孫武
孫子-軍形[1]
孫子曰く、
昔の善く戦ふ者は、先づ勝つ可からざるを為し、以て敵の勝つ可きを待つ。
勝つ可からざるは己に在り、勝つ可きは敵に在り。
故に善く戦ふ者は、能く勝つ可からざるを為し、敵をして必ず勝つ可からざらしむる能はず。
故に曰く、勝は知る可くして、為す可からず、と。
現代語訳・抄訳
孫子が言った。
昔の善く戦う者は、先ず自軍を治めて敗られざるの形を整え、以て敵の乱れを待つ。
百戦して危うからざるは己に在り、勝ちを得るは敵に在り。
故に善く戦う者は、自軍を治めて敗られざるを為す。
然れども敵をして敗れるに至らしむることは必ずしも得る能はず。
故に古語にはこのように言っている。
勝ちは知るべくして、為すべからず、と。
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」65-68/183
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備考・解説
百戦して危からざる者同士が戦えば、いずれも勝ちを得ること能はず。
孔明、挑発して敵失生ぜんと欲するも、司馬懿、堅忍して綻びを見せず、これ両者の対陣百日に及ぶ所以なり。
敵に不備有らざれば、如何なる智者と雖も制する能はず。
勝ちを知るは敵の不備を知り時宜の来るを知る、善く戦う者は、これに乗じて勝ちを為すのみ。
謀攻篇における勝ちを知るの道を察すべし。
尚、山鹿素行は「知るは思考上のことで易く、為すは実行上のことで難き」意(備考ラストに記載)としているが採らない。
山鹿素行曰く、
形は、軍の形なり。
既にあらわるるときは形有り、其の形を察するときは、其の情
孫子、自兵の形を註して象水と云へり。
此の篇末にも亦た積水を以て軍形に比す、是れ軍の形に形無きを以て本と為す。
形無ければ則ち深間窺ふ可からず、智者は謀る能はず、万物の中、形して形無きものは水火の二なり。
古人、兵を以て水火に比す、是れ乃ち無形の形なり。
軍の形も此の如くならば、則ち見て之を取る可からず、知りて之を測る可からざるなり。
孫子謂ふ所の常形無きなり、形無きに至るなり、形人にして我形無きなり、形兵の極み形無きに至るなり、形において無究に応ずるなり。
この故に此の篇は専ら無形の心を含めり。
今案ずるに軍形兵勢虚実の三篇、是をみるもの、互ひに雑へ合せて之を熟読し、而る後に其の実を得べきなり。
三篇皆な互ひに雑へて言ふ、故に三篇相ひ通ぜずんば則ち之を説き易からず、と。
山鹿素行曰く、
心を敵にいたし、敵、此の如くせば我れ負くる可き所ありやと、幾重にも内習を具にいたして、何方にも負くる可き処これ無きがごとく自らおさむる、是れ先づ勝つ可からざるを為すなり。
此の一句、軍形の至極なり、此の如く詳らかに尽くさんには、軍形残らず調ふべきなり、先為の二字尤も味あることなり。
一説に勝つ可からざるを為すとは、彼に勝つことは容易可からずと存して、ほこるの心なく、つとめて足らざるが如くいたし、其の心得を以て我を詳らかにおさむる、是れ先づ勝つ可からざるを為すと云ふと。
此の説の如くなれば勝の二字は皆な我にかかるなり。
下章の勝つ可からざるは守ればなり、勝つ可きは攻むればなり、守れば則ち足らず、攻むれば則ち余り有りの語に相ひ応じて、尤も意味ふかし。
旧説皆な前説に之れ従がふ。
以て敵の勝つ可きを待つとは、我れ自ら能く治め形を全くして後に彼が上に勝つ可き処の出来をまちて其の隙を乗ずるなり。
我れ自ら治めて乃ち彼を打つと云ふにあらず、彼勝つ可きの図の出来を待つべしとなり。
前篇に虞を以て不虞を待つと云ふと同意なり。
虞は自治なり、不虞を待つは以て敵の勝つ可きを待つなり、と。
大全に云はく、
古の善く戦ふ者は、形勢の地に
何を以て敵の我に勝つ可からざる者有らんや、己に守禦の備へ有るを以てなり。
何を以て我れ以て敵に勝つ可き者有らんや、敵に乗ず可きの形有るを以てなり、と。
又た云はく、
先ず勝つ可からざるを為すの一句、以て一章の旨を
中間に九天に戦ひ、九地に守り、易勝先勝自保修道を講ず、皆な是れ此の意、総べて是れ自固厳密の意を要す、と。
又た云はく、
先為の二字、軽略忽過す可からず。
正に是れ軍形を詳審にし、以て自保し勝ちを全うするの策を為して、敵人をして以て之に勝つ有るを無からしむ、
又た云はく、
凡そ敵と塁を対し、敵の我に勝つを慮らず、只だ我れの人に勝つを
惟だ善く戦ふ者は、力を用ひて有形の中に図維し、以て無形の用を妙にし、自ら治むるに既に密にし、全く
又た云はく、先づ勝つ可からざるを為す、
勝つ可からざるは即ち先為裏面に在り、と。
通鑑に云はく、
先づ勝つ可からざるを為す者は、士卒を養練し、死生の地、存亡の道を察し、堅甲利兵、深謀密計、其の形を隠閉し、智者も測る能はず、鬼神も知る能はず、
然る後に敵の多寡を
山鹿素行曰く、
天の時あり地に処ありて、人の変、亦た一ならずして、知れるごとく、是を行なふこと叶はず。
故に良将の権変知略皆な一図に定形あらざるなり。
知と云ふは居ながらつもり考へてはかることなり、為と云ふは身にいたし事に用ひて是を行なふなり。
然れば言語を以て談論することは易く、是を行なふことは難しと云へる心なり。
之を知るは難からず、之を行なふは難しの心に相ひ通ずるなり。
杜佑通典、
語句解説
- 諸葛亮(しょかつりょう)
- 諸葛亮。三国時代の蜀の丞相。字は孔明。劉備に三顧の礼によって迎えられ天下三分の計を達成するも五丈原に志半ばで病死。清廉にして公正、人々は畏れながらも敬慕し、その統治を懐かしんだという。
- 司馬懿(しばい)
- 司馬懿。三国時代の魏の将軍。字は仲達。軍略に優れ、大将軍となって呉蜀との戦線を指揮。諸葛孔明との対峙は有名で、誘いにのらない司馬懿にさしもの孔明も為すすべも無かったという。
- 糧餉(りょうしょう)
- 兵糧。かて。
- 懈怠(かいたい)
- なまける。くつろぐ。怠慢。
- 疎虞(そぐ)
- おろそか。
- 蓍亀(しき)
- 筮と卜。占いに使うめどぎと亀の甲羅。蓍蔡。
- 范蠡(はんれい)
- 范蠡。春秋時代の越の功臣。字は少伯。軍略に優れる。越王勾践を助けて呉を滅ぼし、越の覇業を達成させるも、「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る」の言葉を残して下野した。
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