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孫武

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孫子-謀攻[1]

孫子曰く、
凡そ兵を用ふるの法、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。
軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。
旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。
卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。
伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。
是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。
戦はずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。

現代語訳・抄訳

孫子が言った。
凡そ兵を用いるの法は、全くして自然に帰服せしめるを上策とし、力を以て敵を討ち、国土を荒廃させて後に屈服させるはその次である。
これは国・軍・旅・卒・伍、如何なる単位の戦であっても同様である。
この故に百戦百勝は善の善なる者に非ず。
戦わずして敵兵を帰服せしめるを善の善なる者という。

出典・参考・引用
山鹿素行注・解「孫子諺義」49-54/183
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古典
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備考・解説

一軍は一万二千五百人、一旅は五百人、一卒は百人、一伍は五人。
山鹿素行曰く、
軍旅卒伍の制は、周の法なり。
周公の定めし所の軍民の制の名なり。
五人を伍と為し、五伍を両と為し、四両を卒と為し、五卒を旅と為し、五旅を師と為し、五師を軍と為すなり、と。

山鹿素行曰く、
凡そ作戦は戦ふことを論じ、謀攻は攻むることを云へり。
攻は城を攻め堅きを破るを云ふ。
謀を以て彼を屈せしむること、是れ攻の本意にして、力を以てするにあらざること明白なり。
作戦は士卒の志を振作興起せしめて後に戦ひ、謀攻は謀を以て敵を屈して後に攻む。
実に戦攻の本意なり、と。
山鹿素行曰く、
今案ずるに杜牧曰く、廟堂の上、計算すでに定まり、戦争の具、糧食の費、悉くすでに周備せば、以て謀攻す可し云々と。
是れ謀字を以て軽しと為す。
曹操、張預、皆な智謀を以て城を攻むと為す、是れ謀字を以て城を攻むるの智謀と為す。
愚謂ふ、謀字猶ほ軽し、此の一篇は全字を以て主と為す、全は謀の効なりと。
且つ曰く、全を以て天下に争ふ、故に兵やぶらずして利全かる可し、此れ謀攻の法なりと。
是れ謀字を以て甚だ重しと為すなり、と。
武徳全書に云ふ、
凡そ全と言ふ者は、謀を以て勝を致し、彼れ此れ倶に全きを得。
破と曰ふは則ち兵を用ふる者なり、と。
大全に云はく、
国を全うするの二字、是れ兵刃へいじん血ぬらざるの意と雖も、但だ兵を用ひて敵人をして心を傾け国を挙げて来服せしむ、是れ最も難事、上兵と為す所以なり。
上と為すの二字、最も力量有り論頭有り、忽略こつりゃく看過す可からず、と。
山鹿素行曰く、
我に道義を立て、義旗をふるい、天応じ人順ひ、上下能く志を一にして、其の道義を以て彼が心を威せしむる時は、彼れ自ずから屈す。
たとへ彼が主将たてつくとき云へども、其の国の人民、皆な戟を倒して、自らの主に敵して味方に降参すべし。
古来聖賢の兵を用ゆるの実理、真に神武にして人を殺さずの道なり。
是れを善の善と云ふべきなり。
旧説に此の段の善の善は、謀を以て之を伐つの心に見べしと云へり。
然れども善の善と云ふときは、聖人の兵の用を指す、是れ孫子が本意なり、と。
揚子法言に曰く、
戦はずして人の兵を屈するはなり、と。
山鹿素行曰く、
下に上兵は謀を伐つと云ひ出せるは、善の善と云ふ内より説き述べたる言なり。
上兵と云ふときは、未だ善の善ならざるなり。
然れども兵家の謀を以て云ふときは、百戦百勝は勇力につき、善の善は謀功につくべし。
項王百戦百勝すと雖も、漢祖の謀におち入るが如し。
唐の李靖曰ふ、戦はずして人の兵を屈するは上なり、百戦百勝は中なりと。
是れ又た謀と戦と二に分くるの説なり。
此の如く戦と謀とみることは勿論なりと雖も、表的といたすことは、上兵の上、善の善に非ざれば貴ばざるなり、と。
又た云ふ、
講義に周武王を以て未だ善の善に当たらざると為す、此の説、甚だ高し。
蓋し戦はずして人の兵を屈するの道は、其の本一にして其の用ふる処、窮まり無し。
善の善にして亦た一事ならず、しょうを以て武を論ぜば、須らく未だ善を尽さざるべし。
故に周武の如きは未だ善の善に当たらず、而して前徒の戈を逆にすれば、則ち戦はずして人の兵を屈せるに非ずや、と。
廣註に云はく、
通篇に百戦百勝は戦はずして人の兵を屈するに如かざるを言ふ、所謂、謀なり、と。
李卓吾云はく、
夫れ謀りて人の国を攻めんと欲せば、便ち先づ人の国を全うするを謀り、以て軍を全うし旅を全うし卒を全うし伍を全うするに至る。
一点も全きを要せざるは、蓋し唯だ人の国を全うするを以て、人の謀を攻むと為し、又た人の謀を伐つを以て、謀攻の上策と為す、故に軍旅卒伍の一として全きを得ざる無きなり。
始めて全を以て天下を争ふと謂ふ。
其れ百戦百勝を以て善と為さずして、戦はずして人の兵を屈するを善の善と為すを以て、則ち謂ふ所の「善く戦ふ者は上刑に服す」にして、尤も孫子の赦さざる所、是れ儒生の迂腐にならふに非ざるなり。
乃ち善く戦ふと為す所以、善く謀攻と為す所以、後の兵を用ふる者、其れ慎みて忽せにする毋れ、と。
大全に云はく、
兵を以て相ひ接するを戦と曰ふ、戦はざるは是れ兵を以て相ひ接せざるなり、れ屈なり。
是れ敵人の自己に窮屈し了はる、是れ心悦びて誠に服するに非ず、但だ兵を用ひて此等の光景に到る、亦た容易に非ず、と。
又た云はく、
此の篇、是れ謀攻を言ふ。
故に戦はずして人を屈す、只だ謀攻上に在りて講ず。
聖王の仁義の人心を服する者と同じからず、然れども題檯をもって高くして講ずるも、亦た自ずから妨げず、と。

語句解説

曹操(そうそう)
曹操。三国時代の魏の始祖。治世の能臣、乱世の姦雄と称せらる。政治、兵法に優れると共に詩文にも才を発揮。献帝を擁して天下に覇を唱えた。
忽略(こつりゃく)
ないがしろにする。おろそかにする。
堯(ぎょう)
堯。尭。古代の伝説的な王。徳によって世を治め、人々はその恩恵を知らぬまに享受したという。舜と共に聖王の代表。
舜(しゅん)
舜。虞舜。伝説上の聖王。その孝敬より推挙され、やがて尭に帝位を禅譲されて世を治めた。後に帝位を禹に禅譲。
項羽(こうう)
項羽。秦末の武人。向かうところ連戦連勝、わずか三年にして覇王を称すも劉邦との一戦に敗れて滅亡。四面楚歌の故事は有名。
劉邦(りゅうほう)
劉邦。前漢の始祖。秦を滅ぼし、項羽と天下を争う。野人なれども不思議と人が懐き、「兵に将たらざるも、将に将たり」と称せられた。
李靖(りせい)
李靖。唐の将軍。太宗に従って各地を転戦し戦功を挙げる。兵法家として有名で常勝の名をほしいままにしたという。武経七書の一である李衛公問対にその真髄が描かれている。
武王(ぶおう)
武王。周王朝の始祖。太公望を擁して殷討伐を成し遂げた。
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