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孔子

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論語-里仁[2]

子曰く、
不仁者は以て久しく約に処る可からず、以て長く楽に処る可からず。
仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す、と。

現代語訳・抄訳

孔子が言った。
仁ならざる者は久しく困窮の中に居り、または長く富貴の中に居らば、自らを失いて定まるところ無し。
仁者は仁に安んじて貴賤貧富は知るところに非ず、知者は仁ならんと欲して己を修め、倦むところ無し、と。

出典・参考・引用
久保天随著「漢文叢書第1冊」140-141/600
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備考・解説

ここでの知者は、現代のような知では無く、道理を知る者をいう。
仁者は自然にして道理に合い、知者は道理を知るが故に守るべきを守り、為すべきを為す。
仁ならんと欲してろしきに至り、極まりて遂に仁者とその帰を一にす。
学知の聖人の在りし所以というべきか。

蒙引に云く、
不可は不能なり、約楽は処する所の地を以て言ふ、約は貧約なり、楽は豊約なり、と。
蒙引に云く、
久の一字に二説有り。
南軒謂ふ、其れ一時猶ほ或ひは能く勉強す、蓋し久しければ濫淫すること必せりと。
大全に呉氏謂ふ、聖人の人を待つこと厚し、言を立つこと従容たり、故に此の如しと。
注に曰く、
約は窮困なり、利は猶ほ貪るごときなり、蓋し深く知り篤く好んで必ず之を得んと欲するなり、と。
通義に云く、
約は楽と相対す、故に約は窮困の二字を訓ず、窮は是れ不達、困は是れ貧窘ひんきんなり、と。
大全に雙峰饒氏の曰く、
知者の仁に於ける、小人の利を貪るが如し、皆な深く知り篤く好んで、必ず之を得んと欲す、と。
章圖に胡季時曰く、
深く知り篤く好みて、必ず之を得んと欲す、三節に分つ、一節は一節りも深し、此の三者を合せてまさに利字の旨を尽す、と。
通義に程復心曰く、
深く知るは心を以て言ふ、篤く好むは情を以て言ふ。
深く知るは知の上より説く、篤く好むは利の上より説く。
必ず之を得んと欲すは、是れ貪るを見る可し、と。
南軒の張氏曰く、
不仁者は勉強して暫く処ること則ち之れ有り、や久しければ則ち移る、約楽に於いて至らざる所無し。
不仁の人は、其の本心を失う、久しく約れば必ず濫し、久しく楽れば必ず淫す、と。
雙峰の饒氏曰く、
濫は水の泛濫はんらんするが如し、淫は水の浸淫しんいんするが如し。
久しく約せば、餞寒の為にせまられて、自ら守ること能はず、以て禮法の外に放蕩するに至り、水の溢れて外に出で去るが如し、故に濫と曰ふ。
久しく楽なれば、富貴の為に溺らされて、自ら守ること能はず、知らず覚らず、驕奢に至り、水の裏に侵入し来るが如し、故に淫と曰ふ。
濫の字は是れ窮すればここに濫すの濫、淫の字は是れ富貴も淫すること能はざるの淫。
惟だ仁者は其の仁に安んじて、適くこと然らざる無く、知者は則ち仁を利して、守る所を易へず、蓋し深浅の同じからずと雖も、然も皆な外物の能く奪ふ所に非ず、と。
大全に朱子曰く、
仁者は温淳篤厚にして、義理自然に具足し、思を待たずして之を為す、而して為す所皆な是れ義理、所謂仁なり。
知者は是非有るを知りて、義理に於いて取り、以て其の是を求めて、其の非を去る、所謂知なり。
深は仁者を謂ひ、浅は知者を謂ふ。
仁者の心は便すなはち是れ仁、知者は未だ私意無きこと能はざるも、只だ是れ私意の是ならざるを知り得て、著脚ちゃくきゃくの在る所、又た私意無きは是れ好むを知り得。
所以ゆえ千方百計せんぽうひゃっけい、亦た私意に克ち去らんことを要す、と。
胡氏曰く、
きゅうひ草をひ、将に身を終へんとするが若く、袗衣しんいきんを鼓して、もとより之れ有るが若き、此れ仁に安んずる者の久しく約に処り、長く楽に処るなり。
原憲げんけん環堵かんと閔損びんそん汶上ぶんじょう、魯の季文子きぶんし、斉の晏平仲あんへいちゅう、此れ仁を利する者の久しく約に処り、長く楽に処るなり、と。
謝氏曰く、
仁者は心に内外遠近精粗の間無し、存する所有るに非ずして自ら亡びず、理する所有るに非ずして自ら乱れず、目視して耳聴き、手持ちて足行くが如きなり。
知者は之を見る所有りと謂はば則ち可なり、之を得る所有りと謂はば則ち未だ可ならず、存する所有らばここに亡びず、理する所有らばここに乱れず、未だおもふこと無き能はざるなり。
仁に安んずるは則ち一、仁を利するは則ち二、と。
雙峰饒氏曰く、
心に内外遠近精粗の間無きとは、是れ他の仁熟する処を説く、他人此処に於いて能く存すれば、彼処に於いて或ひは存すること能はず、此処に於いて能く理するも、彼処に於いて或ひは理する能はず、唯だ仁者は内面此の如く、外面も亦た此の如し。
遠近精粗、適として然らざる無し、と。
通義に程復心曰く、
間無きは是れ渾然たる一理、存する所有るに非ずして、自ずから亡びず、故に目視耳聴くが如し。
理する所有るに非ずして、自ずから乱れず、故に手持ち足行くが如し、と。
蒙引に云く、
此れ是れ守る所を易へざらんことを要す。
自ずから亡びず、自ずから乱れず、是れ天然にして然る、すなはち乱れざるは是れ人力の然る所、と。
大全に慶源輔氏曰く、
存は其の體を言ふ、理は其の用を言ふ。
知者は操存する所有り、其の體すなはち亡びず、経理する所有り、其の用すなはち乱れず。
仁者は則ち此の如きを待たず、體用一にして、皆な自然にして然り、と。

語句解説

従容(しょうよう)
ゆったりとして落ち着いている様。物事に動ぜざる様。
貧窘(ひんきん)
貧しく苦しい。
著脚(ちゃくきゃく)
立つ。
舜(しゅん)
舜。虞舜。伝説上の聖王。その孝敬より推挙され、やがて尭に帝位を禅譲されて世を治めた。後に帝位を禹に禅譲。
袗衣(しんい)
ぬいとりのある衣服のことで、礼服とされる。
原憲(げんけん)
原憲。春秋時代の魯の人。孔子の門人。字は子思。原思とも呼ばれる。節を守り貧しくして道を楽しむとあり、清貧で知られた。「原憲の貧」の故事がある。
環堵(かんと)
家の周りの垣根。狭くて貧しい家。堵はかきの広さの単位。
閔子騫(びんしけん)
閔子騫。名は損、字は子騫。孔門十哲の一人で顔回と共に徳行にすぐれるとされた。
汶上(ぶんじょう)
汶水のほとり。世間から退くこと。論語の雍也篇・閔子騫の言葉から。
晏嬰(あんえい)
晏嬰。春秋時代の政治家。斉三代に仕える。景公の代には宰相となって黄金期を創出。私心なき晏子の姿を敬慕した司馬遷は史記の中で「御者となってでも仕えたい」と讃している。
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