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孫武

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孫子-軍形[3]

勝つを見るに衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なる者に非ざるなり。
戦ひ勝ちて天下善と曰ふとも、善の善なる者に非ざるなり。
故に秋毫しゅうごうを挙ぐるを多力と為さず、日月を見るを明目めいもくと為さず、雷霆らいていを聞くを聡耳そうじと為さず。
古の謂ふ所の善く戦ふ者は、勝ち易きに勝つ者なり。
故に善く戦ふ者の勝つや、智名無く勇功無し。
故に其の戦ひ勝ちてたがはず、たがはざる者は、其の勝ちをく所、すでに敗るる者に勝つなり。
故に善く戦ふ者は、不敗の地に立ちて、敵の敗を失はざるなり。
是の故に勝兵は先づ勝ちて然る後に戦を求め、敗兵は先づ戦ひて然る後に勝ちを求む。
善く兵を用ふる者は道を修めて法を保つ、故に能く勝敗の政を為す。

現代語訳・抄訳

勝ちを察するに衆目の知る所に止まるは善の善なる者とはいえず、戦いに勝ちて天下にこぞって善と称えられるも善の善なる者とはいえない。
故に細き毛を挙げて力有りとは為さず、太陽や月をみて目が明らかとは為さず、雷の轟きを聞いて耳があきらかとは為さず、このように易くして当然なれば衆目は知りて称えること有らず。
故に古にいう所の善く戦う者は、勝ち易きに勝ちて無形のうちにこれを為す。
故に善く戦う者の勝つや、智名無く勇功無し。
戦うところ必ず勝ちて違うこと無く、その勝ちを置くところ、すでに敗れるべくして敗れる者に勝つのみ。
故に善く戦う者は、不敗の地に立ちて敵を窺い、その敗亡の兆しを逃さず。
この故に勝兵は必ず確信を得て後に戦を求め、敗兵は先ず戦って後に勝ちを求む。
善く兵を用いる者は道を修めて法を保つ、故によく勝敗をおさむるに至るのである。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」69-72/183
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古典
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備考・解説

勝つを見るに関して山鹿素行は「未だ勝たざる内に勝ちを知る」と解く。
衆目には察せざる所を察し、当たり前の如くに勝利を致す。
これを善の善なる者という。
故に孫子曰く、善く戦う者の勝つや智名無く勇功無し、と。
智者は千慮に一失有り、愚者は千慮に一得有り。
智も無く功も無き者に至っては、未萌を慮って得失すらも生ずる無し。
無形のうちに決するは、天下衆人の及ぶべからざる所なり。
「道を修め法を保つ」は始計冒頭における道天地将法の五事の第一と第五を指す。
天地は沿うべし、将は得るべし、道は修むべし、法は保つべし。
道を修め、法を保つは人にして、これを失いて天地に適う者は無し。
勝敗を支配するは人に有り、これを得るは天地に有り。
ふたつながら備えて之れ全く、備えざれば之れ危し。

山鹿素行曰く、
見勝と云ふは、未勝にして勝つ可きことを考へみるなり。
衆人の知る所に過ぎずとは、常人の知りて勝つ可きの術なり。
云ふ心は、未勝にして勝つを知ること、庸主凡将も心得たることなれば、善の善にあらざるなり。
衆人も敵軍破りて勝つことなきにあらず、是れ又た一時の幸により、一朝の智謀によることなれば、百戦百勝を期するにあらずと雖も、其の勝つ所あるは衆人にても、戦の利に当ることあるが致す所なり。
然れば是れ又た善とは云ふ可くして、善の善にはあらざるなり、と。
山鹿素行曰く、
天下善を曰ふは善なるべきなりと雖も、人皆な愚にして実理を知らざるが故、多くは迷惑して必ず奇行異術を好み、是れを称美すること通法なり。
この故に衆人は論ずるに及ばず、天下善と曰ふは、亦た善の善なる者に非ざるなり。
孫子が兵の古今に傑出する所以なり。
衆人は庸人凡人を云ふ、天下善と曰ふは名誉あるを云ふ、と。
山鹿素行曰く、
挙ぐること力入らず、見ること目の力入ることなし、聞くこと耳の力入らざるが故に、天下の者を集めて是を上しめて見せしめ聞かしむとも、誰か是を挙げず見ず聞かざるものあらんや。
孫子が謂ふ所の善の善なる勝ちは、此の如くやすらかにして力の入るる処あらざるなり。
手ある者は天下皆な之を挙ぐ、目ある者は天下皆な之を見、耳ある者は天下皆な聞くがごとくなる故に、百度戦ふてもたがはざるに至る、是れ智名無く勇功無きに非ずやと云へる心なり、と。
李卓吾云ふ、
彼れ其の軍形すでに自ら敗壊す、吾れ特に因りて之を敗壊するのみ、我れ自ら之を敗壊せしに非ざるなり。
秋毫しゅうごうを挙ぐるが如く、日月を見るが如く、雷霆らいていを聞くが如く、其の形此の如く其れ易し。
之の如くして天下又たいずれか能く之をよみせん云々、と。
袁了凡云ふ、
此の三句は勝ち易きの句を興起す、と。
山鹿素行曰く、
易勝と云ふは孫子自ら注してすでに敗るる者に勝つなりといへり、然れば定まれる形あるべからず。
戦の始中終に随ひ、敵の衆寡守攻により、天時地形人の変に応じて、いづかたにても、彼すでにやぶれて居る処あるべし。
其の図をうつときは、石以て卵を投ぐるがごとくなるべし。
されば上兵はあらわれても勝ち、萌ても勝ち、形しても勝つ、況や未萌未形未見にも勝ち、更に定まれる勝ちの形なし。
唯だ易に勝つのみなり。
兵を学ぶもの常に工夫致すべき要法なり、と。
袁了凡云はく、
勝於易勝の四字、一篇の主意、と。
大全に云はく、
易勝の二字、乃ち軍形篇一章の眼、全く説き得て力を費やさざるを要す。
直に手到り擒し来るに似て、驚天動地を要せず。
上文に戦ひ勝つは善に非ず、秋毫しゅうごうを挙げるに力と為さず、日月を見るに明と為さず、雷霆らいていを聞くに聡と為さざるを観るに、正に是れ未だ戦はずして人を形無きに制す。
故に曰ふ、勝ち易し、と。
山鹿素行曰く、
天下皆な善と云ふときは、智名有り勇功有り、是れ誠に善なり。
其の一重上を云ふは智名勇功の立処は、力の入所なり。
上手の入り、目きき耳ききの入ることにして、若し力たらざるか、耳目の及ばざる処あらんには、必ず敗亡の機あり。
故に善とは云ふべくして、至善とは云ふべからず。
智もいらず勇もいらず、然れば名も功もなき所の勝ちにあらずしては、善と云ふべからざるなり。
聖知の兵を論ずるに非ずんば、此の如く言々妙所あるべからざるなり、と。
賈林、雑字を以て措字を解く、
言ふは、勝理一途に非ず、雑へて之をはかるなり、と。
山鹿素行曰く、
不失と云ふは、時勢は必ず失ひ易きものなり、故に不失といへり。
古人云ふ、時は得難くして失ひ易しと云ふの心に同じ。
又た云ふ、時の反側、間に息を容れず、之に先すれば則ちはなはだ過ぎ、之に後るれば則ち速やかならずと云ふの類これなり、と。
大全に云はく、
立字最も妙、兵家の勝負、亦た是れ常事、如何ぞ敗れざらん。
謂ふ所の立つは、我れ先づ個の実落地歩を立て、件件周全、日日備へを厳にし、根深く本固きが如く搖撼ようかんす可からず、わずかに之を立つと謂ふ。
又た或ひは我が心中に個の一定計較を存し、千軍萬馬亦た奪う可からず、わずかに之を立つと謂ふ。
総べて是れ先づ勝つ可からざるを為すなり、と。
太公云ふ、
勝ちを白刃の前に争ふは、良将に非ざるなり、と。
菅子云ふ、
攻伐の道、計必ず先づ内に定めて、然る後に兵を境に出づ、と。
尉繚子云ふ、
戦ひ必ずしも勝たず、以て戦ひを言ふ可からず。
攻むる必ずしも抜けず、以て攻むるを言ふ可からず、と。
山鹿素行曰く、
愚将の必ず敗軍を致すべきは、戦を好んで計を知らず、この故に先づ戦ひてゆきあたり勝ちを求むるなり。
この故に愚将の戦ひはたまたま戦ひ勝つことを得るも、皆な幸ひにして免るるなり、と。
大全に云はく、
先勝は是れ先づ一定の勝算有り、但だ去りて戦はんと要す。
一戦以て勝負を分つ、然れども此れ容易の事に非ず。
須く是れ事事按排一定すべく、人に比して先せざる所無くして、而る後に戦を求む。
乃ち従容を得、乃ち自在を得ん、と。
武経通鑑に云ふ、
勝は是れ敵の勝つ可きを待ち、能く自ら保ちて全うし、勝ち易きに勝つ。
敗は是れ其のすでに敗るるに勝ち、敵の敗を失はざるなり、と。
山鹿素行曰く、
案ずるに近世の兵法を談ずる者、法を保つを言ひて専ら道を修めず、儒を談ずる者、道を修むるを言ひて法を保つを知らず、故に或ひは既に之を失ひ、或ひは為に之を得ず。
孫子の道を修めて法を保つの一句、體用本末理形ふたつながら兼備して、尤も古今の兵戒に為れり、と。

語句解説

秋毫(しゅうごう)
秋に細まった毛。非常に少ないこと。秋に抜け変わる獣の細い毛から。
明目(めいもく)
見通すこと。
雷霆(らいてい)
雷のとどろき。いかずち。
件件(けんけん)
どれもこれも。あの件この件。一つ一つ。色々な事柄すべて。
揺撼(ようかん)
ゆりうごかすこと。
従容(しょうよう)
ゆったりとして落ち着いている様。物事に動ぜざる様。
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