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熊沢蕃山

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孝経小解-庶人[1]

天道の時節をよく考え、地の五穀によろしき利に従がい、農業に怠らざるなり。
天下の事は農業より大なるはなし。
時に先達さきだつて用意し、時におくれずして種まき植える者なれば、古の聖主、民に時をさづくる事を、政の第一とし給へり。
上古は暦なし、天文の官、高き屋に居て、昼夜、天気をうかがへり。
十一月幾日いくにちの何時より、一陽来復いちようらいふくす、冬至なり、それより寒に入る日時、立春の日時、仲春ちゅうしゅん立夏りっか、夏至、秋分、四時土用、月々の節等、空に気を見て、天下四方の国々に命令す。
置郵ちゆうして命を伝えることは、古は、此の事より外はなかりしなり。
よく治まりたるしるしなり。
道学ありて問学ぶんがく広く、天文に器用にて、好みて見覚えたる人をこの官に用いられたり。
帝堯の時、義氏ぎし和氏わしを四方に置いて、気をうかがはしめ給ひしも、民に時をさづくる政あり。
この時分よりもはやこの官に居る人、稀なりしと見えたり。
上より命じ給ふばかりにてはならず、其の身天然と好く者を用いられたり。
好くはきようなればなり。
斯くの如く稀にては、この官に置く人なからん。
然らば農業の時もあやまるべしとて、大舜、璿璣玉衡せんきぎょくこうを作り給ひて、暦を命じ給へり。
是より後は、平人にても、この暦算だに伝受すれば、暦を作る事のなるようにし給へり。
是れ、聖人、神明の知なり。
地の利に因るとは地義、各々、宜しき所あるを利を云ふ。
田に早田わせた中田なかた晩田おくたあり。
たかなる田は、早稲わせ中稲なかせに宜し。
ひくなる田は、晩稲おくてに宜し。
わせなかおくの中にも種々あり。
古老のいひ伝へあり、自身の作覚さくかくあり、国によりてかはるも有り、先づ、天の道を用いて、地の利をはかるに、五月は、五月雨とて、雨の降る時節なり。
この雨水を用いて、あまねく、田に稲を植え付くるなり。
所によりて、四月より植るもあり、年により、時分に雨降らざれば、池にたくはへたる水をかけて植、川がかりは井水をかけて根付ず。
六月雷雨の時節なり、夕立を以て、植え付けたる田を養う時なり、山澤さんたくの政なければ、夕立せざる所ありて、日損す、故に名山、大澤は封せざる事あり。
七月は、天地の月にて、雨ふらず、俗に七月の藪からしと云へり。
たかなる田は、山田の地水のみにて、水すくなければ、七月の旱にあはざる前に、六月中七月へかかり熟して、七月中八月へかかりて刈り取る早稲わせを作るなり。
ひくなる田は、湿地にて、下地に潤いもあり、水がかりも多ければ、取り実多き晩稲おくてを植えて、秋の末より冬へかかりて刈り取るなり。
年により、五月雨も降らず、夕立もすくなく、七月に至りて却って大雨降り、洪水することあるは変なり。
高田たかたの地水すくなきは、日損す、低田ひくたも水かかりならざるは、取り実すくなし。
国は国君こくくんの力、天下は大君の力ならでは、民の分にては、全く地利を得ることあたはざる事あり。
畠物はたものも、まめあわむぎ黍稷きび等、各々よろしき地あり。
心を用いて栽植さいしょくするは、地の利によるなり。
木も土地に相応あり、地余りあらば植え置いて、子孫の余慶とすべし。
他人にても、前人のなし置きし物、己が用と成す事多し。
我も又た、後人の為になることを、なし置くべし。
総じて名物は、地気のしからしむるなり。

出典・参考・引用
中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」22-24
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備考・解説

藤樹曰く、
四時代謝して運行息まず、之を天道と謂ふ。
土地の発生する所、風気の運宜する所、物産同じからず、之を地の理と謂ふ。

語句解説

置郵(ちゆう)
駅伝。はや馬。車馬の宿場。宿駅。
璿璣玉衡(せんきぎょくこう)
渾天儀と玉で飾った天文観測器。書経の舜典にみえる。
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