孫武
孫子-兵勢[1]
孫子曰く、
凡そ衆を治むるは寡を治むるが如し、分数是れなり。
衆を闘はしむるは寡を闘はしむるが如し、形名是れなり。
三軍の衆、必ず敵を受けて敗るる無からしむ可き者は、奇正是れなり。
兵の加ふる所、
現代語訳・抄訳
孫子が言った。
大軍を治めるに少数を治めるが如くにする、これを分数という。
大軍を闘はしめるに少数を闘はしめるが如くにする、これを形名という。
大軍を率いて敵と戦うに敗れること無からしむ、これを奇正という。
兵を用いて攻むるに、石を卵に投ずるが如くにして易く破るに至らしむ、これを虚実という。
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」77-81/183
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |
備考・解説
分数は指揮系統を確立すること。
分は各々の部隊の規模、数はその数で、一万人なら千人部隊を十個にして指揮官を置き、千人もまた百人部隊十個から組織し、百人もまた十人部隊から組織する。
いわゆる一般的な現代組織のトップから下に至るまでの構成と同く、各々の部署は各々の長が責任を持って統率し、トップは各々の長を統べることで組織全体を少数を治めるごとくに動かす。
形名は連絡系統を確立すること。
形は旗や狼煙など、名は太鼓や銅鑼などを指し、合図によって少数に直接下知するが如くに統率する。
奇正に関しては山鹿素行曰く「始計篇にいう所の五事七計は正なり、奇は利に因りて権を制するなり」と。
分数形名によって大軍も手足の如く用いるに至り、奇正によって立つに適う。
五事七計を較べて利があれば士気を高めて勢を為し、以て事変を制す。
正によりて立ち、奇によりて全き。
次の虚実もまた始計篇に出づ。
曰く「兵は詭道なり」と。
虚実は変幻自在にして捉えどころ無きをいう。
奇正有りて兵を発し、虚実を以て敵に当る時は、石を卵に投げるが如くに易くしてこれを破ること必然たり。
奇正は敗れざるを以て戦うに至り、虚実は勝ち易くして勝つに至る。
攻守を立つるは奇正、その節の変幻自在なるは虚実。
虚実は奇正に出づ、木に根幹ありて然る後に枝葉あるに同じ。
山鹿素行曰く、
講義に、形は自然に出づ、勢は然らしむるに出づ、人の豊肉にして痺する者有り、
然れども、此の説は人の形を論じて、軍の形を論ずるに至らず、軍の形は主将つねに教練して無形に至るごとくする故、上兵の形あるは勢自ずから備わりて、その形の及ぶ処、これを防ぐに物なし。
是をまことの軍形と云ふ。
上兵の勢あるは、其の機変無究にして、天地の如く江海の如く、孰れか能く之を究めん。
是れ孫子の所謂、形勢なり、と。
武徳全書に云はく、
上に形を言ふは、乃ち人をして測る可からざらしむ。
此れ勢を言ふは、乃ち人をして禦ぐ可からざらしむ、と。
合參に云はく、
勢は時に随ひ進退の宜なり、と。
武経通鑑に云はく、
此の篇の言ふ所の勢は何ぞや、奇正是れなり。
奇変じて正と為り、正変じて奇と為る、其の勢、究まり無きなり、と。
太史公云はく、
形勢の利、国を
又た云はく、
形勢強しと雖も、要するに仁義を以て本と為す、と。
孫子曰く、
形
後漢の荀悦云はく、
決勝の策を立つるに二。
一に曰く形、二に曰く勢、と。
唐の李靖云はく、
形
袁了凡云はく、
虚実篇に云ふ、兵は常勢無し、敵に因りて変化すと。
故に此の篇前半は奇を出だすを言ひ、後半は敵を動かすを言ふ、先づ常勢無きを言ひ、後に敵に因るを言ふなり、と。
山鹿素行曰く、
案ずるに凡そ兵士相ひ集まりて既に
其の衆多なるや、之を置くの地無し、故に未だ嘗て之を分たざるはあらず。
分たば則ち数有り、故に兵を治むるに分数を以て本と為す。
分数又た容易ならず、能く其の物を致して而る後に其の分数を論ず可し、と。
魏武云はく、
部曲を分と為し、
杜牧云はく、
分なる者は分別なり、数なる者は人数なり、と。
直解に云はく、
分は偏裨卒伍の分を謂ふ、数は十百千萬の数を謂ふ、と。
山鹿素行曰く、
形は形を示して下知をなすを云ひ、名は声音を以て下知を通ずるを云ふ、と。
大全に云はく、
既に
山鹿素行曰く、
奇は変して用ゆるの術、乃ち権道なり、正は正しきを用ゆるなり、乃ち経なり。
始計篇に謂ふ所の五事七計は、是れ正なり、奇は利に因りて権を制するなり。
未だ戦はずして始計する
孫子自ら奇正を解して云ふ、正以て合し奇以て勝つと。
然れば敵と刃を交へ相ひ戦ふの時、彼に向ひて攻撃するの兵を正と云ひ、相ひ戦ふの位を考へ、其の勢をはかって、変じて是れを打つを奇と云ふなり。
戦法多しと雖も、極めて云ふ
山鹿素行曰く、
三軍の衆とは、兵衆大軍なれば下知通じず、士卒の心一致せざるが故に敗るることやすし。
この故に古の名将必ず大事の戦には小勢を用ゆること多し。
然れども能く奇正を用ひて、衆を闘はしむること寡を用ふるが如きときは、大軍に優れることあらず。
この故に三軍の衆と云へり。
その上、奇正を用ふるの道、たとえ五人十人の上においても、其の心得なきにあらず、況や五百千に及ぶの人数は、尚ほ以て奇正を用ひざる無しと雖も、敵を受けて必ず敗るる無きと云はんには、三軍の衆にあらざれば全く奇正を論ずることなりにくし。
三軍の衆を率ひるにおいては、いかほど敵参りたるとも、終に敗るること之無きに至るは、奇正の術にあるべきなり、と。
武経全書に云ふ、
先づ出で合戦するを正と為し、後に出づるを奇と為す。
奇正を
山鹿素行曰く、
奇正更に両端無し、正は是れ正なり、奇は是れ奇なり。
孔子、斉桓晋文を評して曰ふ、正にして
是れ兵法の奇正なり。
正はただしきなり、正しきと云ふは、定制の則を
堂々正々として進退止の三つ、手足身の練習、相ひ叶ひて乱れざるを云へり。
奇は異なり、詭なりと注す、又た数の偶ならざるを奇と云ふ。
皆な一に定まらず、能く変化して常ならず、退くも進むも格を離れて格に合ひ、独往独来、是れ乃ち奇変権謀のまふけなり。
上兵にあらずしては、奇正の用を尽くすこと之れ有る可からず、と。
武経通鑑に云ふ、
八陳図るを以て之を観るに、四正の陳を正と為し、四隅の陳を奇と為す、正を以て合ひ、奇を以て勝つ。
若し敵来たりて我が奇を攻めば、則ち奇を以て正と為し、之と合ひ、正を以て奇と為して之に勝つ。
此の如くならば則ち前後左右、奇変じて正と為り、正変じて奇と為りて究まり無きなり。
奇正を知りて之を用ふ、敗るる無き所以なり、と。
大全に云ふ、
敵を受くるは意を安んじて敵に赴き、阻避する無きを言ふなり、と。
必字を畢字と作す、
張預曰ふ、
三軍
尉繚子云ふ、
正兵は先を貴び、奇兵は後を貴ぶ、と。
魏武、奇正を論じて云ふ、
先づ出で合戦するを正と為し、後に出づるを奇と為す、と。
李衛公云ふ、
兵は前向を以て正と為し、後却を奇と為す、と。
李筌云ふ、
敵に当るを正と為し、傍より出づるを奇と為す、と。
梅堯臣云ふ、
動なるを奇と為し、静なるを正と為す、と。
山鹿素行曰く、
兵を用ふるの形は分数形名をよくするにあり、而して三軍敵を受けて敗るる無く、兵を加へて必勝の道は、奇正虚実に出でざるなり。
終わりに虚実を論じて下篇虚実の篇の発端とするなり。
凡そ奇正と虚実は、表裏にして離れず、奇正は大将の制法によることなり。
虚実は奇正によってあらわるるが故に、虚実は敵在りと云へり。
虚実を論ずるには奇正を以てするにあるなり、と。
張預曰く、
分数定まりて然る後に形名を習ひ、形名正しうして然る後に奇正を分ち、奇正を審らかにして然る後に虚実を見る可し。
四事は次を序する所以なり、と。
通鑑亦た云ふ、
我れ其れ分数を清くし、其れ形名を明にし、其れ奇正を治め、敵を致し虚ならしめて之を撃たば、則ち我の兵を敵に加はること、石の卵に投ずるが如くに然り。
実を以て虚を撃つを言ふ、是れなり、と。
大全に云はく、
言ふは我の実を以て人の虚を撃つ、兵の指す所、敢へて鋒に
猶ほ石卵の相ひ相当せざるがごときなり。
其の破砕殘滅の容易なるを言ふ、と。
武徳全書に云はく、
此の奇正の兵を用ひて敵国に加ふ、以て石を鳥卵に投ずるが如く、敵を破ること必せり。
此れ彼れ此の虚実の勢を知るに非ざれば、何を以てか之を能くせん、と。
語句解説
- 更互(こうご)
- 交互。交替。かわるがわる。
- 什伍(じゅうご)
- 十分の五、半分。古代の軍隊で十人一組、五人一組の部隊。また戸籍の編成で十家または五家を一組とする。
- 旌旗(せいき)
- 旗印のこと。色鮮やかな旗。
- 孔子(こうし)
- 孔子。春秋時代の思想家。儒教の始祖。諸国遊説するも容れられず多数の子弟を教化した。その言行録である論語は有名。
- 桓公(かんこう)
- 桓公。春秋時代の斉の君主。春秋五覇の一。菅仲を抜擢して斉の隆盛を築く。
- 文公(ぶんこう)
- 文公。春秋時代の晋の君主。名は重耳。内乱によって亡命して諸国を放浪し、後に重臣に請われて62歳で帰国。恵公を打倒して主の座につくと、わずか9年のうちに晋の混乱を治め覇業を達成した。斉の恒公と共に春秋五覇の筆頭に数えられる。
- 譎(けつ)
- いつわる、あざむく。かわる、ことなる。そむく、たがう。
- 曹操(そうそう)
- 曹操。三国時代の魏の始祖。治世の能臣、乱世の姦雄と称せらる。政治、兵法に優れると共に詩文にも才を発揮。献帝を擁して天下に覇を唱えた。
<< 前のページ | ランダム | 次のページ >> | |