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熊沢蕃山
孝経小解-庶人[4]
孝は愛敬の心なり。
孝の字、愛敬の象あり。
上より見れば、老者の子をいだける象にて愛なり。
下より見れば、子の老者にしたがへる象にして敬なり。
故に、孝、終始無しとは、愛敬の心亡びたる義なり。
上、一人より、下、衆人にいたるまで、愛敬の心少しもなく成りては、災害いたらずと云ふ事なし。
天子にて、愛敬の心忘れて禍のいたるは、桀、紂、秦の始皇などなり。
未だ其の外にもあり、諸侯、卿大夫にも多し。
武士の喧嘩などして、はつるも、愛敬の心亡びて刃に及ぶ者多し。
人は心に生理の徳あるを以て人とす、なく成り虎狼心に成りては人にあらず、故に天刑忽ち及ぶ者なり、聖人、必然の理をのたまへり。
和漢ともに古今のためし多し。
日本にて、敬の道を失ひて、天下を失ひ給へるは、後白川院、後醍醐の天皇、武家にては、北條高時、足利家の末なり。
信長も敬を失ひて、反逆をまねかれたるといへり。
大君の敬は、あなどらざるを敬とす。
天下の人心を察して、禮式を定め給ひ、貴賤ともに無禮のなきように、政教道有れば、人をあなどらざるの敬あり。
自ら人をあなどり給はざれども、王代には、公家に諸国の士をあなどらしめ給ひ、武家の代には、旗本に諸大名の士を侮らしめ給ふは、自らあなどり給ふに千万倍せり。
武士もまた我が本生なる事をわすれて、民間の士を、百姓とてあなどれり、是れを士の礼儀を失ひて、教へなきと云ふなり。
孝を以て天下を治むる道にあらず。
故に末数代つづくべき代もつづかず、乱世と成りて、大なる憂ひ子孫に及べり。
誠に聖言たがはず、日本の王者は深きゆえあり、天照太神宮の御子孫にて、神武帝、大和国に都建て給ひしより、千歳うごきなかりし御代なれども、人をあなどり給ふ作法出来て、ほどなく武臣清盛に威をうばはれ、頼朝権を取りてより、終に天下を失ひ給へり。
事は或問に見えたり。
孝の終始無くして憂ひ及ばざる者はあらじの聖言、鏡にかげを寫すが如し。
天子、大樹だにしかり。
況や士庶人は、古今のためしかぞふるに、いとまなし。
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」25-26/88
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語句解説
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- 桀。夏の十七代目の王。暴君の代表。殷の湯王によって滅ぼされた。
- 紂王(ちゅうおう)
- 紂王。殷の三十代皇帝で暴君の代表。帝辛。材力人に過ぎ勇猛であったが無道にしてその治世は乱れ、周の武王によって滅ぼされた。
- 始皇帝(しこうてい)
- 始皇帝。秦の皇帝。名は政。戦国末期に諸国を滅ぼして天下統一を果す。皇帝の称号を定めて始皇帝と称す。万里の長城は有名。焚書坑儒によって言論統制を行う。厳格な法罰主義で民衆は反発。死後に反乱が起って没後わずか四年で秦は滅亡。
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