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論語-学而[16]

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原文

子曰。不患人之不己知。患不知人也。

書き下し文

[非表示]

子曰く、
人の己を知らざるをうれへず、己の人を知らざるをうれふ、と。[1][2][3][4][5]

現代語訳・抄訳

孔子が言った。
人が自分を知ってくれずとも憂えることはない。
しかし、自分が人の真価を見抜けぬのであれば、これは憂うべきことである、と。

出典・参考・引用
久保天随著「漢文叢書第1冊」64-65/600,伊藤仁斎(維禎)述、佐藤正範校「論語古義」25/223
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論語
孔子
古典
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備考・解説

野に遺賢無さしむるは治国平天下の要である。
真の人物なればその人を視てその所以を知る。

注釈

文林貫
人字、指し得て広し。
君臣朋友等皆な是れなり。(文林貫)
朱子
若し宰相人を知ること能はざれば、則ち用捨ようしゃの際、賢を進め不肖を退くること能はず。
若し学者人を知ること能はざれば、則ち朋友に処するの際、益友損友を弁ずること能はず。(朱子)
胡雲峰
始めに「知らずしてうらみず」を以てし、終りに此の章を以てす。
学而一篇の終始なり。
*1始めに「亦た君子ならずや」を以てし、終りに「以て君子と為ること無し」を以てす。
始めは則ち結するに「人を知らざるを患ふ」を以てし、終りに則ち結するに「言を知らざれば以て人を知ること無し」を以てす。
論語一書の終始なり。
門人の紀次きじ、豈に意無からんや。(胡雲峰)
尹焞
君子は我に在る者を求む、故に人の己を知らざるを患へず。
人を知らざれば、則ち是非邪正、或ひは弁ずること能はず、故に以て患いと為す。(尹焞)
伊藤仁斎
晏嬰あんえいの賢にして、孔子を知らず、荀子じゅんしの学にして、子思・孟子を知らず。
甚だしきかな人を知らざるの患ひたるや。
鮑叔ほうしゅく管仲かんちゅうを知り、蕭何しょうか韓信を知るが若きは似たり。
然れども未だしきなり。
孔子に非ざれば、則ちの当に祖述そじゅつすべきを知らず、孟子に非ざれば、孔子の聖、生民以来、未だ嘗て有らざるを知らざるなり。
斯れを之れ能く人を知ると謂ふ、難きかな。(論語古義)

語句解説

晏嬰(あんえい)
晏嬰。春秋時代の政治家。斉三代に仕える。景公の代には宰相となって黄金期を創出。私心なき晏子の姿を敬慕した司馬遷は史記の中で「御者となってでも仕えたい」と讃している。
荀子(じゅんし)
荀子。戦国時代の思想家。儒学を修める。人の性は悪だとして礼による規範の必要性を説いた。後の法家となる韓非や李斯はその弟子。
鮑叔(ほうしゅく)
鮑叔。春秋時代の斉の大夫。桓公に管仲を推薦して斉興隆のきっかけをつくる。管仲に「私を生んだのは父母である。私を知るは鮑叔である」と言わしめた。管仲との友情は世に管鮑の交わりとして有名。
管仲(かんちゅう)
管仲。春秋時代の宰相。斉の桓公に仕えてその隆盛を担った。桓公は管仲を称えて「一にも仲父、二にも仲父」と言ったという。
蕭何(しょうか)
蕭何。前漢の建国の功臣。物資補給と拠点の関中を治安し、劉邦の覇業を後方で助けた。天下統一後には功績筆頭に挙げられる。漢の礎を築いた大宰相。
韓信(かんしん)
韓信。前漢の武将で劉邦の覇業に貢献。漢の三傑。大将軍。項羽亡き後、楚の王となるも粛清された。大志を抱き、些細な恥辱にはこだわらなかった様を伝える「韓信の股くぐり」は有名。
堯(ぎょう)
堯。尭。古代の伝説的な王。徳によって世を治め、人々はその恩恵を知らぬまに享受したという。舜と共に聖王の代表。
舜(しゅん)
舜。虞舜。伝説上の聖王。その孝敬より推挙され、やがて尭に帝位を禅譲されて世を治めた。後に帝位を禹に禅譲。
祖述(そじゅつ)
先人に基づいて述べること。
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  • *1以下、学而篇と堯曰篇(論語の末章)とを論ず。

関連リンク

孔子
中国の春秋時代の思想家。紀元前551-479年。それまでの原始儒教を体…


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