じて正と為り、奇は正を生じ、正は奇を生じ、正と定まることなく奇ときわむることなし、是れ循環の端無きなり。
環は円玉を云ひ、循は循転するなり。
端無きとは其の始めなく終りなきを云ふ、と。
大全に云はく、
端無しと言ふは、其の相ひ生ずるの迹無く、円物を環らすなり。
相ひ生ずるの妙、首尾有る無し。
故に端無しと曰ふ、と。
又た云はく、
前に奇正の変を言ひ、此に奇正相ひ生ずと云ふ。
兵法此に至りて神なり化なり、若し夫れ変ぜず生ぜず、一法に泥定せば、何ぞ兵を言ふ可けんや、と。
語句解説
- 五声(ごせい)
- 日本及び中国の古典音楽で基本となる五つの音階。低音から宮商角徴羽をいう。
- 五色(ごしき)
- 青黄赤白黒の五種類の色。五彩。
- 五味(ごみ)
- 五種の味。辛酸鹹(かん)苦甘の五つをいう。なお、鹹はしおからいの意。
- 旌旗(せいき)
- 旗印のこと。色鮮やかな旗。
- 譎(けつ)
- いつわる、あざむく。かわる、ことなる。そむく、たがう。
- 掩襲(えんしゅう)
- 掩撃。不意を襲うこと。
- 囂(ごう)
- かまびすしい。やかましい。がやがやと騒ぐ。
- 闕文(けつぶん)
- 遺逸の文。欠落した文章。脱落した箇所。
- 孫武(そんぶ)
- 孫武。春秋時代の兵法家。斉の人。呉の闔閭に仕えて覇を唱えさせた。その著である「孫子」は有名で、武田信玄の風林火山は孫子が出典。
- 錯行(さくこう)
- 互いに交錯する、乱れる。めぐる、四季などがかわるがわるに巡ること。
- 鹹(かん)
- しおからい。しおけ。
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