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孔子

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論語-子路[19]

樊遅はんち、仁を問ふ。
子曰く、
居処きょしょきょう、事を執りてけい、人とともにして忠なること、夷狄いてきくと雖も、棄つ可からざるなり、と。

現代語訳・抄訳

樊遅が仁を問うた。
孔子が言った。
居るところ常に恭謙を失わず、事を執りて誠敬存し、人と接して忠義を忘れず、何時如何なるときも、これを心に保ちて棄てざること肝要なり、と。

出典・参考・引用
久保天随著「漢文叢書第1冊」416-417/600
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備考・解説

燃犀解に云く、
仁を為すの方法を問ふ。
居処時に恭なれば、則ち仁は便すなはち居る処の上に在り、事を執る時に敬なれば、則ち仁は便ち事を執る上に在り、人と与にする時に忠なれば、則ち仁は便ち人と与にする上に在り。
若し能く常々此の如くんば、夷狄いてきくと雖も棄てず、此れ仁は便ち間断無し、と。
注に曰く、
恭は容を主とし、敬は事を主とす。
恭は外にあらはれ、敬は中に主たり。
夷狄いてきくとも棄つ可からざれば、其の固く守りて失うこときを勉めしむるなり、と。
程子曰く、
此れ是れ徹上徹下の語、聖人初めより二語無きなり。
之を充つれば則ち面に耳+卒うるほひ、背にあふる、推して之を達すれば、則ち篤恭とくきょうにして天下平らかなり、と。
陳氏曰く、
徹上徹下は、凡そ聖皆な是れ此の理なるを謂ふ。
小は則ち樊遅も用ふ可し、大は則ち堯舜も過ぎず、と。
輔慶源曰く、
聖人の言は上下に貫徹す、此れ数言は始学より成徳に至るまで、皆な此の如くなるに過ぎず。
近くして一身に耳+卒うるほあふれ、遠くして天下を治め平らかなること、亦た此に外ならず、皆な是れ上に徹し下に徹す、と。
通義に、史氏曰く、
徹上徹下の語、只だ是れ此の一語、既に以て上に徹す可く、又た以て下に徹す可し。
下は是れ初学の事、上は是れ成徳の事、居処恭しく、事を執りてつつしみ、人とともにして忠ありの語の如し。
夫子以て樊遅に告ぐるは、則ち初学に仁を求むる者、つねに当に事に於いて此れに従うべし、此の語は之れ下に徹する者なり。
然も面に耳+卒うるほひ背にあふれ、篤恭にして天下平らかなるの盛りに至るも、亦た此の三語に過ぎず、之を充たし推して之を達するのみ。
則ち徳盛んに仁熟する者も、亦た豈に能く此の三語を外にして、徳を成さんや、此の語は之れ上に徹する者なり、と。
胡氏曰く、
樊遅、仁を問ふ者は三、此れ最も先なり。
難きを先にするは之に次ぎ、人を愛するは其れ最後か、と。

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