熊沢蕃山
孝経小解-序[1]
孝の道理を教へ給ふ書なる故に、孝経と名付けたり。
聖人の道を伝へたる書を経と云ふ、経は常なり、聖人の道は万古不易の常道にして、
孝経は
然れども、学未だ
大舜は誠より明らかなる聖人なり、曾子は明らかなるより誠なる大賢なり、其の至れるに及んでは一なり。
曾子も孔門に入らずして大舜を師とするの学なくば、ただ孝子と云ふに終らんのみ。
孝子なれども賢人とは云ふべからざる人多し。
善に明らかにして身に誠あるは君子の孝なり、故に徳、聖賢ならざれば大孝とは云ひ難し。
曾子の学すでに
故に孝の大本、大用を説き給へり。
- 出典・参考・引用
- 中江藤樹訳、熊沢蕃山(伯継)述「孝経」5/88
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備考・解説
貝原益軒曰く、
孝の字は是れ会意、老を父母となし、子膝下にあり而して侍養するの意なり。
爾雅、及び説文の説は是れ孝の字の正意なり。
蓋し孝道は
然れども其の最も近き者を論ぜば、此に外ならざるのみ。
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