1. 孫武 >
  2. 孫子 >
  3. 軍形 >
  4. 1
  5. 2
  6. 3
  7. 4

孫武

このエントリーをはてなブックマークに追加

孫子-軍形[4]

兵法は、一に曰く度、二に曰く量、三に曰く数、四に曰く称、五に曰く勝。
地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。
故に勝兵はいつを以てしゅはかるがごとく、敗兵はしゅを以ていつはかるがごとし。
勝者の戦、積水を千仞せんじん谿たにより決するが若き者は、形なり。

現代語訳・抄訳

兵法の要は、一に度、二に量、三に数、四に称、五に勝。
地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。
故にいつしゅを以てはかればその軽重明らかなるが如く、度量数を立てて敵をはかれば勝負の帰趨もまた明らかとなる。
故に勝者の戦における、険しき谷に水を満たして決するが如き者は、形である。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」73-76/183
関連タグ
孫子
孫武
古典
<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>

備考・解説

地利あり、容るに足る。
人物あり、入るに足る。
天時あり、為すに足る。
廟算あり、謀るに足る。
勝算あり、戦うに足る。
孫子始計に五事を以て本と為す。
五事とは道天地将法をいう。
度は長短広狭をはかり、故に地にかかる。
量は分量軽重をはかり、故にひとものにかかる。
数は計数運命をはかり、故に天にかかる。
称は道法七計をはかり、故に謀にかかる。
度量数は地将天に通じ、称は道を修めて法を保ち以て七計を謀る。
度量数称を得て、然る後に全勝を知る、以てその備え無きを攻め、その不意に出でるは戦なり。
いつしゅの例えは知り難し。
然れども之をはかるに称字を用ゆ。
称を生ずるに度量数有り。
地をはかり、人物をはかる、これ守るなり。
天をはかる、これ攻むるなり。
攻守全くしてその勝をはかる、これ勝負を知る所以なり。
天時を得るは敵に在り、地利を得るは己に在り。
勝兵は自ら保ちて敗れざるを為し、然る後に勝つべきを待つ。
敗兵は天時得るを望みて己を後にす、故に勝敗をおさむる能はず。
これ度量数に軽重生ずる所以なり。
故に勝者の戦たるや、積水して形有り、これを決して形無し。
深谷を得るは地を得るなり。
積水するは人物を得るなり。
水の満つるは時を得るなり。
この後に謀りて可なれば決すべし。
そこに勢を得て、権を制す、全勝を得る所以なり。
いつしゅの例え、ここに通ずというべきか。

山鹿素行曰く、
兵の形に凡そ四あり、行列営法陣法城法是れ形の定まれるなり。
四のもの、此の段の五法をもるることあらず、此の四を以てはかって而る後に勝つことを得る故に、第五を勝と云へり。
今一形に付きて其の法を論ず、余は推してかんがえるべきなり。
例へば備を立てるときは、其の地形を考へ、其の地をはかって、地の遠近広狭険易を知る、是を度と云ふ、是れ又た天をつもるなり。
此の広さの地には何ほどの兵士を立て能らんと、其の地へ置くべきつもりをはかるを量と云ふ、是れ斗斛とこくをはかりて、其の分量をつもる心なり。
而して其の入り人衆をきはめ、何百何千何万と定むる、是れ数なり、数は其の衆寡大小をこまかに考へはかる。
称はつり合ひを考ふることなり、備を立てたる前後左右のつりあい、地の広狭険易に相ひ応ぜざる相ひ応ぜる、軽重のつりあい、皆な称なり、称ははかりを以て其の軽重を宜しからしむるを云ふ。
此の四を以てはかるときは、其の備に勝つこと自ずから備はる、是れ度量数称勝と、五法ある所以なり。
形あるもの此の五を外るることあらざる故、是を以て我をはかり、是を以て彼を考ふるときは、其の形の善悪之をかくす可からざるなり、と。
山鹿素行曰く、
今案ずるに度は広狭長短大小をはかるなり、量は浅深を量るなり、数は多少衆寡及び其の次第を数ふるなり、称は軽重有餘不足をはかるなり。
例へば、国をはかるに、その国の大小をはかり、険易広狭をつもるは度なり、その国の租税土産等の物をつもるは量なり、其の国の人の衆寡男女の多少をはかるは数なり、称は其の国のつりあいを考ふるなり。
つりあいとは、度量数を合わせ、その国の有餘不足をつもる是れなり。
然れば度は地をはかるにかかる、地についてはかるべきほどのことを詳らかに尽くすは度なり。
量はその物をはかるなり、米穀金銀諸器諸用其の入ることをはかるを云ふ。
数は其の人をはかるなり、兵士人民男女の衆寡を考へ、其のついでを考ふるは数なり。
称は其のつりあいをはかることなり、君臣のつりあいよりはじめ、知徳謀略のつりあい、及び地形米糧諸器のつりあいを考ふるを推して皆な称と云ふべし。
行列営法備城の四形は定まれることなり、其の外いづれも此の四をかけて考ふるときは、其の可否疑ふべからざるなり。
されば此の四のもの能く調ふるとき、はじめて其の形勝つ処きわまるなり。
勝はそのすぐれまさる処にも相ひ通ずるなり、と。
又た云ふ、
度は地なり、量は人物なり、数は天時なり、称は謀なり、勝は戦なり、と。
山鹿素行曰く、
万物の形するもの、地を離るることあらず、故に地を以て本とす。
地をはかることを詳らかにするを度と云ふ、是れ地の度を生ずるなり。
地を詳らかにはかって、而る後に其の内へ入る物をはかる、地をはからざれば、其の物を知るべきたよりなし、故に度は量を生ずるなり。
其の内へ何ほど入ると云ふことをはかりて、後に其の内へ物をいるる、是れ乃ち量の数を生ずるなり。
而る後に其のつりあいを考へて、満をおさえ不足をつぐ、是を称と云ふ、是れ数の称を生ずるなり。
此の如きときは則ち勝つこと備はりて全し、是れ称の勝を生ずるなり。
案ずるに地度量数は形の定まれるなり、称に至りては、其の才知権変に従がひて其のつりあいをはかり、其の有餘不足を知ることなるが故に、形に定まれる所なし。
はかりの重りの所々にて相ひ変わりて、一定の形あって一定の形なきが如くなり。
然れば此の度量数はそなわりても、称を以て是れを計較せざれば、変に応ずることを得ざるが故に勝つ可からず、故に称を以て重しとして称は勝を生ずと云ふなり、と。
又た云ふ、
度量数称皆な是れ思慮計較するの心、則ち始計篇の計較の多算是れなり。
計算すること其の実を尽くさざれば、則ち孫子が兵法に叶わず。
孟子云ふ、はかりて然る後に軽重を知り、度して然る後に長短を知る、と。
山鹿素行曰く、
いつしゅにあわすれば甚だ重し。
是れ乃ち始計篇の多算少算の心なり、鎰は多算なり、銖は少算なり、と。
山鹿素行曰く、
水もと無形にして常形なし。
其のながるる流れまことに濫觴らんしょうばかりなりと雖も、是を千仞の谷に貯え置くときは、其の形を窺測きそくす可からざるに至る。
此の時、水の形甚だ興盛たり。
此の水をさくって流すときは暴水急にほとばしり、たちまち激浪起こりて、奔雷の響きをなし、万物これに当るものなし。
凡そ軍の形も亦た此の如し。
兵もと無形なり、良将よく是れを練り、是れを治めて、其の習熟養練久しきときは水を千仞の谷にみちて測れざるに異ならず。
而して是れを用ゆるときは、其の形勢の大に盛んなること、千仞の谷より水の一度に流れ出るが如し、誰か我をふせぎ、誰か我に相ひ当るべけんや。
是を軍の形といへり。
凡そ天下の物、其の険にしてさかしきをば、山を以て比すと雖も、山は険にして其の形常にして勢い無し。
水は平易にして柔弱なりと雖も、是れが勢いをなすときに及んでは、太山も是が為に崩れ、磐石も是が為に流さる。
本と声無くして声を生じ、元と静にして忽ちく、元と平にして忽ちほとばしる。
更に常形無くして、所に従がひて無究の形を為す事、水にくは無し。
孫子、兵の形を水に象るといへり、この故に軍形の末篇において、此の一句を出だして形也の二字を以て此の篇を結するなり、と。
大全に云はく、
問ふ、軍形篇に、積水を千仞せんじん谿たにに決する者は、形なりと曰ひ、軍勢篇に、圓石えんせき千仞せんじんの山に転ずる者は、勢なりと曰ふ。
夫れ山谿は等しきのみ、一は其の形に於いてし、一は其の勢に於いてす、其の旨如何と。
答ふ、此の題の重きは形勢の二字上に在り。
山谿等しと雖も、而して圓石積水自ずから同じからず。
石は本と静物なり、而して圓石は則ち動き易し、故に転ぜば即ち禦ぐ莫きの勢有り。
水は本と動物なり、而して積水は即ち静の至り、故に決せば即ち測る莫きの形有り。
一は則ち其の迅利を言ひ、一は則ち其の幻化を言ふ、孫子ふたつ喩ふ、豈に漫然ならんや。
積字と圓字、決字と転字、清疏體貼たいふを要す、と。
又た云はく、
形勢の二字、是れ策眼。
軍形は人をして測る莫からしむるを貴び、兵勢は人をして禦ぐ莫からしむるを貴ぶ。
故に孫子、軍形に在りて、積水を千仞せんじん谿たにに決するを以て喩ふ、正に以て其の測り難きの意を明らかにす。
兵勢に在りて、圓石えんせき千仞せんじんの山に転ずるを以て喩ふ、正に以て其の禦ぎ難きの意を明らかにす、と。

語句解説

鎰(いつ)
昔の金の重さの単位。二十両、または二十四両。
銖(しゅ)
わずかな重さ。百黍。また、一両は二十四銖。
斗斛(とこく)
一斗と一石。僅少のものをいう。斛は十斗。
濫觴(らんしょう)
杯を浮かべるほどの小さな流れ。物事の起源。觴はさかずきの意。
体貼(たいふ)
おもいやる。
<<  前のページ  |   ランダム   |  次のページ  >>


Page Top