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朱熹

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近思録-存養[16]

今の学者は、敬すれども自得せず、又た安からざる者は、只だ是れ心生ずればなり。
亦た是れはなはだ敬をち来り事とし得て重ければなり。
此れ恭にして禮無くんば則ち労することなり。
恭とは私に恭を為す恭なり、禮とはたいに非ざる禮にして、是れ自然底の道理なり。
只だ恭にして自然底の道理を為さず、故に自在ならざるなり。
須らく是れ恭にして安らかなるべし。
今容貌必ずただしく、言語必ず正しき者は、是れ独り其の身のみ善くし、人に如何とふをもとむるをふに非ず。
只だ是れ天理まさに此の如くなるべく、本より私意無し。
只だ是れ箇の理にしたがふのみ。

現代語訳・抄訳

今の学びし者は、敬して自得すること無く、心に私意を生ずるが故に安らかならず。
これは敬を敬として表面ばかりを重んじ、それでいて自らにかえらぬからである。
故に論語の泰伯篇には「恭にして礼無くんば則ち労す」と記されている。
礼無き恭とは私に恭を為す恭であり、ここでいう礼とは形式的な礼では無く、自然にして生ずる所の道理をいう。
表面上は恭しくとも自然に溢れる道理を心に存さねば、形に固執するばかりで自得するには至らない。
故に学びし者は、恭敬を存し、心を安んずることが肝要なのである。
居処動作いずれも礼に適い、言語に発して正なる者は、自らのあり方が善であろうとするばかりであって、決して他人から誉められんことを望むのではない。
ただ自然の道理としてそのように外に溢れるのであって、はじめから私意などはなく、ただ天理とその心を一にして在るだけなのである。

出典・参考・引用
久保天随著「漢文叢書第10冊」260-261/556,塚本哲三編「近思録・伝習録」93/478
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備考・解説

注釈に曰く、
恭にして禮無くんば則ち労す、この語は論語泰伯篇に在り。
恭は、本と敬の外にあらはるる者なり、それに自然の道理あり、然るに、只だ容貌を恭しくつつしみて、礼節の自然にあたらざれば、これは強いて恭をなすにより、内外ともに疲れ労るなりと云ふ意なり、と。
注に曰く、
敬を持して自得の意無く、又た之を為して安からざる者は、但だ心を存すること未だ熟せざるの故なり。
意をして大に過ぎ、勉強して以て恭を為し、而して禮の本と自然なるを知らず、是れ以て労して安からざるなり。
私に恭を為す者は、意をして以て恭と為し、而して其の公を行ふ者に非ざるなり。
非體の謂ひは、升降しょうこう揖遜ゆうそんの儀、鋪筵ほえん設几せつきの文に非ざるを謂ふ。
蓋し自然にして安んじしたがふの理なり。
私意は矯飾作為の意を謂ふ。
理にしたがへば則ち自然にしたがふ。
当然を尽くして、何ぞ安からざること有らんや、と。

語句解説

升降(しょうこう)
昇降。上り下り。栄枯盛衰。
揖遜(ゆうそん)
揖して譲る。揖は手を前に組む推手の礼と手を胸につける引手の礼をいい、相手を礼することを指す。
舗筵(ほえん)
むしろをしくこと。席を定める意。
設几(せつき)
机を設ける。また、祭礼や儀礼のときにひじかけと敷物を設けたことから、礼あることをいう。
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