熊沢蕃山
孝経小解-開宗明義[14]
道器合一、三才一貫の身なり。
故に此の立身は明徳を明らかにするなり。
終は
五倫の交はり、皆な明明徳の受用なり。
日用、常行、六芸の遊びに至るまで、明明徳の功に非ずと云ふ事なし。
徳を成すことは善を行なふにしくはなし。
鶏鳴きて、起きて、
善は、五倫の交はりに道あるを大なりとす。
父子親あり、君臣義あり、男女別あり、長幼序あり、朋友信あり、是れを五典と云ふ。
わかちていへば、父は慈に、子は孝、君は仁に、臣は忠、夫は和儀に、婦は貞順、兄は愛、弟は
孝の條理なり。
同じく五典、十義を行へども、心、外に向ふ時は、明明徳の功とならず。
真の善にあらず。
心、内に向ふ時は、五典、十義は云ふに及ばず、六芸の遊びに至るまで、明明徳の功と成りて善行なり。
たとへば、路次にて朋友に逢ひて、彼は歩行、我は馬なれば、下馬す、むづかしながら下馬すると思ふは、外に向ひたる心なり、徳を積むの善行ならず。
人道は禮あるを以て尊し、禮を行ふは善行なれば、善をするを楽しみて下馬する時は、積徳の功と成るなり。
日々に事々にかくの如き心を用ひる時は、徳つもりて名を成すものなり。
他はおして知るべし。
身を立つるに終はるのかぎりなき善行は、受用の人、知るべし。
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」12/88
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