論語-学而[1]
原文
子曰。学而時習之。不亦説乎。有朋自遠方来。不亦楽乎。人不知而不慍。不亦君子乎。
書き下し文
[非表示]
[1][2]
子曰く、
学んで之[3]を
人知らずして
現代語訳・抄訳
孔子が言った。
道を学びて全うせんと日々に努む、なんと悦ばしきことではないか。
道を語り合うに足る朋友が来たる、なんとも楽しきことではないか。
人が道を行なわずとも怨みを生ぜず自らの誠を以て接す、これぞ君子というべきではないか、と。
- 出典・参考・引用
- 久保天随著「漢文叢書第1冊」28-34/600,伊藤仁斎(維禎)述、佐藤正範校「論語古義」16-17/223
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備考・解説
他人の不学不善に憂えず、自らを以て示しこれを導く、これ君子なり。
一段、自ら学ぶ、独立独行
二段、共に学ぶ、切磋琢磨
三段、人に学ぶ、他山の石
他山の石は玉を磨くべし、憂患のことは心を磨くべし。
この章は孔子が純粋に心情そのままを表現したものと感じ取った方が善いかもしれない。
道を学ぶ嬉しさ、友の来る楽しさ、君子たるべき者のあるべき生き方、その心情を吐露する。
道を学ぶ嬉しさを古人は「手の舞い足を踏むを知らざるの心」と表現し、相許する友の来たるを楽しく思う、これもまた人の自然な心情である。
毀誉褒貶はもとより学問そのほか何にも拘泥することの無くして悠々自適の至り、これを君子という。
自ら学んでそこに偏するは君子ならず、友来たりて楽しきを思わず、道を学びて学んでいるという心を生ずるは甚だ足らず。
学ぶことを悦び、友のあることを楽しみ、そして何事にも拘泥しないあり方を心に馳す。
中の心、無の真意を懐くべし。
2010/09/14追記
注釈
- 新安の陳氏
- 首章には時習を以て本と為し、次章には孝弟を以て仁を
為 むるの本と為し、三章には忠信を伝習の本と為し、千乗を道 むるの章には、五者を以て国を治むるの本と為すが如きは、皆な是れなり、余りは類を以て推す可し。
乃ち道に入るの門、徳を積むの基、学者の先務なり。(大全) - 蒙引
- 道に入るとは知を以て言ふ、徳を積むとは行を以て言ふ。
此の事を事物に在りては道と為し、此の道を心に得ては則ち徳と為す。
門と曰 ひ基と曰ふは、本の有る所なればなり。
大学の明徳は、有生 の初めに得る者なり、此れ之れ徳を積むは已 に生ずるの後に全うする者なり。(蒙引) - 朱子
- 之なる者は、其の知る所の理、能くする所の事を指して言ふ。(大全)
- 存義
- 学は知行を兼す、時習は是れ其の功を
已 めざるなり。(存義) - 程子
- 習は重習なり、時に復た
思繹 して、中に浹洽 すれば則ち説 ぶなり。(程子) - 程子
- 学は将に以て之を行はんとするなり。
時に之を習へば、則ち学ぶ所の者は我に在り、故に説 ぶ。(程子) - 程子
- 善を以て人に及ぼし、而して信従する者
衆 し、故に楽しむ可し。(程子) - 程子
- 説は心に在り、楽は発散して外に在るを主とす。(程子)
- 慶源の輔氏
- 説は是れ自ら知り自ら能くして自ら悦ぶ。
楽は是れ人皆な知り皆な能くして、而して我と人と楽を同じうす。(慶源の輔氏) - 存義
- 人の学を為す、君子たらんことを学ぶのみ。
学んで時に之を習ふ、善く己に得ること有りと雖も、然も未だ人に及ばず、楽しみ且 た得る可からず、固 に未だ君子たるに足らざるなり。
善く人に及びて、楽しむ可しと雖も、然も人知らずんば或ひは慍 る。
是れ尚ほ外に在る者を以て欣戚 を為す、未だ君子たるに足らざるなり。
故に学を為すの道、必ず己に足り、人に及んで、而して已 に忘るときは、則ち学の至り徳の成りて君子たるなり。(存義) - 講述
- 夫子此の章、倶に是れ自ずから
道 ふなり。
首節は是れ学んで厭はず、次節は是れ誨 て倦まず、末節は是れ怨みず尤 めず、我を知るは其れ天かの意。
故に三たび亦と曰ひ乎と曰ひ、皆な謙退して敢へて質 しく言はざるなり。(講述) - 尹焞
- 学は己に在り、知ると知らざるとは人に在り、何ぞ
慍 ること之れ有らん。(尹焞) - 程子
- 人に及ぼすを楽しむと雖も、是とせられずして
悶 ること無きは、乃ち所謂君子なり。(程子) - 雲峰の胡氏
- 説は是れ喜ぶの意、慍は是れ怒を含むの意、喜怒楽の三者は皆な情なり、皆な性の発なり、能く其の性の善に復りて、而して情の不善無ければ、学習の功大なり。(雲峰の胡氏)
- 新安の陳氏
- 是とせられずして
悶 ること無きは、易の乾の文言に出でたり。
人に是とせられずして、心に悶 ること無し、此の語を引きて知らずして慍 みずを解すること甚だ切なり。(新安の陳氏) - 朱子
- 人に及ぼして楽しむ者は、順にして易く、知られずして
慍 らざる者は、逆にして難し。
故に惟だ成徳の者之を能くす。(朱子) - 程復心
- 人に及ぼして楽しむ者は、情において順と為す、易き所以なり。
知られずして慍 らざる者は、情において逆と為す、難き所以なり。(通義) - 程子
- 楽は説に由りて而る後に得。
楽に非ずんば以て君子と語 ふに足らず。(程子) - 伊藤仁斎
- 此れ夫子自ら其の意中の事を言ひて、以て人を勧勉せるなり。
言はば其の心に適へば則ち悦び、其の願ひを遂ぐれば則ち楽しむは皆な人情の同じく然る所にして、人は未だ誠の悦楽を知らざるなり。
君子は人の仰ぎ慕ふ所にして、人未だ誠の君子を知らず。
故に学びて時に習ふときは、則ち得る所日に熟す、是を誠の悦と為す。
朋有り遠方より来るときは、則ち善く人と同ず、是を誠の楽と為す。
而して上は天を怨みず、下は人を尤 めず、入るとして自得せざる無きに至りては、則ち啻 に郷人たるを免るるのみならず、是を誠の君子と為す。
而して朋来の楽、不慍の君子、皆な学に由りて得たれば、則ち学の功たる、其れ大ならずや。
夫子、天地の為に道を立て、生民の為に極を建て、万世の為に太平を開きし所以の者は、亦た学の功なり。
故に論語は学の一字を以て一部の開首と為し、而して門人此の章を以て諸 れを一書の首に置けり。
蓋し一部の小論語と云ふ。(論語古義)