孫武
孫子-謀攻[2]
故に上兵は謀を伐つ、其の次は交を伐つ、其の次は兵を伐つ、其の下は城を攻む。
城を攻むるの法、已むを得ずと為す。
将、其の
故に善く兵を用ふる者は、人の兵を屈して、戦ふに非ざるなり。
人の城を抜きて、攻むるに非ざるなり。
人の国を
必ず全を以て天下に争ふ、故に兵
此れ謀攻の法なり。
現代語訳・抄訳
故に上兵は謀を伐ちて無形のうちに之を制し、その次は交を伐ちて屈せしめ、その次は誘い出して之を伐ち、最も下策は力を以て城を攻む。
故に城を攻むるの法は、やむを得ずして為すのみ。
城攻めは、大楯や大車を用意し攻城兵器を不足無きように備えるのに三ヶ月かかり、拠点となるべき付城土塁を築くのに三ヶ月を要す。
将として兵を統べる者が憤怒軽挙し、着実なる工夫を致さずして蟻のように敵城に群がり、士卒の三分の一を失って、なお城を抜けず、これを攻の災いという。
故に善く兵を用いる者は、人の兵を屈するに戦うを以てせず、人の城を抜くに攻めるを以てせず、人の国を破るに久しきに及ばず。
必ず全を以て天下に争い、兵を損なうことなくして、その利を失うこと無し。
これを謀攻の法という。
- 出典・参考・引用
- 山鹿素行注・解「孫子諺義」54-57/183
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備考・解説
謀を伐つは力要らず、時宜を制し、機先を制し、敵をして尽く体を為させず。
交を伐つは威を加え、友好を潰し、助力を無くし、敵を孤立せしめて抗する能はず。
兵を伐つは力を加え、軍陣を突破し、敵兵を潰し、力を以て屈せしむ。
城を攻むるは、力を尽して之を陥れ、城下を荒廃させ、敵味方互いに国力を尽して後に遂ぐ。
山鹿素行曰く、
謀を伐つより交を伐つは難し。
況や彼が兵、既に陣を堅くし形を全くするときは、之を討つこと尤も難し、而して城は堅陣の極なり、と。
山鹿素行曰く、
謀を伐つと云ふは、彼が機を考へ其の謀を図って、速やかに之に勝つ、是れを無形の勝と云ふ、と。
太公に云ふ、
善く患を除く者は、未生に
魏武李筌註に云ふ、
其の始計を伐つ、と。
張預注に云ふ、
謀を用ひて以て人を伐つ、と。
山鹿素行曰く、
謀は事の始めに有り、自他共に先づ謀りて而る後に戦ふ、是れ通法なり。
其の始は事、未だ成らざるが故に、之に勝つに力いらざるなり。
然れば彼が謀あるをよく考へて其の謀の挫くべきを挫き、違はしむべきを引き違え、間を放って其の謀の相ひ成さざる如くならしむる、皆な彼の謀入らず、是れ謀を伐つなり、と。
大全に云はく、
伐つは木を伐るの伐の如し。
木を伐る者は、其の枝葉を
謀を伐つ者は、其の腹心を潰し、其の羽翼を剪り、敵をして復た逞しくせざらしむ、と。
山鹿素行曰く、
孫子が云ふ所は、上兵は謀を伐つの一句に有り。
其の次は皆な将の中材なり、と。
山鹿素行曰く、
上兵と云へども、交を伐ち兵を伐ち城を攻むること無きに非ず。
然れども交を伐ち兵を伐ち城を攻むるとも上兵は皆な謀を伐つの心を用ゆ。
是れ客変じ主と為すの心、人の城を抜くは攻むるの心に非ざるなり、と。
武経通鑑に云ふ、
謀を伐つは其の謀計の外に出でて、其の謀をして用ふる無からしむ。
交を伐つは先づ其の交援を断ち、其の勢をして弱ならしむ。
兵を伐つは彼の常用熟使の器械、恃みて以て便と為す者、我れ則ち其の
三者は皆な戦はずして人の兵を屈するの法なり、と。
山鹿素行曰く、
凡そ大将に好謀有り、好戦有り、好器械有り、好守攻有り。
いずれも皆な其の長所あるが故に、其の術に至りては、大利を得ること甚だ多し。
然れども謀を好むは兵の本なり、その次は一技術数たり。
この故に上兵と云ふべからず、況や百戦百勝すら善の善に非ざるをや、と。
大全に云はく、
如何ぞ之を上兵と謂ふ、蓋し謂ふ諸様兵を用ふる、
人
此の如き豈に是れ上兵ならざらんや、と。
山鹿素行曰く、
忿の字、将の過をあらはせるなり。
始計に謂ふ所の怒らして之を
大将其の利不利を見ず、而して己が怒りに任せるときは、軍事必敗すること必然なり、と。
王鳳洲曰く、
孫子、非戦非久と言ふや、善し。
其れ楚を伐ち平王の
太史公曰く、能く之を言ふ者は、未だ必ずしも能く行はず、諒なるかな、と。