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孫武

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孫子-謀攻[3]

故に兵を用ふるの法、十ならば則ち之をかこみ、五ならば則ち之を攻め、倍ならば則ち之を分ち、敵せば則ち能く之と戦ひ、少ならば則ち能く之を逃れ、かざれば則ち能く之を避く。
故に小敵の堅きは、大敵の擒なり。

現代語訳・抄訳

故に兵を用いるの法は、兵数十倍なれば之を囲みて疲弊せしめ、五倍なれば時宜を見て之を攻め、倍なれば之を分断して優位を保ち、同数なれば奇正を致して能く之と戦い、少数なれば変幻自在に之を翻弄し、兵数及ばず兵勢盛んならざる時は速やかに之を避く。
故に少数劣勢にして堅守するに固執するは、大敵の擒なりという。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」57-60/183
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備考・解説

倍は味方を分けて一は敵を抑え、一は奇兵を用いるとの説あり。
ただし、他の之が敵を指すことから、今回は倍における之も同意であるとして、敵を分断する意とした。
「能く戦う」は奇正を兼ねてこれに当たる。
能く逃れ、能く避け、時宜地利を捉えて之を制し、敵の謀を伐ち、敵勢を分ち、敵兵を分ち、味方の力を全くしてこれに当たるをいう。
「能く逃る」は奇兵に尽く。
速やかに当たり、速やかに逃れ、その形跡窮まり無くして、大敵も捉える能はず。
小敵の堅きを、大敵の擒と為す所以を察すべし。

張預云はく、
尉繚子云ふ、守法は一にして十に当たり、十にして百に当たり、百にして千に当たり、千にして万に当たると。
是れ乃ち此の法に同じ、と。
山鹿素行曰く、
我兵、彼に五倍する時は、かこむと云ふとも、其の位を見て是を攻むべきなり。
かこむと云ふときは、取り巻いて我方より戦いを挑まず之を攻めず、攻と云ふときは位を見、利を考へて、是を攻むべきなり。
魏武注に、三術を正と為し二術を奇と為すとあり。
杜牧、之を注して云ふ、術は道のはかりごとなり、五を以て一に敵すれば則ち当に己が三を取りて、分けて三道と為し、以て敵の一面を攻め、己の二を留めて其の備へ無きの処をうかがひ、奇を出して之に乗ずべしと。
案ずるに五倍するときは彼をかこむと云ふとも、其の位を見て攻むべし。
然らば三分は彼をおさえ、二分ははたらきの勢をいたすべしと云ふの心なり、と。
山鹿素行曰く、
我兵、彼に一倍ならんときは、彼が兵士の数ほどを彼に相対せしめて、相ひ残るを引分けて奇兵に用ゆべし。
魏武注には、一術を正と為し一術を奇と為すとあり。
杜牧之を非として曰く、此の言は非なり。
此れ言ふ、二を以て一に敵せば、則ち当に己の一を取りて、或ひは敵の要害におもむき、或ひは敵の必ず救ふを攻め、敵の一分の中をして、復た須らく分減して相ひ救ふべきを便わきまへ、因りて一分を以てして之を撃つべしと。
夫れ戦法は衆寡を論ずるに非ず、毎陳皆な奇正有り、人衆を待ちて然る後に能く奇を設くるに非ず。
項羽、鳥江に於いて二十八騎、尚ほ之をあつめず、猶ほ奇正を設け、循環相ひ救ふ、況や其の他に於いてをや、と。
張預曰く、
吾の衆、敵に一倍せば、則ち当に分けて二部と為し、一以て其の前に当たり、一以て其の後を衝き、彼れ前に応ずれば則ち後に之を撃ち、後に応ずれば則ち前に之を撃つべし。
れ謂ふ所の一術を正と為し、一術を奇と為すなり。
杜氏、兵は分かるれば則ち奇為り、あつまれば則ち正為るをさとらず、而してにわかに曹公を非とす、何ぞ誤るや、と。
山鹿素行曰く、
人衆相ひ同じときは士卒の能戦によって勝敗あるべきなり。
兵士の練不練勇怯をはかり、器械をはかり、其の有余不足を詳らかに致して、戦のいたしようにおいて勝を得るべきなり。
能と云ふ字、最も心を付くべきなり、と。
曹操曰く、
己と敵人と衆等し、善なる者は猶ほ当に伏奇を設け、以て之に勝つ、と。
杜牧曰く、
此の説は非なり。
凡そ己と敵人と兵衆の多少、智勇利鈍、一旦相ひ敵せば、則ち以て戦ふ可し。
夫れ伏兵の設けは、或ひは敵の前に在り、或ひは敵の後に在り、或ひは森林叢薄そうはくに因り、或ひは暮夜昏晦こんかいに因り、或ひは隘阨あいやく山阪さんぱんに因りて、敵の備へざるを撃つ。
自ら伏兵と名づく、奇兵に非ざるなり、と。
陳皥ちんこう曰く、
言は己と敵人と衆寡相ひ等しければ、先づ奇兵勝つ可きの計を為し、則ち之に戦ふ。
故に下文に云ふ、若かざれば則ち能く之を避くと。
杜説は奇伏之を得るなり、と。
張預曰く、
彼我相ひ敵せば則ち正を以て奇と為し、奇を以て正と為し、変化紛紜ふんうん、敵をして測る莫からしめ、以て之と戦ふ。
れ謂ふ所の奇伏を設けて以て之に勝つなり。
杜氏、凡そ陳を置くに皆な奇を揚げ伏に備ふる有るをさとらず、而して伏兵は当に山林に在るを云ふは、非なり、と。
山鹿素行曰く、
今案ずるに、将の智謀、兵士の勇、兵衆の強、天時地利、法令賞罰、兵均しくして、我れ能く戦へば彼れ亦た能く戦ひ、事々皆な互角、是れ乃ち敵と云ふべし。
此の時の能く戦ふと云ふは、いかなることをか云ふべきや。
みるもの心付くべきなり、と。
山鹿素行曰く、
少とは、我寡彼衆なり。
云ふ心は、敵より我れ小勢ならんには、其の地にて相ひ戦はず、後日の位をみるべし。
故に逃れて去るべしと云ふ、と。
又た云ふ、
逃は相ひ対するの義に非ず、其の形をかくし、天時地利に因り、其の形を見て急に兵を用ひざるなり。
故に能く之を逃ると云ふ、と。
又た云ふ、
逃は形をかくして城に篭り堅固に守りてともに戦はざるなり、旧説皆な然り。
逃は隠るの心あり、此の説亦た通ず、是れ古本に逃字を守の字につくれるあればなり。
武経全書に逃の字を守に作る。
注に云ふ、野を清め壁を堅うしてともに戦ふ勿きなり、或ひは逃に作る、恐らくはあやまる。
直解に云ふ、逃は今本誤りて守に作る。
案ずるに魏武李筌注、皆な壁を高うし塁を堅うして出でざるの注解有り、然れば乃ち古来、守字に作れるか。
然らずんばなんぞ逃字に因りて、壁を高うして出でざるの説か有らんや。
孫子參同武経全書皆な之を守るに従ふ、講義直解開宗之を逃るに従ふ。
愚謂ふ、下件に小敵の堅きは大敵の擒なりと云ふ、此の句に因れば則ち逃字もっとも可なり、守字に作らば則ち小敵の堅きなり、と。
杜牧曰く、
兵、敵せざれば、すべからく其の鋒を避け、当に隙をうかがひ、便すなはち奮決して勝ちを求むべし。
能と言ふ者は、能く忿いかりを忍び恥を受け、敵人の求挑すれども出でざるなり。
曹咎そうきゅうにおける氾水の戦のごとくせざるなり、と。
陳皥ちんこう曰く、
此の説は非なり。
但だ敵人の兵、我に倍せば則ち宜しく之を避け以て其の志を驕らし、もつて後に図を為すべし。
忿いかりを忍び恥を受くるを謂ふに非ず。
太宗、宋老生を辱めて以て其の衆を虜す、豈に是れ兵力等しからざらんや、と。
山鹿素行曰く、
敵と少と若かざるとのみに於いて能字を加ふ、是れ尤も用兵の意味深長なる処なり。
上兵は用捨皆な道に因りて功名を事とせず、この故に今まで彼と相ひ戦ひて戦ふ毎に勝つと雖も、彼俄に大軍の新手を得るか、或ひは小勢なりと雖も、兵勢甚だ盛んならん時は、軽く逃れ速やかに避けて、是になづむ処あらざる、是れ皆な能く之を逃げ、能く之を避くと云ふべし。
前篇に強にして之を避くと同意なり、然れども強と云ふ時は必ず勢にかかる、若かざると云ふ時は必ず気力の間いずれか若かざる処あり、共に避くなり。
治乱勇怯労逸飽飢の若かざる、皆な是れなり、と。
山鹿素行曰く、
良将は進退去留皆な其の義に随ひて堅きに偏らざるなり。
堅は堅忍の心なり、杜牧之に従ふ。
案ずるに堅忍の心あらんには却て能く之を避け能く之を逃るべし。
乃ちじを忍び辱を忍ぶ男児の心なり。
ここは己が勇を恃み、兵法に達せるを恃み、地利の険を恃み、糧食の多きを恃みなど致して、堅固にとりかまへて居る心なり。
十則圍之よりこの段にまで、兵法衆寡の用を云ふこと尤も詳らかなり。
之をかこみ之を攻むと云ふは攻城に対せるなり、之を分ち之と戦ひ之を逃れ之を避くは戦法なり。
之をかこみ之を攻むは戦法にも此の心得同意なり。
能く是を味ふるときは衆寡の用法、此の外に余議無きなり、と。

語句解説

曹操(そうそう)
曹操。三国時代の魏の始祖。治世の能臣、乱世の姦雄と称せらる。政治、兵法に優れると共に詩文にも才を発揮。献帝を擁して天下に覇を唱えた。
項羽(こうう)
項羽。秦末の武人。向かうところ連戦連勝、わずか三年にして覇王を称すも劉邦との一戦に敗れて滅亡。四面楚歌の故事は有名。
叢薄(そうはく)
草むら。群がり生えているすすき。叢はくさむら、群がる意。薄はすすき(植物)の意がある。
昏晦(こんかい)
くらいこと。
隘阨(あいやく)
せまくけわしい。進み難いところ。
山阪(さんぱん)
坂道。
紛紜(ふんうん)
複雑に入り混じる様。
曹咎(そうきゅう)
曹咎。楚の武将。項羽に仕える。漢軍の挑発に憤怒して渡河したところを狙われて大敗し自刎。
太宗(たいそう)
太宗。唐の二代目皇帝。李世民。父の李淵に従って各地の群雄を討伐し、その天下平定に多大な功を挙げた。平定後、玄武門の変で兄の李建成を殺害、父の李淵から帝位を譲位された。その治世は貞観の治として称えられ、国勢は日増しに高まったという。
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